見出し画像

エレクトロニカは何を夢みたのか?⑨/あとがきとまとめ

まずはじめに、ここで紹介したものが全てでは無いし、シーン全体をくまなく網羅しているとも思っていない。ただし、エレクトロニカの時代を振り返るに当たって主要どころはある程度抑えていると思う。こうやってまとめてはみたけれど改めてエレクトロニカの定義は中々難しいと感じていて、特に細分類する上で若干の迷いと不安はあった。果たして明確に分けられるものなのかと。

僕がここで試みたのはあくまでも入門編をまとめる事と、Googleの上位にくるブログや個人サイト、Youtubeで検索した時に出てくるものがあまりにもこの時代のエレクトロニカからズレたものが多かったことに対して自分なりに一つの答えを出したかったことだった。フライング・ロータスやマッシヴ・アタックをエレクトロニカと紹介するものを目にして、何をどうやったらエレクトロニカに紐づくのか疑不思議でしょうがない。恐らくサブスクなどでジャンル名がエレクトロニカやIDMとなっていたから、そう思ったのが大体の理由では無いだろうかと推測するのだけれど、これらはエレクトロニカの文脈とは明らかに異なる。マッシヴ・アタックはエレクトロニカ(と言うよりもフォークトロニカ以降)に影響を与えてはいる。フライング・ロータスはエレクトロニカというよりも、Jディラ以降のヒップホップ/サンプリングカルチャー(西海岸のニューエイジカルチャーも含む)の文脈の方が影響は大きい。
投稿している中、マイクロサウンドについていくつか意見を頂いた。実はマイクロサウンドにするかマイクロスコピックサウンド(微視的な音)にするか迷った結果、マイクロサウンドを選んだ。この辺りの棲み分けはかなりデリケートでマイクロサウンド=グリッチとも取れるという意見もあったが、総称としてのマイクロサウンドも間違ってはいないと言うところでこのままにしている。
こういったことからも、エレクトロニカを取り巻く環境はテクノ/ハウス、ヒップホップ、ノイズ、現代音楽、ポストロックそれぞれの視点で捉え方が若干異なってくる。アカデミズムとストリートの視点の違いとも言えるし、初めにも書いた通りそれらが交差したカルチャーだった事が、結果的に分裂を生んだとも考えられる。

もう一つこの時代の東京を中心とするカルチャーとして、現代アートブームがあったのも無縁では無いと考えている。2000年以降、2001年の横浜トリエンナーレが口火となって、ICCやオペラシティアートギャラリー、資生堂ギャラリー、原ミュージアム、ワタリウム、MOTなどの美術館で現代美術がポップカルチャーとして消費されていた。かつてのセゾンカルチャーのその後とも言えるブームは森美術館のオープンをピークに、リーマンショック辺りから下火になっていくのだけれど、東京のアートカルチャーブームの中にエレクトロニカが内包されていたといっても過言では無いと思う。カールステン・ニコライや池田亮司の個展もブームの最中に行われていたし、企画展でもエレクトロニカに関わる人々が参加していた。その後直島や新潟、金沢など地方都市の町おこし的なブームに推移していったことで、日本各地に広まっていった(地域アートについては賛否があり、それについて書かれている本も多数ある)。

それでは一体エレクトロニカは何を夢みたのか?
ひとつ確実に言えるのは既存の音楽の構造から離れて、未来の音楽を夢想したムーブメントだった事。それが目指したのはメロディや和声、リズムといった西欧音楽が支配してきた音楽構造からの脱却であり、現代のクリシェから離れた表現を確立しようとした運動だった。そして多くの人がエレクトロニカという名の下になだれ込むと同時に、目的が手段に変わった瞬間に全ての夢は硬化し始め形骸化し、未来の音は過去の音に成り下がってしまった。形骸化の結果、ムーブメントの熱量は極端に下がったが全てが死んでしまった訳ではなく、元にいた鞘に戻っていったのが正しいのでは無いだろうか?現在も活動を続ける人々は本来あるべき場所に戻り、それ以外の人々は霧散していった。こうやって振り返っても、掴み所が無い割に当時の熱気は様々なものが渾然一体となった、混沌とした状況とともに大きな熱量がそこにあった。当時のレコード店も、棲み分けが難しいこのジャンルを、エレクトロニカという名前で十把一絡げで括っていたし、その状況はさらなる混沌を生み、作り手も受け手も皆が手探りで前に進むしかない状況の面白さ。価値基準も判断も道を記す地図もないまま霧の中を闇雲に進むような、そんな時代だった。当然サブスクやYoutubeもなく、未知の音楽に触れるためにはレコード店のPOPや少ない雑誌の情報を元に身銭を切っていた。むしろそういったものがあるだけまだましで、素っ気なく置かれたCDやレコードのジャケットから面白そうなものを嗅ぎ分けるしかない事も多く、得体の知れないもの(こういったものに限って値段が高かったりした)を手にして自分でジャッジするほかない状況だった。これはYoutube登場以前の事前情報を入れる事が出来ない最後のレコードカルチャーだったと思う。
少し脱線するが、当時のエレクトロニカを扱っていたレコード店の大半は無くなってしまった。渋谷のハードワックス、ゼスト、原宿と新宿にあったラフトレード、下北のオンサ、現在のイケアの場所にあったHMV、改装前のタワーレコードのその他のコーナーなど今では跡形もない(HMVは移転、タワーレコードは同じ場所にあるが当時の内容とは大きく異なる)。

エレクトロニカについては10年ほど前から何かしらの形でまとめておきたいと常々考えていた。10年前の時点で自分が見聞きして来たものと大きなズレを常に感じていたのをよく覚えている。繰り返すような事を言うが、10年前からエレクトロとエレクトロニカを混同している人を見かけていたし、ブームの最中でもエレクトロニカとズレたものを紹介するものも少なくなかった。2001年のスタジオボイスのディスクガイドを見返しても、当時の状況がいかに混沌としていたのかはよくわかる。

ここで書き記したことに対して、「何をいまさら」と感じる人もいるだろうし、お前が書いていることは間違っていると思う人もいると思う(実際にニワカと書き記した人もいた。20年以上聴いていてニワカはないだろうと、読んでいて苛立ちよりも笑いがこみ上げて来た。ただ残念なのは駄目なりに具体的に提示して欲しかったと言う気持ちの方が強い。問題提起には付き合います)。大切なのは当時あった出来事をちゃんと後世に引き継ぎたいと言う考えであり、極力ミスリードせずに次の世代に引き継ぎできれば本望である。これを足がかりに当時の熱気に少しでも触れつつ、エレクトロニカの世界に足を踏み入れる人が現れる事を祈るばかり。

今後の活動資金のためのサポートもよろしくお願いいたします。

ここから先は

308字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?