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【美術】吉村弘 風景の音 音の風景@神奈川県近代美術館


近年海外を含めて人気の高い吉村弘の回顧展が、神奈川県近代美術館鎌倉別館で行われていたので、最終日ギリギリで駆け込みで鑑賞。

吉村弘といえば、Light in atticからリリースされたコンピレーションKankyō Ongakuに収録されていたり、「Music for nine postcards」や資生堂のオマケレコ「Air」、いまや超レア盤に君臨する「Green」など、その中の幾つかがリイシューされた事で再評価が進んでいる。数年前のニューエイジブームに連なって、日本のアンビエント周辺の人気も高まって芦川聡やWave Notationのシリーズも徐々にリイシューされている状況もあり、今回の展示はかなり良いタイミングだと思う。
先のコンピレーションKankyō Ongakuの副題はJapanese Ambient,Enviromental&New Age Musicとある。日本ではAmbient Music=環境音楽と訳され知られているが、この環境の部分をEnviromentalと逆に直訳して副題に用いているのかなと思っていたら、吉村のノートの中に環境音楽=Enviroment Musicと記載されていた。副題がアメリカ側で環境を訳したものを付けたものだと思っていたので、すでに彼の中でこの言葉が記されていたのが少し意外だった。
それにしても展示の中でキャリアを追っていくと、かなりユニークな人物なのがよく分かる。活動初期にタージ・マハル旅行団や小杉武久の活動に参加していたというだけでも、十二分に凄いが
(当時のフライヤーを見るとマンドレイクやToo Muchなど日本の黎明期のロックバンドの名前がある)、その後も図形楽譜、美術作成と多岐に渡る。
エリック・サティから始まり、ジョン・ケージに衝撃を受け、インプロヴィゼーションを経てアンビエントへと至る。しかし、音楽に留まらずに赤瀬川原平やフルクサスの影響も感じさせるインスタレーションも含まれている。
図形楽譜やドローイングなどに触れて感じたのは、彼は常に音を形に、形を音にしようと試みていたのではないかという印象を強く感じた。図形楽譜自体が、五線譜から逃れようとしてグラフィカルに指示を作る事で、視覚的に捉えフィジカルに還元する試みでもあるように思う(多分に観念的でもあるが)。音を形にするグラフィカルな図形楽譜と同様に、本をくり抜きレイヤーで表現した「Little wave from Tokyo 1971」や、紙を燃やして表現した「火によるドローイング」など、音を形にした表現と重なり合う様な試みも施されている。楽譜以外の作品からも、見ていると微かに音が流れてくるような錯覚を覚える。音を形にしつつ、それら形作られたものから音が喚起される。油脂のエンヴェロープに納められた葉っぱや、雲をかたどった造形物、五線譜が雲の形に広がっていたり、空き缶を楽器に仕立てる。それらの多くは、葉や缶、紙とペン、数多くのフィルムに納められたランドスケープなど、彼の身近にある自然や俗っぽい物質が大半を占める。
日本に限らず多くの現代美術に触れて来た人なのは、展示されたものから感じられる。現代音楽やヴィデオアートなど60〜80年代のポストモダンを吸収し体現してきた事が垣間見れる。
数展展示されていた彼が所蔵していた美術品も彼の高いセンスを感じさせる。相笠昌義のエッチング作品「文明嫌悪症連作・ベリィベリィビィズィ」などまだまだ広く知られていない作家がいるのだなと思った。
当時を記録した写真も多く展示されていたが、数年前に亡くなった安齊重男が撮影した写真もあった。ヨーゼフ・ボイスや多くのミュージシャンなどを撮影したカメラマンなのだけど、以前よく通っていた自由が丘の喫茶店で一度だけ会って少し会話をした事がある。その時はよく知らなかったが、妻に話すと義父が以前関わっていた事を知って妙な縁を感じている。
吉村弘のキャリアについても、年譜を見て自分と同じ高校に通っていた事を知って驚いた(とはいえ彼が通っていた頃は都内有数の進学校だったが、僕の頃は平均まで落ち込んでいた)。東京は広いが狭い。
少し脱線したが、彼のパーソナリティを見ていると時代の先鋭的な部分と身近でファンシーな面がないまぜになっている。「雲の人と思われていた」と自己評価をしていたように、突飛ではなく手の届く範囲のものや事象を扱った親密な表現者だった様に感じられた。残されたレコードでは掴みきれない人物像が、残された作品の数々から浮かび上がり、抽象的で曖昧な表現に人々が共感しているのだなと感じさせる良い展示だった。


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