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立木義浩 1959-2019写真展

上野の森美術館で行われていた立木義浩の写真展に行ってきた。昨年恵比寿の写真美術館の展示で観た彼の写真が強く印象的に行って残っていたのもあって、会期終了間近に滑り込みで駆け込んだ。

写美で観たこの写真はなかったものの、デビューから現在までのキャリアをテーマに沿って展示した写真展で、80年代以降はあまり期待していなかったものの、印象としては80年代以降の写真の方が素晴らしかった。

an•anのグラビア時代から始まり、加賀まりこのヌード写真や代表作「舌だし天使」など人物のポートレートはどちらかと言えば商業的な時代を感じさせ流内容ながらも、若さに溢れた作品が並んでいた。

加賀まりこの写真は映画「月曜日のユカ」の若々しいコケティッシュな雰囲気とは違い、自立した女性の意思を感じさせるエロティシズムとは離れたあるがままの姿を見て捉えていたと感じた。裸を魅せると言うことは、ただ単にスキャンダラスな一面を見せることよりも、あるがままの自分をさらけ出す様に感じる。「これが自分よ」と言いたげな凛々しい彼女の表情は体以上に物語っていた。

展示の並びは時系列にはなっておらず、テーマごとにブースが分かれていて間に挟まれた著名人のポートレートの眼差しはどれも力強く、商業写真の域を超えた表現にノックアウトされた。特に若い頃の本木雅弘の写真の美しさに見惚れてしまった。

ビートたけし、鈴木清順、夏目雅子、松田優作などの著名人の写真はどれもみなぎるパワーをフレームに落とし込んでいた。

90年代以降の写真は間近で観るとまるでその場にいる様な臨場感があり、まるでVRの世界に紛れ込んだ様に感じられた。立木の写真の特徴はどれもモーションの一部をパッケージしているので、眺めていると前後の動きを脳内で喚起させられる。
構図もスクエアなものではなく、大きく斜めっていたり、あるモーションを収めるためには構図なんてものは二の次と言わんばかりの作品も多かった。とはいえ完璧な構図も同時に並んでいて、そんなものはちっぽけな見方なんだなと痛感させられた。眼に見えるものがなんなのか?いかにその瞬間を捉えるかに焦点が置かれていて、そのダイナミクスに埋没する快感の恍惚とした体験は如何ともしがたい感触を得ることが出来た。
「いったいこの人の眼はどうなっているのだろう?」
素晴らしい写真家の作品に出会うたびにいつもこの言葉が頭をよぎる。

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