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明治錦絵×大正新版画 世界が愛した近代の木版画

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明治から大正にかけての錦絵と新版画を特集した「明治錦絵×大正新版画 世界が愛した近代の木版画」を鑑賞してきた。
新版画とその少し前の明治の錦絵の組み合わせに「何故この組み合わせ?」と不思議に思ったけれど、解説を読むと納得するどころか江戸時代から明治、大正、昭和と時代の流れの中で浮世絵/錦絵がどの様に残り、続いていたのかがよく分かる展示だった。
キーになるのは絵師ではなく、版元の大倉孫兵衛と土井貞一のふたり。明治に入ってから時代の世相を表現していた浮世絵/錦絵が担っていた役割が、写真や新聞などの活版印刷メディアに移行した事で、日本国内の需要が激減。版元を引き継いだ大倉孫兵衛は、当時経済的に豊かなアメリカに錦絵を輸出する事で財を築く事になる。この辺りは後の版元の渡邊庄三郎や、吉田博らがアメリカに活路を見出し経済的な基盤を築いた先例として大倉孫兵衛の存在がある。

・大倉孫兵衛が担った輸出業

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大倉孫兵衛

大倉孫兵衛が輸出していた錦絵は、それまでの錦絵からサンプリングしたモチーフを並べた花鳥画や美人画など、けばけばしいまでのカラーリングと、ルイ・ヴィトンのモノグラムにつながる様なパターンがあしらわれている。

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1878年にニューヨークで設立された「日の出商会森村ブラザース」で、日本から輸出された錦絵や雑貨などを販売した事で財をなす。
この頃の錦絵は新版画とは全く異なる表現ではあるものの、海外需要を見越したデザインをあしらえて送り出した事で、後の新版画の道のりを示した重要なラインが築かれている。ただし大倉孫兵衛はその後、錦絵から陶器へとシフトしていて、錦絵で培った絵を陶器のデザインに流用する事になり、後の食器ブランドのノリタケや、TOTOの元になった日本陶器合名会社の立ち上げに関わっていた事の方がキャリアとして大きかったため、錦絵の仕事は陰に隠れてしまった。近年発見された錦絵をもとに錦絵の仕事にフォーカスするのが今回の展覧会の趣旨でもあった。

・土井貞一版元による土井版画店

新版画の代表的な版元と言えば、渡邊庄三郎が中心ではあるものの、今回の展覧会は後発の土井貞一による版元の新版画が取り上げられている。

川瀬巴水

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川瀬巴水/馬込の月 版元:渡邊庄三郎 1930年

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川瀬巴水/冬の月 版元:土井貞一 1931年

渡邊庄三郎の版元での新版画は色のコントラストを活かしたものが多く、土井貞一の版元の作品は少しくすんだ色合いで過去の浮世絵に近い雰囲気を持つ。版元はプロデューサー/ディレクター的な立ち位置で、絵師が描いたものを時代に合わせて調節役割を持っている。渡邊庄三郎はオーバープロデュースな部分があるものな、土井貞一が手掛けたものはよりナチュラルな浮世絵からの影響を感じる。渡邊、土井、両版元の新版画を比べて鑑賞出来るのもポイントだった。

新版画のビッグネームといえば川瀬巴水であるものの、今回はさらに土屋光逸とノエル・ヌエットのふたりの作品もピックアップされている。

ノエル・ヌエット

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ノエル・ヌエット/日本橋 1936年

新版画で重要なのは、日本の絵師の復興という側面はありながらも、海外から日本に来た絵師の存在も大きい。渡邊庄三郎とともに、新版画が起こるきっかけになったオーストリア出身のフリッツ・カペラリなど、外国人絵師が多く存在する。ノエル・ヌエットは幼いころから広重の絵に魅了され、日本に学生として来日しその後日本滞在している中で、土井貞一と出会う事で絵師となった。万年筆で書き上げたものをもとに彫師と摺師が新版画にまとめ上げたため、他の新版画のような線は最小限に収めて色を重ねて構築するのとは少し異なる。影は荒々しい筆致で描かれているものの、それぞれのモチーフは丁寧に描かれていて摺師の色合いもとても丁寧に塗られている。

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ノエル・ヌエット/東京誕生記 1955年

広重の墓をドローイングで描かれた東京誕生記の絵は、大友克洋のような雰囲気もある。この辺りはフランス人気質というかバンドデシネに通じるものがある。ノエル・ヌエットの作風自体がバンド・デシネに近いのかもしれない。
さらにユニークなのは、江戸ではなく近代日本の風景を切り取っていて、ノスタルジーとしての日本の姿ではなくあくまでも目の前にある当時の日本の姿を記録している。

土屋光逸

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土屋光逸/四ツ谷荒木横丁 1935年

土屋光逸の絵柄はデフォルメされていて、現在の漫画家やイラストレーターに近いものを感じる。

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土屋光逸/雪の宮島 1936年

夜の建物から滲み出る光の淡さなど、光線画の影響もありながら、扱われるテーマは東京だけでなく、京都や広島、福岡、名古屋、山梨など地方の風景を描いているのも、都内を主にしていた川瀬巴水やノエル・ヌエットとは異なる所。

新版画は江戸時代の浮世絵よりも、顔料のバリエーションの豊富さやテクニックの向上と、過度になりきらないオリエンタリズムが内包された運動だった。海外需要を見据えた動きではあるものの、大倉孫兵衛の頃の記名性の無さに比べると作家性が復活したともいえる。テクニックを極めた吉田博や、ユーモアやハイコントラストが印象的な小原古邨に比べると些かオールドスクールな印象はありつつも、新版画の評価はこれからさらに進んでいくと思われる。

主な出来事

1814年 「北斎漫画」第1巻 葛飾北斎
1931年(前後) 「富嶽三十六景」葛飾北斎
1843年 大倉孫兵衛生まれる
1849年 葛飾北斎没
1853年 ペリー来航
1856〜1858年 「名所江戸百景」歌川広重
1858年 歌川広重没
1859年 横浜開港
1867年 パリ万博
1868年 明治元年
1869年頃〜 フランスジャポニズム
モネ/ラ・ジャポネーゼ
ゴッホ/タンギー爺さんなど
1870年 土屋光逸生まれる
1876年 土井貞一生まれる
1878年 森村ブラザース設立(ニューヨーク)
1883年 川瀬巴水生まれる
1885年 渡邊庄三郎 ノエル・ヌエット生まれる
1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1909年 渡邊版画店オープン
1912年 大正元年
1914〜1918年 第一次世界大戦
1915年 渡邊庄三郎とカペラリによる新版画の制作開始
1921年 大倉孫兵衛没
1923年 関東大震災
1923年 土井版画展オープン
1924〜1930年 「東京二十景」川瀬巴水
1926年 昭和元年
1931〜1932年 川瀬巴水 土井版画店にて新版画作成
1932年 土屋光逸 新版画作成スタート
1937年 「東京百景」ノエル・ヌエット
1939〜1945年 第二次世界大戦
1944年 土井貞一没


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