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デヴィッド・ボウイとクラウトロック⑦/ロジャー

ベルリン生活を終えて

ワールドツアーを終えた78年、ボウイとイーノ、ヴィスコンティはベルリンを離れ、スイスでレコーディングをスタートさせる。

それまでレコーディングの際に使っていたイーノのオブリーク・ストラテジー・カードが全く機能しなくなったのか「ロジャー」ではアルバム全体に疲弊と閉塞感がアルバム全体を覆っている印象がある。よく言えばバリエーション豊か、悪く言えば散漫な内容とも言える。

オブリーク・ストラテジー・カードとはカードに書かれたワードに沿って、行き詰まりを回避するアイテムで、イーノは自身のソロ「アナザー・グリーン・ワールド」レコーディング時から使っていた。

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すでに「”ヒーローズ”」の時点でオブリーク・ストラテジー・カードは相反する答えを導きだして、頼りにするには心もとないものに成り下がっていた。引いたカードは一方は「それをするな」一方は「それをしろ」と矛盾した内容を提示し出口を導きだすはずのアイテムは足を引っ張るアイテムになりつつあった。

ロジャー

「”ヒーローズ”」で張り詰めていた緊張の糸は「ロジャー」では緩まってしまった様だ。冒頭の「ファンタスティックヴォヤージ」は前2作には無いほどセンチメンタルで穏やかな曲調で始まる。マンドリンのトレモロとイーノのドローンが全体を包み込むように鳴り響く。「アフリカン・ナイト・フライト」では明瞭な和音が無い中でボウイの声によるパフォーマンスに重点が置かれボーカリストとしての表現力、力量が遺憾なく発揮されている。明瞭な和音が無い中でこの表現は凄い。トレブリーでデフォルメされたベースラインとシンセサイザーの音が不穏にひたすら繰り返され、リズムボックスの早いパッセージが鳴り響く。MIDIが出てくる以前の録音なので、リズムボックスは曲の最初から最後まで鳴った状態で録音した後に、最終的に一部分残した形だと推測される。引き算された結果こういった楽曲になったという事を考えれば、かなり実験的な考えのもとに構築されている。
不思議なことに前二作ではクラウトロックからの直接的な影響は出さなかったものの、「レッドセイルズ」ではクラウス・ディンガーのノイ!のハンマービートが再現されている。3部作の中で唯一ストレートにクラウトロックから引用されている。「DJ」や「レペティション」でのボウイはデヴィッド・バーンが乗り移っているようだ。「DJ」の始まりの歌い出しは明らかにバーンを模倣しているし、「レペティション」はトーキング・ヘッズの「フィア・オブ・ミュージック」の様でもある。リリースは「ロジャー」の方が早いがイーノから聴かされていた可能性はある(ただしトーキング・ヘッズの元ネタはハミルトン・ボハノンのリズムである)。

「”ヒーローズ”」の続編のような「ボーイズ・キープ・スウィンギン」では「レッツ・ダンス」を予感させるスターのボウイがすでにそこにいる。

このPVでの女装したボウイはベルリンで知り合い、親しい仲だったドラァグクイーンのロミー・ハーグを喚起させる。

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実はプロデューサーのトニー・ヴィスコンティ曰く、「ロジャー」のミックスはスケジュールの都合上、短時間ですまさなければいけなかったらしく、満足のいくミックスが作れなかったということだった。2017年にリリースされたボックスではヴィスコンティによるあらたなミックスが作られている。これはもともとボウイに生前新たなミックスを聴かせた所、ボウイが気に入りプロジェクトがスタートしたといういきさつがある。

オリジナルでの狭い音場、妙なディレイがかかったドラムなどの不安定な部分を解消し、タイトかつ広がりのあるサウンドにミックスし直して違った装いのアルバムとして生き返っていた。フェードインフェードアウトが間違っているという指摘もあるけれど、ヴィスコンティ本人がやりなおしているのでそこは問題ではないと思う。改めてアルバムを聴くと色々な発見がある。「ロジャー」というアルバムにあまりいい印象が無い人は聴いて損は無いと思う。ぜひ聴いて欲しい。

カルトから世界的なスターダムへ

ボウイは翌年「スケアリー・モンスターズ」をリリースした後音楽から離れ、エレファントマンでの演劇、映画俳優という道を辿って、1983年「レッツダンス」の大ヒットで世界的なスターダムへと乗り出していく。
その少し前に京都で暮らしていたボウイと居酒屋で出会った京大生の話が以前ツイートされていて、それを読むと常に変化しつつ普通に悩みを抱えていたのがよく分かる。

十代の頃からミュージシャンとして活動を始め、常にブレイクする事を目指し、「スペース・オデティ」でのイギリスでのブレイク、「フェイム」でのアメリカブレイクがありながらも、70年代のボウイは契約の関係で金銭的に困窮していた。特にベルリン時代は一番困窮していた時期に辺り、服装などもかなりラフなものが写真に収められている。カルトなスターから、メジャーなスターへと変身する前のベルリン3部作に触れる事で、ボウイのミュージシャンとしての本質を感じる事が出来るのではないだろうか?

ボウイとクラウトロック

結果的にベルリン3部作でのボウイは、クラウトロックから養分を取りながらも、自身の表現を突き進むことを選んだ。ミハエル・ローターやヤキ・リーベツァイトらとコラボレーションする機会がありながらも、結局の所距離を取りながら歩んで行った。ベルリン3部作といえば安易にクラウトロックと結びつける記事をよく見かけるが、実際はボウイよりもイーノの方がコミットしている。ボウイを含め、ポストパンクとクラウトロックをフィックスしていたのはイーノだったのではないだろうか。パンク以前のオールドウェーブのふたりが新たな音楽としてクラウトロックの音楽性やヨーロッパ的な世界観を取り入れていたのは、ポストパンクの時代のバンドと共通している。いち早く自身の音楽に取り入れたことで、ポストパンク/ニューウェーブに先んじた表現を提示した事で橋渡し役としてのプレゼンスを掲示していた。キュアーのロバート・スミスの「ロウで死ねばよかった」という発言があったように、先駆性とカルトな存在のボウイをよく表している。
ポップスターでありながらも、アンダーグラウンドなカルチャーを貪欲に取り入れながら時代を開拓した表現者としてのボウイの70年代はこのようにして閉じ、新たな時代のスターへと変化していくことになる。

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