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街角クラブ〜ミナスサウンド⑪/アルトゥール・ヴェロカイの2021年

今年(2021年)リリースされたHiatus KayoteとBadbadnotgoodの二枚のアルバムで、アルトゥール・ヴェロカイがフューチャーされていた。ヴェロカイはソロアルバムや、イヴァン・リンスやセリアなどのアレンジャーとして、カルトな存在としてブラジル音楽ファンの間では知られていたが、00年代から徐々にアメリカ西海岸のヒップホップシーンでサンプリングされた事がきっかけで、世界的に広く知られる事になった。

その中でも象徴的な出来事となったのが、2006年に亡くなったJ Dillaの母親のMa Dukesを支援するチャリティライブの一環で、ヴェロカイがアメリカでオーケストラを従えてライブを行った事だった。

https://diskunion.net/latin/ct/detail/1008293644

ヒップホップネイティブな世代であるHiatus KyoteやBadbadnotgoodが、サンプリングではなく実際の演奏の中にヴェロカイのエッセンスと共存する姿に時代が一回り巡ったことを感じさせられる。ピッチフォークやサブスクの台頭で、アメリカ国内のブラジル音楽の需要が、この10年で大きく様変わりしているのがよくわかる出来事だと思う。

そんなBadbadnotgoodとヴェロカイの対談がアルバムリリースに合わせて配布されたZineに掲載されている。ヴェロカイが最初のキャリアからファーストアルバムを作る上で何を思い、何を感じていたのかがよく分かる対談となっているので、手に入るうちに探してみて欲しい。

対談の内容を要約すると、アルトゥールは元々大学で土木建築のエンジニアを学んでいたが自分に向いてないと感じ、音楽の道を目指す事になった。しかし、エンジニアの道を絶った事を家族に心配させないため、半年ほどの短い期間でトラディショナルな和声など実践的なものを学んだという。アレンジに関しては学校よりも、その後に関わったTV Globoのハウスバンドのアレンジで学びながら身に付けたと語っている。アルトゥールがアレンジで関わった歌手のセリアを通してレコード会社からアルバムレコーディングのオファーがあり、TV Globoで関わったミュージシャンをピックアップして、アルバムのレコーディングが行われた。

当時はインストは主流ではなかった事と、自分はスターの素質がない事、そしてアルバムに合わせてライブも行われなかった事からアルバムは売れることはないだろうと最初から気づいていて、出来るだけ自分がやりたい事をやる機会として、出来ることをやった。
彼はザッパやCSN&Yといったロックや、ドビュッシーやラヴェル、エイトール・ヴィラ=ロボスら現代クラシック、バート・バカラックやギル・エヴァンスといった作・編曲家に影響を受けていると語っていて、彼のアレンジに感じられる欧米の音楽的要素がそれらを養分にしてした。しかし、ドビュッシーやラヴェル、エイトール・ヴィラ=ロボスのようなクラシックは楽譜で触れていたものの、それ以外の音楽は耳で聴いて血肉にしていったとも語っている。アルトゥールはこのアルバムをサイケデリックなものに仕立てようとしたわけでなく、歌詞にある自然の音を再現しようとしただけだったという。
今では有名なレアアイテムとして君臨しているこのアルバムの伝説は、アルトゥールにとっても予想だにしなかった出来事だったという彼の言葉で締めたい。

アルトゥール・ヴェロカイ「個人的には特別な時間でした。当時の音楽はもちろん好きでした。ミルトン・ナシメントをはじめとする多くのアーティストが好きでした。しかし、この作品がブラジルで最も重要な音楽の瞬間と言われるようになるとは思いもよらなかった。私はただ夢中で生きていて、ミュージシャンとして働くことに幸せを感じていました。私は恋をしていて、結婚したばかりでした。夢のような生活を送っていました。でも、まさか自分がブラジルの音楽史上最高の瞬間の一部になるとは思いもしませんでした。」


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