むしゃくしゃした話


きょうはムシャクシャしてるのでむしゃくしゃしたことや、むしゃむ…むしゃくしゃすることについて書こうとおもう。(今度むしゃくしゃしてる人がいたら「むしゃくしゃってむしゃむしゃみたいだよね」って言ってみようと思う)


昔、中学?高校?の国語の教科書かテストに載ってた評論文で

「人間はなにかを理解するときに、"分類"することで"分かった"という風に認識する」

みたいなニュアンスのことが書いてあった。

あとこの前母が読んでたゲッターズいいだの本では、「日本人は星占いとか血液型占いとか、パターン化するのが好きな傾向が強い」的なことが書いてあった。


確かに。

ぼくは思ったんだけど、よく「中二病ね」とか、「田舎者」とか「自称HSP系ね」とか「なんかLGBT?だっけ?なんかそうゆう人ね」とか、

「なんかよく分かんないけどなんかよくいるあっち系の奴ね」

みたいな、そうゆう1つの面倒な、もしくはイタイ集団みたいな感じでひとくくりにまとめられて片付けられる、
みたいなのが好きじゃない。

(というか関係ないけど今日外うるさすぎる、めっちゃ近距離でガシャガシャガシャーンゴゴンみたいに聞こえる。しょうがないけど)

で話を戻すと、ぼくはそうやって一括りにして片付けられるのが好きじゃないんだけど、
でも自分でもやってしまったりもする。

「男で白いズボンの人は恋愛含めいろいろと適当な人が多い。靴が白い人はもっとやばい」とか
「無駄にピチピチのスーツ着てて尖った靴で、裸足で履いてるなんていったらもう完全にそれだよ」とか色々勝手に分析しては雑談で言ったりしてしまっている。

つい最近「青春ゾンビ」というネット用語?があるらしいことを知った。

なんかもう、やめてくれよ…

って思った。なんかあんまりにも耳が痛い言葉な気がしたからだと思う。

昔専門学校みたいなとこに通ってたときのこと。

クラスの人は19〜28歳までバラつきがあって、
最初のうちはまず「あの人何歳なの??」みたいな話ばかり上がっていた気がする。

んで、夏になったときのある日ぼくのクラスの人と隣のクラスの人も数人混ざって6人くらいで立って輪になって雑談してたときのこと。

そこにいないクラスの男の子のことを例の通り
「〇〇って、21なんでしょ?」
「え、なんか全然見えないよね」
「なんか幼いよね」

みたいに、若干声をひそめて内緒ばなしみたいに話してて、でも内緒話するにはクラス跨いでるし、別にいつも一緒にいるメンバーとかでもなくて、たまたまその日同じ当番でその場にいた知ってるクラスメイトみたいな感じのメンツで、

その話してる様子が僕にはなんだかバカにして笑ってる言い方っぽく感じてなんだか嫌だったし、
こわくも感じた。

なんか、じぶんも影で何言われてるか分からないなって思ったし、なんかその「あいつ21には見えないよね」ってのを悪い意味で言いあってる様子が、なんか、表ではあんななんかいい人たちみたいな体でやってるのに裏ではこんなこと言うのかって思った。

これは普段の別のこととかも知ってる自分だからこそ感じたことみたいで、人に話しても「別に普通じゃない?」とか「気にしすぎじゃない?」とか言われる。


自分のことを「大人」と認識してる人はよく僕に、

「ああ、なんかその段階ね。オレもそうゆう時期あったわ、まあそのうち分かるよ。」

とか

「まあね〜……。でもまあそう言ってもいられないなって思う時が来るってか、うーん、結局どっかの段階で折り合いつけるしかないと思うよ。
それは先延ばしにすればするほど後々じぶんが苦しくなるだけだと思うよ。〇〇はどっかしらでぜったいすごい絞られるときが来ると思うよ」

とか、

とにかく「ずっとそんなこと言ってたって仕方ないんだからもう現実見て行動しなよ、大人になりなよ」
みたいなニュアンスのことを言われる。

みんな大人になっていく。

そして自分もそうならなきゃいけない時期に差し掛かってるんだろうなって、嫌でも思わざるを得ない。




青春ゾンビ





今の僕をものすごく的確に、揶揄されたような気がしてすごくイラッとした。

たぶんじぶんに、イラッとしたんだと思う。

この歳になって、こうして何かしてみようと投稿したりはしてるけど、「仕事」「社会人」「大人」「人間力」「自立」そんなものとは一向に交わらないままのじぶんが、

社会から外れたまま自分の力で世の中に居場所をつくれないでいるじぶんが情けなくて、

そんなじぶんを名指しで指摘されたみたいで、

図星だと思ったから余計にムキになったんだと思う。

ぼくのコンプレックスはここ数年で随分増えてしまって、
ひとつも克服できずにいるような気がして焦る。

なんか、なんかさ、20歳を過ぎてから
 
「頑張ってるかどうか」とか
「前に進めてるかどうか」とか
「このままでいいのかどうか」とか
「じぶんは反社会的な存在なのか」とか
「迷惑な社会不適合者なのか、はたまた誰かの救済者になれる原石なのか」とか


親不孝者なんだろうか、とか


なにもかもが、

じぶんを含めたじぶんが選んだ誰かの判断に委ねられていて、

頑張ってるかどうか、前に進んでるかどうか、

自分が選んだじぶんの判断や意見を、信じてていいのか不安になったりする。

「なんかあったときに自分1人じゃどうにもならないんだよ?そんなにひとりで決めて大丈夫??あとで大変なことになっても誰も助けてくれないかもよ」

なんて忠告してくるじぶんと、

「どんな決断をしても結局最終的にはぜんぶ自分に返ってくるからね。」

なんて助言する周囲の言葉のあいだで、

行ったり来たり、


揺らいでしまう。




ぼくは、



ぼくはこのままじゃまずいんだろうか。

ぼくを信じてできることを自分のペースでやっていくだけでは、経済的に自立できないんだろうか。


どうしたら、社会の中にじぶんの居場所を作り出せるんだろうか。

いますぐ作らなきゃ、人としていけないんだろうか。




分からないことばかり、

分かりたくないことばかり、増えていく。





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