生命体はなぜ眠るのか

「生命体はなぜ眠るのか」

 この問いをもってピノコニーの開拓クエストははじまり、この問いへの答えをもって終わる。最後まできちんと一本の軸で話が通っていて、本当に素晴らしかった。それゆえに、私も、ただ物語を読むだけで終わりたくないと思った。
 というわけで、ひさびさに、読み終えた物語について自分の言葉でまとめるということをやってみたいなと思う。こういうことをするのはかなり、ずいぶん、久しぶりなので、なんだかとてもドキドキしている。こういうアウトプットをいちばん頑張っていた時期に比べたら多分、文章の質は落ちているかもしれないという懸念もあるけれど、だからといって残さないのももったいないので。結局のところ、ピノコニーの開拓クエストという物語に乗っかりつつ大いに自分語りをしていく感じになると思う。
 本記事はピノコニー2.2までのネタバレをたくさん含みます、ご注意ください。


◇黄金の刻、真夜中の夢
 私だって、ずっと夢の中にいられたらと、心のどこかで思っている。休日は終わってほしくないし、仕事になんか行きたくない、自分の見たくない面を見たくない、受け入れたくない、明日を迎えたくない……。
 黄金の刻という街を見たときに、そんな、誰かに何かを言い訳するような気持ちがした。この黄金の刻は、イメージするなら時計の針が真夜中を指したままずっと止まっているような世界なんだけど、そんな世界認められるわけないだろという謎の反発心と、私だってずっとそんな世界にいたいという羨望のようなものが湧いてきて、複雑な気持ちになったのを覚えている。こんなふうに早速人の心を揺さぶる世界設定に脱帽する気持ちも持ちつつ。
 私の持った反発心は、私だって本当はこんな、毎日嫌なのに頑張って働いて自分の生活をやって、誰に褒められるわけでもないのに、本当は全部やめて楽な方に行きたいのに……そんな、日々抱えているけれど見えないようにしている小さな不満が突然目の前に突きつけられてしまって、それを受け止めたくなくて言い訳してるような、そんな感慨だった。
 でも黄金の刻は楽しかった。本当に夢のような世界で、1人家に帰ってお酒飲んで好きなゲームをして仕事のことなんか全部忘れて遊んでる時の自分を肯定してもらえてるみたいで。本当はもっとちゃんと、生活しなきゃとか、早く寝なきゃとか、そういうことを言ってくる自分もいるけど、まあいったん忘れようぜと言われてるようなそんな、自分の心のゆるいところをゆるされてるような気持ちにもなった。
 そして、いったい何をもって、この物語は、はじめに私たちにこの黄金の刻を見せたのかな、と、少しずつ考えるようになっていった。煌びやかな真夜中の夢、永遠に来ない明日、頑張らなくても良いと言われてるような、ずっと遊んでていいんだよと言われてるような、そんなメッセージをまあ私は受け取ったわけで、ここからいったい何がどうなっていくのやら見当もつかなかった。日常から離れてゲームでは昼間のことなんか忘れて楽しく過ごそうぜと、そう言われているような気がした。だからこそ2.2で生命体はなぜ眠るのか、の答えを突きつけられたときに、えらく感動したのかもしれない。今思えばなんともうまいことしてやられたわけであった。

◇夜という時間
 「生命体はなぜ眠るのか」という問いには、パッと答えることができなかった。えらく難解なテーマを突きつけられたなとさえ感じた。ただここで思ったのが、眠るのは大抵は夜で、私は夜という時間に対して小さい時から結構特別に思っているところがあるので、そこから切り込んでみてもいいのかもしれないということだった。
 私は夜、卓上の電気以外全ての灯りを消して過ごすことが多かった。実家にいた頃は節電という意味もあったと思うが、それは一人暮らしになってからも、時々無意識に灯りひとつで過ごす夜があることから、何かしらの意味合いがあることなのかもしれないと思うようになった。夜は音が限りなく少なくなり、人の気配も限りなく少なくなる。私はそれがたまらなく好きで、バイト帰りの夜道なんかも、かなり好きだった。夜通し起きているとかいうことではないが、夜、暗いところにひとり過ごしていると居心地が良くて、意味もなくずっとそのままでいてしまうこともあった。
 という自分語りを踏まえ、「生命体はなぜ眠るのか」に対するアベンチュリンの回答を思い出そうと思うが、彼は「死の予行練習」だと話した。かなり前に読んだ自己啓発本に、「今日死ぬかのように眠り、今日生まれたばかりのように目覚めよ(記憶があやふやなので正確ではない)」みたいな言葉があったような気がするが、まさにそれに沿うような考え方であるように感じられた。つまり、人生を今日で終えるような気持ちで眠りにつくことで、毎日の眠りをもって、死への予行練習とする、的なことなのかなと。
 私個人としてはそこまで切羽詰まった人生ではないので、ピンと来ていないところもあるのだけれど、

生命体がおおむね眠りにつく夜という時間は、限りなく死に近い

ということは日頃感じているところではある。なぜなら、夜の中に自分の身を置いている時、私は私の身体と、身体の外の世界の境界が曖昧になる感覚を覚えるからだ。これは私にとっては夜にしか発生しない感覚で、かつ、私の死に対するイメージに近い。私にとっての死は、私の自我の外殻がなくなって自然に帰ってゆくこと、というイメージで、まあ死を経験したわけでもない単なるイメージに過ぎないのだが、そこに夜感じる感覚が合致する、ということである。結局は全て感覚とかイメージの話なので少しも論理的ではないが、私にとっては重要なことなので書き残しておいた。

◇眠ることについて
 そしてそんな夜の中で眠りにつくことは、やはりいったん意識下でコントロールできる自我を失うことに等しいため、今日という日を終わらせるために必要なステップ、のようなものともいえる。
 意識というものは実に脆弱であり、20時間以上覚醒しているとまじですぐ身体にも心にも不調が出る。夢を見て記憶を整理したり、気持ちをリセットしたり、身体を休めたり、そういう大切な作業がたくさん、睡眠中に行われていて、それができてやっと、明日起きて、昨日と同じ自分で生きていくことができる。私は、生物学的にはまあそんな感じの理解をしているが、では夢という観点から見たときに、眠るとはどういうことなのかというのも、合わせて考えてみたいと思った。
 夢を見ているときは意識がないため、夜の中に身を置いている時よりもさらに段階が進み、私の自我というものは私のコントロールが全く及ばず、好き勝手にいろんな記憶を引っ張り出しては嫌な思いをさせたりしてくる。ただそれはきっと私の心を休ませるのに必要なことで、日々イドと超自我にもみくちゃにされている自我の休息のために必要なのだろうな、と思う。
 生命体は睡眠が基本状態であり、睡眠ではなく覚醒を進化させた、という言説もあると教えてもらったが、そう思うと覚醒した状態でめちゃくちゃストレスかけられてる人間結構やばくね??生きてるだけでえらくね??と思ったりもした。

◇目覚めることについて
 そして私たちは目覚め、希望の朝を迎えるようだが、多くの社会人にとって朝というのは絶望と共にやってくるものだろう。ちがかったらごめんなさい。少なくとも私は、平日の朝に目覚めることがめちゃくちゃ嫌いである。仕事やら学校やらが始まり、決まったルーティンをこなし、少なからず緊張状態にさらされ、会いたくない人に会ったりやりたくないことをしたりしなければならない。
 けれども私たちは目覚め、今日という日をどうにかこうにか生きている。それはなぜなのだろうか。

それは夢の中の私が、目覚めた後の世界を望んでいるから

 外の空気を吸うこと、ご飯を食べること、風の音を聴くこと、他者と会話をすること、他者と思いを通わせること、素晴らしい景色を自分の目で見ること、物語を読んで涙を流したり、こうやってあーでもないこーでもないと考えながら文章を書くこと、全部、起きていなければできないこと。夢の中の私ではできないこと、生きている私が、起きていなければできないこと。
 だから、夢の中の私はきっと、そんな目覚めた後の現実世界に行きたくて、目を覚ませとこの身体を起こそうとするのではないかと、なんとなく、そんなふうに思ったのであった。

◇生命体は、なぜ眠るのか 
 スターレイルの開拓者は、この問いにこう答えた。

「夢から覚めるためだよ」

 もう本当にこれがしっくり来た。本当に本当に、これでもかと夢の中で過ごしてきて、時計屋に出会い、その意志を継いで、開拓の道を歩むと決めた開拓者のことが大好きになった。
 人間は眠り、夢を見て、夢から覚めて、生活を営み、文明をつくる生き物で、歩みを止めず、よりよい明日を目指す。それをうつくしく、尊いものとして、大切に大切にしてきたのが時計屋というひとの正体だったのかな、と思う。
 自分を好きになれなくても今日を楽しく生きて、明日もちゃんと生きていくし、自分の嫌なところに毎日直面しているけれど、どうにか受け止めて生きてこられている。たとえ自分のことが嫌いでも、嫌なやつだと絶望しても、他者が怖くても、目覚めたくなくても、明日を迎えたくなくても、私は、夢の中の私が目覚めることを望んでいることがわかるから、明日も目覚めて生きていくことを選んだ。それがきっと、私の開拓の道なのだと思う。


 とか言いつつたぶん私は私のことが大切なんだと思う。物語を読んで本当に目が覚めるような気持ちになれる自分のことが好きで、物語が好きな自分のことが好きなんだと思う。
 結果的に前を向かせていただき、たいへんたいへん、助かるストーリーでした、ピノコニー開拓クエスト。ありがとう焼鳥兄さん。ありがとうホヨバース。
 久しぶりに文章が書けてなんだかとってもスッキリしました。もしここまで読んでいただいた方がいらっしゃいましたら、大変ありがとうございました。スターレイル、今後も楽しみです。

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