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28歳になったので、母国でない場所に生きることを真面目に考えた

こんにちは、もえやんです。

これを書いているのは9/7なので、明日9/8誕生日を迎えて28歳になります。27歳はかなり転機になった1年だったので、久々にnoteを書いてみることで1年の振り返りをしてみたいなと思います。

外国で迎える祖父の死と、午前休と、私と祖母の誕生日

9/6、金曜日の午前中は偶然にも有給。朝目覚めると母からLINEが来ていて、「祖父が今朝亡くなりました」と。

母方の祖父はもう90近くになるので、平均寿命くらいで、死とは距離が近く、一般的には「長生きしたね」くらいの年齢でした。私は今セブ島に住んでいますが、前回日本に帰国したときに祖父に会ったときはとても元気で、健康診断も問題なく、目の前に出されたご飯(成人男性1人前)も平らげてしまうくらいに元気でした。なんとなく、きっとまだ元気でいてくれるだろうとどこかで思っていたりして。またご飯行こうね、と施設で別れたのを覚えています。

祖父が死に近いという話は全く聞いていなかったので(家族の私への計らいだったのかも)、驚いて母に連絡したところ、少し前からいつ急変してもおかしくないと言われていたとのこと。亡くなる前日の夕食は完食し、亡くなる朝も話ができたが、お医者様が会話の1時間後に見に行ったら息をしていなかったそう。誰にも看取られずに逝ってしまったのが、なんとも頑固な祖父らしいなと思いました。

うちは祖母を早くに亡くしていて、祖父が1人になって20年位経つので(こう書くと、人が1人成人できるくらい愛する人を失い続けていたんですよね)、苦しまずに愛する人の元へ逝けたならなよかったのかもしれないと思いながら、哀しみにくれているであろう母の近くに居られないことが少し悔しくて、たまたま私が午前休でその知らせをうけたのも、2日後が私の誕生日なのも、今月が祖母の誕生日月であるのも、生きるを考えろと言われてるようだな、と。

私は今セブ島に住んでいて、たまたま年に1度のVISAの更新期間中だったためにすぐにパスポートを手元に用意することが難しく、葬儀には出れないことになりました。外国に住むことを決めた時点で覚悟はしていたけれど、実際にこういった場面に遭遇して、親戚や友人との大切な時間を犠牲にしてまで自己実現をすることにどれくらいの意味があるのだろうな、と改めて考えました。

結婚と、普通の人生を歩むことと、離婚

近しい人にはお伝えしていますが、7月に結婚を解消しました。結婚期間は2年で、半分はセブ島に住んでいたので、同じ地で夫婦生活をしたのは1年くらいになります。

実は離婚のきっかけになったのも同じようにVISAの問題で日本に突然帰れなくなったことがありました。「海外にいるってそういうことだから、しょうがないよ」とパートナーは言ってくれましたが、それを大きなきっかけとして、結局離婚することになりました。

良くも悪くも、結婚してから「このまま普通に"ママ"をやって、同時にバリバリキャリアをこなして、想像できる道を歩むことに人生を賭けていいのか」と思うようになって、海外に住むことを決め、その1年後に解消。どんな道にも後悔は全くないのですが、もう少し各方面に努力ができるような大人にならないといけないなと大きく反省しました。

海外に住むと、人との物理的な距離と比例して心の距離も大きくなります。お互いにそれを埋めるような努力ができなければ、また、その努力ができるほど相手を想わなければ、きっと心の距離を埋めることは難しい。結婚式に来てくれた人にも、こういう夫婦の形を応援してくれた人にも、そしてパートナーに対しても、私の「失敗してからじゃないと気づけない」ような悪いところが出てしまったなぁとぼんやり思っています。


(この話は、どう頑張っても私とパートナーのどちらが話すかによって切り取られ方が変わり、ある種の自分語りになるので、可能な限りニュートラルに書きましたが、パートナーと私のどっちかがかわいそうだなとか無駄な感情を抱かれないといいなと思っています。円満離婚(?)なので私は傷心はしていないです、友人のみなさんはぜひ直接話しましょう!)

それでも外国に生きることを選ぶのは

「外国」って改めて見るとすごい響きですよね。ずっと昔に作られた言葉であるはずなのに、未だに多く使われるのは、国という概念やアイデンティティがいかに人間の社会に根強いかを表しているようです。

話が逸れましたが、大きな人生の転機を2つくらい迎えてみて、「もしこれが起こることが事前にわかっていても、セブ島に住むことを選ぶか?」と改めて問うてみると、やっぱりYESだなと。いろんな痛みを超えてもここに居続ける理由は、「自分がありのままで居ても活躍できることを感じられる」から。

"外国"に居る人って、かなり根強い「国」というアイデンティティと、それに紐づく何かを捨ててまで、ある目的を持っている人たちの集まりなんですよね。だからこそ、斜に構えてみたり、誰かを貶めたり、何かをバカにしたりすることに時間を割かずに、まっすぐに自分の人生を生きている人が多くて(日本に居たときが逆だったと言っているわけじゃないですよ)。

そういう人たちに囲まれると、誰かの評価が関係なくなって、あらゆる物事に対して自分がどうやってバリューを発揮できるか、発揮していきたいかをものすごく考えるようになります。主語が「誰か他の人」ではなく、「自分」になるのが素敵だな、と。特に自己承認欲求の塊のような私にとっては、「自分の周りに対して、自分自身がどうやってバリューを発揮したいか」を突き詰めることが自身の幸福につながるなと思うことが増えました。自分がどういう自分で在りたいかと向き合う環境やチャンスは、自ら作っていかなければならないなと強く思います。

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また話が逸れますが、私は、人のご縁にすごく恵まれています。でもそれは、自分が選んだというよりもかなり運の要素が大きいなと思っています。

自分がコントロールできないものに直面すると、それによって哀しみを背負う人たちのことを想います。たまたま運が悪い人は?救いようがないのか?と思うと、どうしても哀しみを他人事には思えなくて。自分で決めた道を正しいものにすることが、掴んできた運に繋がっていると思えるようになったら、きっと運はコントロールできる。そうやって色んな人が、自らの選択に自信を持って、それが結果的に一人ひとりの幸せに近づくといい、というのを人生を賭けて体現していくことが自分がやっていきたいことなのかなと最近は思っています。だからこそ、色んなものを諦めて外国に住む選択を自らすることで、最終的に掴む運も、自分が意思決定して掴んだものだと証明していきたいきらいがあります。


ということで長くなりましたが、27歳はいろんなことがありました。まだまだ外国で圧倒的に影響力を伸ばしていくつもりです。Happy Birthday私。

それから、いつも良くしてくれる家族と友人へ、いつもありがとう。好きな人へは「好きだ」と言葉にして伝え続けられるような人生にします。

以上、もえやんでした。Peace!

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