国際都市カイロのチップ文化

①タクニーシュ、②カンニッシュ、③キート

というアラビア語エジプト方言をご存知だろうか?
現在、何かしらアラビア語を習っている方がいたら、ぜひ先生に質問して欲しい。
ちゃんとした先生なら絶対知らないはずである。
そして、④バクシーシ。
ここまでくるとカイロに滞在したことがある人ならわかるかもしれない。
これらは全て、ナイトクラブでよく使われる言葉で、客が任意で支払う「ご祝儀」「心づけ」「チップ」を表す。
ものを入れる袋なら、コンビニ袋もトートバッグもハンドバッグもデイパックも車のトランクも「シャンタ」一言で済ますのに、ナイトのフィルース(現金)に関してはこの多さ。日本にはチップ文化が無いと言われているので、ここは国際紳士淑女推進協議会会長として、国際都市カイロのチップ文化を学んでいきたい。


みなさんが使えそうなところから説明してみよう。
④はナイトのトイレ番(客用トイレには、用を足しにきたお客さん専門の世話係がいる)にチップとして渡すお金のことで、だいたいの場合は、5ギネー、10ギネーの少額の札。用足し後、手を洗う時に甲斐甲斐しく世話をしてくれるが、任意なので払わなくとも可。別に1ポンドでもいいのだろうが、ナイトに来るお客さんはお金持ちが多いので、あまり持ってないと思う。
一般に使う時は、その辺のガキにお使いを頼んだ時、物乞いにアッラーからのお恵みを乞われた時、馬に乗りに行った時に馬引きの小僧に渡すお金、がバクシーシである。とにかく少額。


①②は公演中や公演後にお客さんから直接手渡しでもらえる祝儀のことだが、私たちのグループでは2つを混同して使っている。実は②には「恫喝する」「カツアゲする」の意味を含んでいる。「なんかいいもん持ってるだろうがよー!」という感じがカンニッシュ。言葉尻だけは犯罪(ハラーミー)の域ということだ。
そういうわけで、タクニーシュがより上品な言い方ということになる。
タクニーシュに関してのルールだが、今までの調査によると、、
・バンドの看板(うちの場合は、サード エル ソガイヤル)が客からもらうお金は、高額紙幣(200ギネー札以上)に限りすべて彼のもの。もちろん外貨もありで、私はサードが、今は発行されていない500米ドル札をつまんでぴらぴらしながら歌っているのを見たことがある。他人事なのでよくわからないが、低額の紙幣はナイトのものになるらしい。
・披露宴でもらうことは禁止行為(マムヌーア)で、見つかるとすべて没収、返還の後、ペナルティーとして数日の休みを言い渡される。
・バンドメンバーは、ナイトクラブでのみタクニーシュ受け取り可。これについては入団して数日後、サードから直接「客から呼ばれたら、なるべく人に見られないように、上品にいただけ」とジェスチャーを交えながら講義があった。
・メンバーは20、50ギネー札は公認で受け取り可で、お金は受け取った人のもの。共同作業で高額をゲットすると、後でみんなで分ける。スターとは逆に100、200ギネー等の高額紙幣をもらっているのを店のスタッフに見られると、没収されることもある。またナイトのスタッフと仲良くなると、「くれそうな人がいたら呼ぶから、後でちょっと分けて」と交渉も持ちかけられることもよくある。
・爆音の中ではあるが、客と話すことは自由なので、こちらからタクニーシュを要求することもできる。その場合はお客さんに対して「タクニーシュ」「お金」という単語を使ってはならない。失礼のないように話しかけ、自分がお金が欲しいことを客に連想させ、進んで渡してもらえるようスマートに行うことが美学なのである。


だんだんどうでもよくなってきたが、続けよう、、。
私が気になったのは、グループのパートによって機会の不公平が生じることだ。
前にもここでお知らせしたと思うが、私たちのバンドは大きく分けて、A.ダンサーズ、B.踊るドフとサガットの移動演奏隊、C.バックで演奏、の3部隊に分けられる。披露宴営業の仕事のみでナイトクラブ出演機会ががほとんどないAチームはちょっとかわいそうに思う。
私の属すBチームは客から一番近い有利なポジションにいる。ただし、ドフとサガットで多少の差がある。私はサガット(鉄のジル、こちらではトゥーラという)を装着しているため両手が塞がっているが、ドフは片手がフリー。さらにドフは途中で一瞬、演奏を止めて逆さにし、オケ状にして、「ここにたくさん放り込んで!」みたいなジェスチャーもできる。私にもドフよりも自由に動き回れるという利点はあるが、肝心なフィニッシュのところでドフよりも不利だ。手のひらにあるでかい楽器が邪魔をしてくれる。私が「ちょうだい」の手をしたとしても、開いたサガットを見せらた客には何のことかわからないのだ。
ある日のこと、披露宴営業を終わって次の仕事でナイトに向かうバスの中、同乗の野郎どもが何やら盛り上がっている。尋ねると、終わって別のバスで返されているAチームのムハンマド サラーハ(仮名)が500ギネーものタクニーシュをゲットしたそうだ。彼のひと仕事の給料の10倍近くの大金を、、。禁止事項のことを思い出し、とっさに「さっきの披露宴で?」と聞いたが「ぜんぜん有り」ということらしい。翌日、本人に直接確認したが、本当だった。どうやってゲットできたかも聞いたが、演奏もしなければならないキャリア3ヶ月の私にとって、できるとは思えないほどシンプかつ至難の技だった。
もう気づいている方もいるだろう。ネタは振ってある。そう、誰にも見られなければ、披露宴でもナイトでもいくらでもタクニーシュをもらっていいのだ。成功失敗はインシャアッラー!。激安の日当で雇われた、嫁や子どもを食わせていくためリスク承知でチャレンジする者を、全知全能の神はお許しになることもあるのだ。


③キートというのは、カイロのナイトクラブ名物、5ギネー札(コンラッドのナイトだけ10ギネー札)のばら撒き、お札のシャワーのことである。
伝説のダンサー、スヘイル ザキが、客からもらった繋がったお札をお腹に巻いて踊ったのが由来だと言われている。その後、ダンサーへのご祝儀は、衣装のブラ紐や腰辺りにお金を挟み入れるスタイルになり、お札の価値の低下に伴って、今のばら撒きスタイルとなった。
システムはこうである。まず、額面1万ギネー(2000枚の5ギネー札)をバラ撒きたいとする。その場合は、お店に半額の5000ギネーを払えば、ゴムで縛られた1万ギネー分の札束を持ってきてくれる。つまり、お金を額面より少ない額を払って借りている(買っている)ということになる。そして、客やシーズンよってレートは変わる。常連になると1000ギネー払えば1万バラ撒ける人も、一見さんでお金持ちだったりすると額面どおり普通に両替してばら撒く人もいる。宗教上はお金をお金で買うことも、粗末に扱うこともイスラームでは禁忌行為(ハラーム)なのに。
撒かれてダンスフロアに散らばったお札だが、ナイトにはお札を集める専門の若者、通称「お札ボーイズ」がフロアを囲むようにして5〜6人常駐している。彼らの仕事はお札を集めることと、バラ撒かれたお札がお客や出演者に持って帰られないように見張ること。お札はすべて、最初から最後までお店のものなのだ。「土俵の鬼」大横綱、故初代若ノ花は、「土俵には金が埋まっている」と、食えない弟子たちを励ましたそうだが、私たちは私たちに向けられて撒かれているはずの、ひらひらと落ち、フロアにずんずんと積もっていく、手を出せば確実に取れそうな大量の5ギネー札を、一枚たりとも手にすることはできない。
集められたお札は通常、一旦、70cm四方のコンパネ製の賽銭箱に入れられ、また演者の入れ替わり時間には一気に作業を行う為、膝を抱えた遺体が一体すっぽり入りそうなくらい大きな布製のゴミ袋に入れられて事務所まで運び、袋を逆さにして一気に出され(この時、事務所はお金に埋もれている)、彼らの手作業で綺麗に揃えられて両替所にあるようなお札を数える機械にかけられ、100枚ずつゴムで縛られ札束にされ、5束にまとめてゴムで縛られ、銀のお盆に塔のように積まれて客の元に運ばれていく。ずっとこれの繰り返し。


ダンスフロアに目を向けてみよう。
サードもバンドも調子はバッチリ。今、まさにライブのピークである。
フロアでは歌手の他に12名のBチーム、10名のリクラーム(ホステスさん)、10名ほどの湾岸系外国人と思われるほろ酔いのお客さんが歌い踊っている。ステージ袖のテーブルに陣取る客から、その状況に対して5ギネー札のシャワーが浴びせられる。性的興奮を助長しそうな服装の女性たち(ハラーム)、酔っ払い(ハラーム)、ばら撒き(ハラーム)、総じてハラーメイヤ。これで豚まんやトンカツを食べていたらハラームの九蓮宝塔だが、なぜだかそれはない。
遠くの方で踊っている人の足元を見ると、フロアに這いつくばるようにしてボーイズがお札を集めている。その数分後には集めた大量のお札を両手を広げ、まるで土砂をまとめて移動させるブルドーザーのようになりながら、お札を踏みしめて踊っている私の足元にまで到達する。膝や脛辺りをトントンと叩かれれば、「ちょっと足あげて」のサインである。
しかし、なんという状況。ここは天国か?地獄か?もし今すぐに神の審判が降れば全員、地獄へ直行を命じられるのは明らかだし、それをみんな分かってやっている。
私にとってはただの仕事の時間だが、時折、人生とは何か?人の幸せとは何か?という哲学的な質問が頭をよぎる。
この人たちは何も生産しないこのシステムに、大量の私財を投入して幸せなのだろうか?
私には、汗水流して稼いだお金をこんな風に使うことはできない。要らないお金ならどこかに寄付すればいいじゃないか。恵まれないミュージシャンにタクニーシュとしてくれてやればいいじゃないか。もちろん慈善行為をやってから遊びに来ている人もいるかもしれないが、とにかくもったいない。もし私が客の立場に立ったら、たぶんここに幸せは感じないだろう。でも大きく考えると、貧乏なエジプトにお金持ちが寄付しているとも言えるので、最終的には経済効果はあるのかもしれない。それでも私はやらない。
続けられる仕事があり、報酬をいただき、決して裕福ではないが、食いものだけは異常に安いこの国で、一人淋しくではあるが、病気もせず生きながらえていけるだけで、私は幸せである。仕事においては、お客さんがヒートアップしてくれるのが幸せだが、禁忌行為を助長しているので私もハラームを犯している。
何が良くて何が悪いのか、もう普通にいろいろありすぎてどうでも良くなってくる。
カイロあるある、である。
本日の教訓。
同じ阿呆なら踊らにゃ損、損、、、
毒を喰らわば、皿まで、、、
もういいわ。

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