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クイズの都、永遠の憧れ

昨日まで、横浜市にあります放送ライブラリーさんにて
「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」
の早押しテーブルと、ウルトラハットを利用した撮影スペースが設置されておりました。

期間の後半になりますと、実際に当時のアメリカを旅した方々が来場しておられた、という報告も増えており、ウルトラクイズという番組はやはり大きな大きな、沢山の方の心に残るコンテンツだったのだなぁ……と自分も含めて、思い出や憧れと共に思い思いの記念撮影をされたのだと思います。

ヘッダーに使った画像は、当時実際に使われていたジュラルミンケース。
この中にあのテーブルやハット達を収めて、東京からニューヨーク(基本)への長い長い旅路を何度となく突き進んでいたのだな……そういう感慨に浸ったわけです。

第一回開催は1977年。自分が生まれる2年前の話。
そして通常回のラストとなった第16回は、1992年。
18歳以上(年齢上限は45~50歳までという変化が途中存在しました)というレギュレーションがあり、参加資格のなかった自分は、放送の時期になるとテレビにかじりつくように、いつかはこの旅路に参加するんだ!という夢を抱いていたのを思い出します。

92年の通常回が終了し、98年に「今世紀最後」と銘打って行われた大会の時は、18~19歳になる頃。応募して通知が届けば参加出来るタイミングでしたが、人生の中で「明確な初めての挫折」に苦闘していたということもあって応募はせず。
そしてそのまま、時は四半世紀以上流れ今に至っております。

今回の企画を知ったとき、一つのアイデアが頭を駆け巡りました。
そしてそれに呼応するかのように、一つの奇跡が起こります。
昨年末ごろ、東京都内某所にて、憧れの方とお会いする機会を得て、アイデア実行へのアクションを提示し、ご快諾いただいたのです。

その方は、とうちゅう永田こと、「冬虫夏草」永田喜彰さん。
2月最初の「オトナのオアソビ。」にご来客いただき、昭和末期~平成冒頭の頃に実際体験された事の話や、若き日に自分が直接お会いする機会となったキッカケの話など、色々とお話させていただきました。

八割がたが脱線トークだったりしたのは御愛嬌、といった感じでしたが(それで済ませていいのか?)、また次の機会を作り、一つの伝説となっている「ボルティモア決戦」へと話を繋いでいこうという構成とさせていただきました。
通常のオアソビ。と比べ多くの方にご聴取いただき、やはりウルトラクイズとはそれだけのエナジーを持った番組だったのだと、実感した次第です。


Twitter(X)にも画像は投稿しましたが、自分と相方のMDさんも、あのハットを被って記念撮影を行いました。
ハットをかぶれるんだ!というドキドキを胸に、実物を触り、かぶってみた時の感触。「鉄帽を被ってるんじゃないか??」という、かなりの重量感。
配信中に話たのですが「これかぶってクイズやってたら、集中力保つのは大変だったろうな」というのは偽らざる本音でして(鉄帽をたとえにしたのは昔の職歴ゆえ)、「知力・体力・時の運」というフレーズに相応しい象徴が、ウルトラハットなのだと実感した次第です。

沢山の人たちの夢の積み重ねが、あの重量感なのだろうと思います。
間接的にではあれど、それについてのエピソードトークをさせていただけたのも、自分にとっての記念となりました。

7年ちょっと「オトナのオアソビ。」という配信を続けさせていただき、途中配信日が水曜日から木曜日へと変化したのですが、「早く来い来い、木曜日」という単語に呼応するかのように、木曜日配信へ導かれたのかな??と不思議な御縁だったのではないかとも感じながら、夢のような時間を過ごさせていただきました。


時代の変遷を経て、今では昔話・伝説として語られるようになった怪物コンテンツ。
当時を知る人だけでなく、直接は知らないという世代の方にも知ってほしいという願いもありますので、また機会を設けてほしいと切に願う次第です。
そのときが来たら、また何かしらのアクションは起こそうと考えております。早く来い来い、「その木曜日」。



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