一休道歌の書3

「有漏路より 無漏路へ帰る 一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け」

一休禅師の名前の由来らしい。
仏教用語では、有漏路は煩悩や迷いの世界。無漏路は悟りの世界との事らしい。

ふむ。音楽をこよなく愛する一百姓の私は、坊さんではないので仏教用語はよくわからないが、せっかくなので、この詩を味わってみたい。

有漏路はこの世で、無漏路はあの世らしい。
よく死後の世界なんて言葉も聞くが、生前の世界も同じように思う。
生まれる前の事は全く覚えてはいないが…。
もちろん、今、私は生きているので死んだ後の世界もわからない。死んでないので。

しかし、煩悩であればわかる事もある。
108の煩悩で済めば良いほど、私は煩悩と良し悪しは別として、長くお付き合いさせて頂いている。

煩悩を煩悩と知れば、それを見逃す事は少ない。
山遊びで例えるならば、
山でキノコや山菜を採りに行っても、それがわからなければ採りようがない。
不思議と、登っている最中に山菜やキノコを見逃していても、何度か見つけて採っていると、同じ場所を帰っている時、それらをよく見つける。
それもまた楽しい。

私は失敗や間違いを、山菜採りと同じように楽しみとしている。
もし、失敗や間違いをわからないまま過ごしてしまえば、あまりにも学びの少ない人生になってしまう。
まあ、人によっては自分で本当はわかっていても、意固地になって無知を正当化してごり押しする謎の奇行に走る人もいるが、それはそれで見ている分には面白い。
私も自分自身の無知を正当化した事もあるが、大抵は反省して「ごめんなさい🙏」と謝るパターンになる。迷惑をかけてしまうので。
迷惑も、迷い惑わすと書くのだから、有漏路特有のものなのかもしれない。

悟りとは程遠いかもしれないが、せっかくの有漏路なので、迷惑をかけながらも助け合い、出来るだけ色々とサポート出来るように精進していきたいと思う。

とりあえず、作業がし易いように草刈りを今日はしよう。雨の影響で生い茂ってしまった…。


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