見出し画像

安心できる家族が欲しかった。だからもう、黙って泣くのはやめる。


はらはらととても静かに、涙を流すのが得意な大人になってしまった。ここ数年で出会った友人は、感極まって泣くわたしのことを何度も見ているだろうから、きっと驚くと思うけれど、わたしは人前で泣けないこどもだった。泣くと、母が怒るから。「泣けばいいと思って!」とますます怒るから。


とにかく、ひとつの波紋も起こさぬようにとてもお利口さんでいようと努めていた。だけどそんなわたしの努力もむなしく、3日に一度は寝ているときに叩き起こされて、深夜すぎまで説教をされるか、両親の怒鳴り合いをじっと聞かされるような日々が、自我がはっきりした頃から18歳まで続いた。家族の中でわたしは一番幼く、無害で、ゴミ箱としてぴったりだった。親族が母の悪口を、母が親族の悪口を、好き勝手わたしにぶつけ続けた。意味もわからぬ小学生の頃から、不倫や、借金や、精液や、横流しといった言葉をなす術なく受け取っていた。
こころを無にすればいいんだ、と、呼吸を繰り返す人形のようにただ椅子に座って時間が過ぎるのを待った。きちんと無にする術は覚えていたはずなのに、ひとり、子供部屋にもどってベッドに潜り込むと、空っぽになったはずのこころには汚い言葉が溜まりに溜まって、それが溶けて涙となって溢れかえった。深く、細く、長い深呼吸をして、なるべく音を立てずに泣いた。掛け布団にくるまって、体を小さく丸めて、この部屋の外にわたしが泣いてることを知られてはいけないと思った。怒られたくなかった。抱きしめてもらいたかった。


友人に恵まれたおかげで、喜怒「 」楽が豊かな人間に育ったけれど、哀だけが、いつまで経ってもうまく表せずにいた。

18歳で実家を出て、夜中に不安で泣き出したり、過呼吸を起こすことがなくなった。20歳で好きな人に好きをもらって、他人の寝息がこんなにも安心をくれるってことを知った。それでも、哀を表現することはとてもとても困難だった。わたしの身体にはすっかり、とても静かに泣く、という厄介な技が染み付いていた。安らかな寝顔を見つめながら、水が、目から耳へとつたい続けることが度々あった。どうすればいいのか、よく分からなかったけれど、たぶん、抱きしめてもらいたかったんだと思う。そんな簡単なことを、伝えることも上手にできなかった。


2019年の秋。わたしが家を出て7年。7年という時間で、祖父は亡くなり、祖母は老いて、父と母からは争うエネルギーを奪っていった。そして、兄が結婚をした。

結婚を機に、わたしたち家族と、兄の結婚相手の、5人のLINEグループができた。そこでは数日おきに穏やかな会話が続く。今日の猫の様子、畑で採れた野菜、趣味のキャンプ、遠出の思い出。家族らしいそれは、わたしがまだ家族という重荷を背負っていたときに、欲しくて欲しくて堪らなかったものだった。そこでは誰も怒鳴らないし、責めないし、物も投げない、わたしが生まれたことを否定することも、離婚届で脅されることもない。あんなに欲しかったのに、わたしはその会話にどう加わればいいのかよく分からずに、度々付けられるメンションに、スタンプひとつで答えることもできない。
7年かけて、彼等はすこしずつ丸くなって家族という型に収まったんだ。他方わたしは、7年かけて、家族の重荷とうまい距離をとり、誰にも侵害されない自分の世界を作り上げた。


一年に一度くらいは、実家に帰る。だけどうまく笑えない。口が鉛のように重くなって、言葉が続かない。本当は、欲しかったあの家族に加わりたいと思っている。甘えて、ねだって、ほころんで、そういうことがしたいと思っている。なのに、どう振る舞えばいいのか頭が真っ白になる。かつて恋人に言われた言葉を何度も思い出した。「君が家族に会って欲しがったのに、なんで、家族を前にするとなにも話さなくなるの。全然いつもと態度違うじゃん」分からなくなるの。自分でもどうしようもないの。理想に、現実が、追いつかないの。彼の苦笑いが、申し訳なくて苦しくて、痛かった。


先日、悲しいことがあった。友人のわたしに対する言い方が杜撰で、まるで対等じゃないような印象を受けた。ぐっと口を曲げてしまったが、思い切って指摘した。「その言い方は違うんじゃないかな。とても悲しいです」、「わたしはこう受け取ったよ。でも、伝えたかったのは違うでしょう?」、「だったら、こんなふうに言ってくれたら、気持ちよく受け取れます」。ちゃんと伝わるか不安で、いつものように饒舌には話せなかった。けれど、友人は嫌な顔をしなかったし、素直に聞いて謝って納得してくれた。なんだか、すごく、誇らしかった。ほんの小さな成功体験だ。中学生かよ、と思われるかもしれない。でもわたしは、自分が成長していると思えて、自分をもっと好きになれた。


大丈夫になっている。時間はちゃんとわたしの足も前に進めている。


静かに泣く技は、もう、使わないことにする。泣くときはきちんと、「わたし、いま、悲しいの!」と声に出して言おう。もうだって、人形じゃないし、ゴミ箱でいる必要もないのだ。自分で家族を選べるし、自分で家族を許すこともできるのだ。すごく時間がかかると思う。ここまでだって長かったから、この先も、きっと時間がかかるだろう。それでも、変化は急激には起きない。ぬるっと、いつの間にか、変わっていくんだ。すこしずつ言えたらいい、「悲しいの」も、「楽しそうで良かったね」も、「抱きしめて」も、すこしずつ言えるのようになろう。安心できる家族が欲しかった。だから、もう黙って泣くのはやめる。安心できる家族は、わたしが作っていくんだ。

サポートしてくださったお金は日ごろわたしに優しくしてくださっている方への恩返しにつかいます。あとたまにお菓子買います。ありがとうございます!