気持ち良い感覚と"残す"意識

【注意】自分用に書いてます。思いつきかつ殴り書きで書いてるのであまりちゃんと読まなくていいです。

日記を初めて書いた日の夜に布団に入ったら、なぜかやけに気持ちが良かった。なんでだろうなぁと考えていたら、1つの仮説が思い浮かんだ。日記に”残す”と気持ちが良いのではないかという仮説である。なぜなのかというと、私はその日に何か過ちを犯しており、反省しなければいけないことを日記に書いていた。つまり、その日記を見れば自分の反省すべきことがわかるのである。人間は反省して成長していく。そのため反省すべきことを時間が経って忘れてしまっては成長できない。私は反省すべきことを日記に書くことによって忘れずに済むという安心感で気持ちが良くなったのではないか。反省と書いたが振り返ることができれば別に楽しかったことでも良いかもしれない。経験の記憶はその人に蓄積していき、自分自身を形作る財産となる。友達や仲間に愚痴を言ってすっきりするというのがある。これも同じように、友達や仲間の記憶に自分の体験を”残す”ことによって忘れずに済む安心感を得ているのではないだろうか。”残す”ことが気持ちの良いことだとすると、他には何があるかと思ったが、割と全てである。人との会話もそうだし、おつかいや接客業、スポーツ、ゲーム、勉強、全てである。全てか、、あれ、おかしいなぁと思い出した。日記に残すのが他にやっていることに比べてやけに気持ちが良かったので違和感があった。もしかしたら、”残す”という意識が良かったのかもしれない。何かを残して次の日に活かすという意識で残した時に気持ち良くなるのではないか。いや、それは違うような気がしてきた。受験勉強をしているときは何も楽しくなかった。もしかしたら、この気持ちよさは1日を噛み締めて(味わって?)過ごせたということではないか。

感覚としては旅行に行った日や思いっきり運動した日のような満足感の高い時と似ている。楽しかった日は何もしなくても勝手に脳内で振り返る。日常の生活も同じように振り返れば楽しくなる(気持ち良くなる・すっきりする)のかもしれない。

私はこの説が正しいか確かめるために毎日寝る前に1日を振り返ることにしてみようと思う。ただ、今の感覚では振り返るなら日記に書いて”残した”方がすっきりした気分になる気がする。

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