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矢口高雄先生と作品と

亡くなられた矢口高雄先生については、改めてテキストで書くとつぶやいていたのに、ズルズルときてしまいましたが。朝日新聞にこんな記事が載っていましたので、良いタイミングということで。矢口先生ほどの方でも、常にこういう不安を抱えていらした訳で。そこは、のんべんだらりと過ごしても給料が出る編集者とは、切迫感が違いますし。フリーランスになってようやく、理解できた部分です。

矢口先生は30歳という、当時としてはかなり遅いデビュー。なにしろ少女漫画家とか、高校生デビューや中学生デビューも普通にいた時代ですから。なにしろ、10歳年下の弓月光先生よりデビューが1年遅いのですから。しかも、銀行員という安定した職業を捨てて。既にお子さんも二人いて、良く思い切れたなと思いますし。それ以上に、奥さんがよく後押しされたな、と。普通ならそんな夢を追う旦那なんて、離婚の危機です。

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■出会いは瀧太郎にバチヘビ■

矢口高雄先生と言えば『釣りキチ三平』で、自分らが小学校のときにアニメ化されました。もっとも剣道のクラブ活動で、めったに観られませんでしたが。ビデオはまだ高価で、普及していませんでしたから。自分はO池の瀧太郎あたりから漫画は読み始めて、ワクワクしましたね。釣りは趣味ではなかったので、当時はその緻密な絵柄がちょっと怖く、怪奇漫画として読んでいた部分もあります。

むしろ、時代的にはオカルトが人気で、ツチノコブームを呼び込んだ本作が、話題になっていた記憶が。当時はヒバゴンとかツチノコ、ネッシーなど、UMAが学年誌でもかなり人気のコンテンツだったんですよね。鹿児島でも池田湖のイッシーとか、話題になっていましたし。矢口先生もツチノコの話題のたびに、実際に見た人物として、よく雑誌のインタビューを受けておられました。

そういう意味では、自分は大ファンというわけではなかったのですが。むしろ長じてから釣り漫画以外の、博物誌モノと呼べる作品が好きになりました。秋田出身という点を活かしての、マタギを列伝形式で描いた作品は、南国生まれの自分にはとても新鮮で。カモシカとの死闘を描いた『アオの寒立ち』とか、そのラストシーンに震えましたし、鷹匠の老人と鷹の壮絶な関係を描いた『鷹の翁』など。傑作ぞろい。

■釣りキチ三平以外にも傑作が■

手塚治虫先生も絶賛した緻密な自然描写は、同業者からも一目置かれる存在でしたし。小学生の頃、椋鳩十先生のファンでもあった自分には、むしろこちらの作品群がしっくりきた部分があります。当たり前ですが、自然描写に長けた漫画家でないと、こういう作品は難しいです。矢口先生は川の水と海水と沼の水を、描き分けられる方でした。もっと言えば、北の河川と南の河川さえも。

思想的には矢口先生は、やや左寄りな方でもありました。鮎川魚紳さんが当初はアウトロー的であったり、釣りキチ三平のフィナーレに30万人の釣り好きとの大行進で終わるのも、そういう昭和の気分が反映されています。何しろ、矢口先生がデビューされたのは、70年安保闘争が激しかった頃。『蛍雪時代』はしんぶん赤旗日曜版の連載でもありましたし、東京書籍の教科書にも登場されました。

当時としては全65巻という群を抜いた巻数を誇った『釣りキチ三平』ですが、初期から矢口先生は自伝的な作品を多く手掛ける作家でもありました。釣り少年だった時代の思い出や、漫画家になれるか不安だった頃の水木しげる先生との出会いや、秋田の銀行員時代の思い出など。それ自体が、貴重な昭和の記録でもあります。銀行員を経験した漫画家は矢口先生ぐらい、サラリーマンモノとしても貴重です。

■矢口先生のテレビ出演と表現技術■

矢口先生と言えば、あんがい……というと失礼ですが、恋愛も描かれていました。釣り勝負の印象が強い釣りキチ三平でも、夕立に遭ったユリッペの、雨に濡れたシャツ越しの胸の膨らみを、三平が妙に意識したり。ラブコメの名手というわけではないですが、女性もかわいくて魅力的で、それが作品に彩りを与えていました。長らく絶版だった『かつみ』も電子書籍で手に入る、ありがたい時代です。

矢口先生と言えば、実は自分が小学生時代の『600こちら情報部』やクイズ番組の『どんなモンダイQテレビ』など、NHKの子ども向け番組にも良く登場されていました。男前でしたから、テレビ映えしましたからね。後者は里中満智子先生もゲスト出演されていました。矢口先生は三平のキャラを使って、漫画の表現の解説をわかりやすくやられていました。思えば、漫画の技術を意識した最初でした。

その絵は、三平・魚紳・ユリッペが並ぶ絵なのですが、膝から上だけを見ると普通なのですが、隠していた膝下を見せると、三平が背景からすると同じ地面に立っていないという、今思えば遠近法の解説でした。番組のために、ワザと間違った絵を描き下ろされていたわけで。学生や受講生に技術を教える立場になって、矢口先生の技術の高さを改めて思い知らされるわけで。あのビデオ、NHKに残ってないだろうなぁ。

■田中圭一のペンと箸より■

その矢口先生のご家族について、田中圭一先生が貴重なレポート漫画を書かれていらっしゃいます。Dr.秩父山の頃のお下劣さは影を潜め、イタコ漫画家となっていろんなベテラン漫画家の家族に会って関西人らしくタダ飯を……ゲフンゲフン。お話を引き出すという、とても貴重なお仕事です。お話を伺ったのは、次女の野呂かおるさん。是非リンク先をお読みくださいm(_ _)m

詳しくはリンク先をお読みいただくとして。人生の晩年に、娘に先立たれる逆縁。矢口先生ご夫妻は、この精神的なショックを、なかなか克服できなかったようですが。このレポート漫画が2015年ですから、長女が亡くなったのは8年ほど前ですかね。そういえば『釣りキチ三平平成版』を2001年 - 2010年まで連載された後は、大きな連載をされてなかった理由でしょうか?

個人的には、矢口先生には日本の魚類を全種類、絵に残す作業をやってほしかったかな、と思います。それこそ手漉き和紙に墨で、千年後も残るような。貴重な記録。魚類学者でもある上皇陛下に献上すれば、それこそ未来には伊藤若冲の『動植綵絵』のように皇室御物として、国宝として次世代に継承されたかもしれません。国立博物館でも良いですが。それだけの価値がある描き手でした。

■投稿者に参考にして欲しい一本■

最後に、ちょっと個人的な話を。講師として受講生や投稿者には、よく『ニッポン博物誌』は読み切り作品の手本として勧めるのですが。実は釣りキチ三平の『小さなビッグゲーム』という話が大好きで、一部の人に勧めます。どういう人に勧めるかというと、派手な仕掛けで内容が上滑りするタイプです。

確かに、釣りキチ三平はアカメやイトウ、キングサーモンといった巨大魚を釣る話にワクワクしますが、本作はタナゴ釣りというとても変わった、でも釣りの面白さの本質を突いたエピソードです。タナゴは体長6センチから10センチの小さな魚です。しかし、オチの仕掛けがとても秀逸で、伏線の回収も自然、三平のキャラクター性が良く滲む、屈指の名作です。少なくとも、自分はそう評価しています。

漫画は第26巻収録、アニメだと第33話です。そもそも、タナゴ釣りという教義があるという驚き、何も派手な釣りでなくても感動は生み出せる、何よりキャラクター性が滲むエピソードで、しかもある種の謎で読者を引っ張る上手さ。漫画の面白さが凝縮された作品として、参考になるでしょう。素晴らしい作品の数々を矢口高雄先生、ありがとうございました。次世代に継承するのが、自分らの務めです。



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