村田兆治さん死去
◉Twitterで、意識不明の重体という一報を目にし。まさかと思っていたのですが、それから数時間後に、亡くなったとの報が……。残念です。自分は高校まで正直、それほど野球が好きだったわけではありません。昭和生まれの人間として、人並み程度の興味と関心でした。しかし、村田兆治さんの復活のドキュメンタリー番組をNHKスペシャルで見て、ファンになりました。
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マサカリ投法と呼ばれた豪快なフォームから繰り出される、豪速球。日本記録の暴投数を誇った、キャッチャーも取れないフォークボール。その求道者のような野球に対する態度も、怠け者の自分には心惹かれました。金田正一監督をして、「ワシが走れというたい帖に走ったのは村田だけ」と賞賛させた、圧倒的な練習量。、180度開脚しての股割りから、地面に胸をピタッとつけられる柔軟性。還暦を超えても140キロに迫る速球を投げられたのは、摂生の賜物でしょう。
当時は、投手は肘にメスを入れたら終わりと言われており、遊離軟骨──いわゆる関節ねずみの手術さえ、タブーでした。しかし、村田さんが受けたトミー・ジョン手術は、左腕の余っている腱を右肘に移植すると言う、信じられないような手術でした。アメリカのスポーツ医学はそこまで進んでいるのかと、テレビを見て衝撃を受けました。今でこそ、高校生でも受ける手術になっていましたが、当時は日本人選手での成功例はなく。
圧倒的な練習量と節制を厭わない村田兆治さんだったからこそ、復活できたと思います。その意味で、日本球界に果たした役割は大きいです。執刀された名医フランク・ジョーブ博士をして、トミー・ジョン選手に並ぶ成功例と言わしめたほど。村田さんであれば、八十歳なら八十歳のスピードボールのギネス記録を。九十歳の九十歳のギネス記録を打ち立てられたでしょう。それが叶わないのが残念でたまりません。
大学時代、ガラガラの川崎球場の外野席で見た村田兆治さんは、それでも全力投球をされていました。昭和生まれの明治男、村田兆治さんのご冥福をお祈りいたします。合掌
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