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毎日新聞の稲作伝播記事への疑問

◉日本語のルーツや日本人のルーツに関しては、諸説あります。言うてもユーラシア大陸の東端で、南北に長い島国。北から南から、いろんなルートで人や物が流入してくる地理的条件がありますが。どうにも、他の考古学的研究を無視して、結論ありきの研究に思えて、疑問だらけの内容です。それを一方的に垂れ流す毎日新聞にも、疑問が……。言語学的にも、有り得ない内容が散見されます。

【日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表】毎日新聞

 日本語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だったと、ドイツなどの国際研究チームが発表した。10日(日本時間11日)の英科学誌ネイチャーに掲載された。
(中略)
 その結果、この共通の祖先は約9000年前(日本列島は縄文時代早期)、中国東北部、瀋陽の北方を流れる西遼河流域に住んでいたキビ・アワ農耕民と判明。その後、数千年かけて北方や東方のアムール地方や沿海州、南方の中国・遼東半島や朝鮮半島など周辺に移住し、農耕の普及とともに言語も拡散した。朝鮮半島では農作物にイネとムギも加わった。日本列島へは約3000年前、「日琉(にちりゅう)語族」として、水田稲作農耕を伴って朝鮮半島から九州北部に到達したと結論づけた。

ヘッダーの写真はGoogle Mapsより。河姆渡遺跡の位置、解りますか?

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■稲作のルーツは河姆渡遺跡■

現在の考古学では、地中に残された植物の珪酸物質、プラントオパールの研究が盛んです。イネ科の植物はプラントオパールが多く作られ、種類によって特徴的な形状なので、判別しやすいんだそうで。で、岡山県灘崎町の彦崎貝塚の稲のプラントオパールは6000年前のものと推定されています。最古の稲作遺跡と考えられる、中国浙江省の長江下流域の河姆渡遺跡が、6500年前から7000年前のモノですから、伝播もその頃でしょう。

さらに、熊本県本渡市の大矢遺跡で見つかった籾の圧痕が4000-5000年前と推定されていますから、約3000年前とかどこから出てきたんですかね? 黄海沿岸の地域を、ぐるっと回って寒冷な地域を経由しての、陸路での稲作伝播はムリがあります。そもそも、稲って熱帯夜亜熱帯、温帯でも温暖な地域で育つ作物です。熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカがありますし。半島は冬場はオンドルが必要なほど寒い気候です。そのため、昔から北部はコーリャンの栽培が盛ん。

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稲は品種改良に改良を重ねて、ようやく亜寒帯でも育つようになったのです。あるていど北上しても、限度があります。山東半島から海路で伝播した方が自然です。そもそも、遼東半島で見つかった炭化米が約3000年前ですから。半島最古の松菊里遺跡より古い稲作の遺跡が、半島中西部で見つからないと、陸路による伝播の証明さえ難しいです。

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