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半島の倭人と前方後円墳

◉海南長鼓山古墳は半島南部にある前方後円墳ですが、これがどうやら倭人、つまり原日本人によって造られ、被葬者もおそらく倭人であろうことは、かなり確度が高い研究成果ですから。でも、韓国には不都合な事実。

【朝鮮半島最大の古代の墓、開けた直後に閉じた理由は】ハンギョレ新聞日本語版

[ノ・ヒョンソクの時事文化財] 
長鼓峰古墳をめぐり考古学界で騒ぎに 
日本の古墳に似た構造や祭祀の跡をめぐり議論 
「追加発掘後に一般公開」とし、再び埋める 
墓の被葬者は百済の統制を受けた倭人? 
日本の右翼が任那日本府説の根拠にすることを懸念


朝鮮半島で最大の古代の単一の墓が、新年の始めについに開かれた。考古学者らは5~6世紀の日本の古墳とそっくりな墓の構造に驚き、すぐに土で覆われ再び埋められてしまったことにがっかりした。今年1月、国土最南端の海南(ヘナム)から聞こえた墓の発掘に続く覆土のニュースは、メディアには公開されなかったが、韓国国内の考古学界を騒がせた。
(中略)
 しかし、墓の石室は2月末に再び埋められた。研究院側は「新型コロナウイルスの防疫のための措置で、5~9月に墓の周溝の追加発掘の後に一般公開を推進する」と明らかにした。しかし、一部では発掘による波紋も考慮したものだという見方が出ている。調査内容は、朝鮮半島の前方後円墳の墓の被葬者の議論を再び引き起こす公算が高い。過去20年ほどの間、百済政府の統制を受けた倭人官僚や傭兵という説と、日本に移住し現地の墓の文化の影響を受け帰国した馬韓人または百済人という説など、多くの推測が出された。長鼓峰古墳から九州の古墳と瓜二つの構造と鉄鎧の破片や鉄の矢じりなどの武器類が埋められた事実が確認されたのは、韓国国内の学界に負担になり得る。日本の右派学者が再び任那日本府説の根拠にすることがあり得るという懸念まで出ている。

科学が風評に負けてはいけないように、歴史学や考古学といった学問が政治に負けてはいけません。韓国にとっていくら都合が悪いことであっても、史実は史実として向き合うのが、学問の自由に対する真摯な態度でしょう。

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■海南長鼓山古墳のファクト■

そもそも半島南部の前方後円墳、発見当初は韓国の文化が日本に伝播した証拠と、韓国の史学会やマスコミは、色めき立ったんですよね。ところが、考古学的な調査で海南長鼓山古墳は5〜6世紀の古墳と推定されてしまいます。日本の前方後円墳は3世紀中頃から始まっていますから、200年以上後。そして、海南長鼓山古墳は墳丘長が76mという、半島においてはかなり大型の古墳です。日本だと中規模ですが。

自分の実家の近隣、東串良町に唐仁大塚古墳という鹿児島県最大で、九州でも3番目の古墳がありますが、これが墳丘長140m。地元の古墳を見ても、大きいのはごく一部で、多くは冬のカマクラ程度の小さなモノばかり。つまり、それだけ大型の古墳を造営できる有力な倭人が半島にいたということ。韓国にとっては、これは任那日本府の存在を証明するかもしれないので、政治的に都合が悪い存在です。

■任那日本府は…あった■

任那日本府は、欽明天皇の頃、6世紀中盤に日本書紀の記述があります。雄略天皇の頃の記述もありますが、多分に説話的。ただ、海南長鼓山古墳の時代と、雄略天皇から欽明天皇の時期って、見事に一致するんですけどね。そもそも、任那の地名は日本書紀のみならず中華王朝の宋書や梁書にも見え、高句麗好太王碑文にも見えます。任那日本府の〝日本〟の呼称が当時は使われていなかったという指摘を捻じ曲げ、存在しなかったとしているのが韓国の学会。

そもそも、中華王朝の魏志韓伝に「韓在帶方之南、東西以海為限、南與倭接。」とあります。これは普通に読めば、北方は大陸の直轄地である帯方郡と地続きで、東西は海で、南方に倭人の国があって国境を接している。トルコのイスタンブールが、ボスポラス海峡を挟んで大陸間に跨った都市であるのと同じ。つまり3世紀の頃の卑彌呼の時代から既に、韓半島の南部は倭人が住んでいたということです。

■縄文時代からの倭韓交流史■

もっと言えば、縄文時代の釜山と福岡の両方から、潜水漁撈を職業とする人間特有の外耳骨の変形が見られる人骨が出ている。こういう骨は静岡など日本各地で見つかっており、これが現在の海女の文化のルーツです。韓国では、済州島にしか海女の文化は残っていませんが、済州島はもともと耽羅国という独立国で、李氏朝鮮に併合されたのは15世紀ですから。日本列島と韓半島は、紀元前からの関わりです。

潜水漁撈は海水温が暖かい南方系の文化で、日本の基底にポリネシア系海洋文化があるのがわかります。冷たい海水に対応して、皮下脂肪の厚い女性がやるようになりましたが。イースター島のモアイが、フンドシで正座し背中に文身(入れ墨)がある理由も、このポリネシア人の文化です。魏志倭人伝には「好捕魚鰒水無深淺皆沉没取之」と潜水漁撈の、「男子無大小皆黥面文身」と文身が記述されています。

■日本のルーツを考える■

日本だと奄美大島やアイヌに、女性にも文身の文化があり、古モンゴロイドのポリネシア人の文化。文身の文化は何度か途絶えてはいますが。元々は華南や台湾にいたポリネシア人の一部が、紀元前2500年頃に南下を開始し、ニュージーランドやハワイやイースター島に至った訳で。サツマイモの伝播を見ると、南米まで渡っていた可能性さえあります。そりゃ島伝いに行ける日本列島なんて、渡航するのは楽勝です。

日本人は、原住民と中国の華僑的な人が出会って、形成された国家という、岡田英弘氏の説に自分は説得力を感じます。巨大な文明圏の周辺諸国なんて、だいたいそんなものです。ここら辺に不満を感じる国粋主義者がいるでしょうでしょうけれど。でもこれは、半島の国家やベトナムなども同じです。シルクロードの終着点である日本は、いろんな人種が入り乱れていますから。国民国家意識も、近代の発明ですしね。

■シルクロードの終着点日本■

ちなみに、近年の植物の珪素結晶体であるプラントオパールの研究で、どうやら日本への稲作伝播は6000年前、中国の浙江省あたりの農耕漁撈民が漂着し、伝えたという説があります。プラントオパールの試料に現代のモノが混入したという指摘もありますが、江戸時代の種子島から島抜けした罪人が、小さな船で大陸に漂着していますから。数百年レベルなら普通に漂着しますね。

また、昔は強引に山東半島から半島南部を経由して日本に伝播したという説が唱えられていましたが。山東半島の炭化米は約5000前のモノが出土していますが、半島では蔚山広域市のオクキョン遺跡が紀元前11世紀の水田遺構で最古。これは佐賀県の菜畑遺跡とほぼ同時か、試料によっては菜畑遺跡のひうが古いという指摘も。稲はもともとが熱帯や亜熱帯の植物で、寒冷な半島北部経由はもちろん、普通に山東半島経由も強引でしょう。

■日本人は遺伝子に非ず■

大陸では隋唐の頃でも穀物の納税は粟ですから。粟は河北でも育つ種があるように、寒さに強いんです。遺伝的な稲の分析からも、温帯ジャポニカ種の遺伝子配列にRM1-AタイプからRM1-Hタイプの8種類があるのですが。大陸には8種類すべてがあり、RM1-Bが最多。これに対し半島ではRM1-Bタイプが未発見。日本はRM1-Aタイプ、RM1-Bタイプ、RM1-Cの3種類で、RM1-Bタイプが最多ですから、伝播ルートは明らか。

普通に地図を見れば、浙江省の河姆渡遺跡から沖縄から九州まで漂着する可能性と、半島南部に漂着する可能性、どっちが高いか。一目瞭然ですね。もちろん、北方系やら多様な人種が入り交じっていますから、日本人とは人種ではない。自分や友人のような南九州や沖縄の人間は毛深く、新モンゴロイド系は毛が薄い。そうなると、日本語を話し日本も文化を愛し、明治以降に形成された国家意識・国民意識を共有するのが日本人でしょう。韓国のルーツマウントは、無意味です。

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