◉改めて、昨日の野田佳彦元総理による、安倍晋三元掏摸への追悼演説について。その内容も素晴らしく、またこの追悼を述べた野田元総理のスピーチ力も非常に優れており、本当に面接だったと思います。凶刃によって倒れた浅沼稲次郎社会党党首への、池田勇人総理大臣の追悼演説以来の、歴史に残る内容だったのではないでしょうか。安倍昭恵未亡人の賛辞が、それを物語っているでしょ。野党人の礼節として、見事な範を示したと思います。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、国会議事堂の写真です。
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■呆れた野党支持者たち■
自分はこの演説、YouTubeで見て涙腺にグッと来たのですが。残念ながら、立憲民主党の支持者や野党共闘の支持者は、とにかく安倍晋三は悪で、悪を褒め称えるのははけしからんという感じで、野田佳彦元総理まで罵倒し始める始末。はっきり言えば、追悼の辞は一方的にベタ褒めしているわけではなく、安倍総理の闇の部分も含めて、言葉を選びながらも批判はしています。
とりようによっては、そのサラブレッドの血筋に、皮肉を込めていると取られる部分も。民草の中から出てきた自身と、対比させて自分アゲも怠りなく。そういう部分も含めて、非常によく練られた内容だと思います。多少なりとも文章で飯を食っている人間としては、そのテクニカルな部分にも注目するほど。
安倍さん、という呼びかけの言葉を対応して構成されたその内容は、演説の教科書としても優れています。そしてこの演説、現在の幼児的な発言を繰り返す立憲民主党や他の野党の国会議員に対する、批判と言うか警句にもなっていますね。安倍憎しをこじらせすぎて、テロリストを擁護するのみならず、賛美するようなマスコミの風潮も含めて、チクリとやっているようにも見える。繰り返しますが、名文です。
■追悼文全文■
備忘録も兼ねて、以下に全文を転載します。個人的に、意味の切れ目ごとに段落分けをしてあります。文字量的にも、非常に整理され、構成をよく考えていると思います。
■政治家としての信頼■
かつて社会党の石橋政嗣委員長は、信用できる政治家を問われて「田中角栄だ」と、即答したそうです。田中角栄とは二人きりで話ができ、その話とは内容が外に漏れなかったと。普通は、言った言わないの水掛け論になるので、証人となるような人間を立ち会わせたり、自分の子分を連れて行くのが政治家の常です。しかし田中角栄とはサシで話ができ、その内容を漏らさず審議を守った。
上皇陛下の生前退位に対する件で、野田元総理と安倍総理がサシで話したというのは、それだけ政治家として、信頼関係ともまた違う、政治家として果たすべき役割を知っているという認識だったからこそ。党首ではなく、野田元総理が選ばれたのでしょう。今の立憲民主党に、そんな政治家は何人いるのでしょうか? 少なくとも、菅直人元総理や辻元清美議員、斉藤蓮舫議員にはその責務は務まらないでしょう。
映像の世紀となり、インターネットの出現によって、こうやって動画が簡単に共有できる時代。野田元総理を罵倒している人達は、果たしてこの演説を最初から最後まで聞いたのでしょうか? 個人的には、野田佳彦元総理の経済政策は、自分の考えとはほとんど一致しません。しかし、野党の政治家として示したその品格のあり方は、賞賛に値します。