日本共産党と在日本朝鮮人連盟

◉デイリー新潮に、戦後の日本共産党と在日本朝鮮人連盟との密接な関係についての、かなりボリュームのある記事がアップされています。両者の関係は公然の事実だったのですが、昭和の時代にはこういう記事が、表立って書かれることは、ほとんどありませんでしたからね。もちろん個人による自主的な抗議という体裁の、集団による業務妨害同然の行為を恐れて。

【「在日本朝鮮人連盟」と一体化していた日本共産党 活動資金、人的ネットワークをカバー】デイリー新潮

戦後、日本共産党を再建することになる日本人幹部たちは、長らく収監されていたため、活動資金も人的ネットワークもなかった。それをカバーしたのは、在日本朝鮮人連盟である。当時、多くの朝鮮人が掛け持ちして共産党員となり、組織作りや活動を主導していった。

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、平壌の万寿台にある金日成主席の銅像だそうです。正方形の写真だったので、トリミングしたらこんなンなっちゃいました。

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■インテリとヤクザ■

かつては、憲法九条に反対していたはずの日本共産党も、護憲とか言い出していたんですが。こういう記事が掲載されるのも、ロシア連邦軍によるウクライナ侵攻によって、日本のリベラル陣営が大ダメージを受けているからでしょうね。日本共産党も、志位和夫氏が憲法九条は外国から日本を護る盾ではなく、独裁者を出さないための足枷論を言い出して、失笑を買ったわけで。

そして、そういう共産党に、さらに追い打ちをかけるデイリー新潮の記事。よく、日本の新聞はインテリが作ってヤクザが売る、とか揶揄されるわけですが。実は日本共産党も、東京大学でのインテリがトップを務めながら、実際は実働部隊は第3国人としてやりたい放題であった在日朝鮮人が実働部隊としていた、ということで。

■徳治主義と法治主義■

でもこれって、歴代中華王朝の文官が武官の上に置かれる文治政治の建前も、実質は軍閥を押さえているかどうかが大事なのと同じ。建前は儒家の徳治主義を掲げつつ、実際は法家の法治主義の二重構造とも同じです。かの鄧小平氏が、肩書は何もなくても、最高実力者と呼ばれたのも、軍部を押さえていたから。天安門事件でも、軍隊の投入を決めましたし。

岸信介らは、児玉誉士夫を使って、テキ屋とヤクザを糾合して、反共の砦にしようとしましたしね。統一教会がバックにつく勝共連合との接近も、その流れですから。そういう意味では日本の政治家は、右も左も本質は一緒でしょう。ただ左側の政治家の方が、日頃はとても嫌偽善的なことを口にしているので、どうせ裏では汚いことをやってるだろうと思われている右の政治家よりも、ダメージは大きいのですが。

■戦後の希望だった共産主義■

詳しくは上記リンク先をお読みいただくとして。現在の日本人からは想像もつかないでしょうけれど、敗戦ショックは日本人の精神面にとてつもない衝撃を与え。酒ばかり飲んで廃人のようになってしまった人も多かったそうです。そういう中にあって、戦前から政府を批判していた共産党は、日本にも軍部や右翼を批判していた人たちがいたという、免罪符に思えたのでしょうね。

「戦前の日本では、それが党であれ、労働組合であれ、また反帝・反戦の運動や文化運動であれ、すべて左翼的運動は、その半分を朝鮮人によって担われていたようである。戦前の日本の左翼団体なるものは、幹部だけを別にして、本当の中堅活動家や下積みの働き手などは実は半分ちかく朝鮮人だったのではないかと思われる。とげのある言い方をすれば、左翼運動までが朝鮮人を踏み台にして成り立っていたような一面もあるのである」(寺尾五郎「一九四五年十月に出獄して」「季刊三千里」15号)

しかもこの時点では、共産主義国の化けの皮もまだ剥がれておらず、経済的な失敗が表に出始めるのは、毛沢東の大躍進政策の失敗であったり、北朝鮮の飢餓が表に出始めるようになってからですからね。新聞は朝日新聞も産経新聞も北朝鮮への帰国事業を賞賛し、世襲独裁国家を地上の楽園とまで賞賛したわけですからね。自分があの当時今の年齢だったら、確実に騙されていたでしょう。

■大アジア主義と在日コリアン■

ただ興味深いのは、日本共産党のような左の団体だけではなく、日本の右翼団体にも数多くの在日コリアンが所属していたことです。その歴史的由来を知らない若者には、韓国人が日本の右翼に偽装して、右翼のイメージを悪くするための工作だなどと騒いでいるのですが。アホ丸出し。頭山満の玄洋社の昔から、日本の右翼団体は大アジア主義=興亜論が中心ですから。

極真空手の大山倍達総裁が、空手の師匠である曺寧柱と共に石原莞爾が主催する東亜連盟に所属していたように。〝愛国的〟半島出身者は多かったんですよね。自分が大学時代にアルバイトをしていた引っ越し屋の社長は、元右翼団体の主宰者で、山口二矢の知り合いでもあったような人物だったので。その引越し屋も元右翼団体の在日コリアンの運転手が複数いました。

■右も左も可視化されるべき時期■

辛淑玉女史の実弟が、任俠系団体にしか居場所がなかったように。あんがい、アウトローの世界は、懐が深い面があります。もちろん、そこに損得計算がゼロだとか、そんなナイーブなことを言う気は、サラサラないです。ないですが、在日コリアンの強力なウリとナムの峻別を飛び越えるには、あちらの世界でもそれなりの組織のトップに立てる度量のある人間。

 最も印象に残ったのは、辛さんの弟の話である。弟は、日本社会で徹底して疎外され、朝鮮学校でもいじめられ、学ぶ機会をもつことができず字を読めなかった。そんな彼が生きていけたのは任侠の世界だけだった。弟が入門したやくざの一門は、親分以外全員が在日で、親分は「お前たちはやくざしかできないからな」とことあるごとに言っていたという。しかし弟は、借金、結婚の破綻・・・その果てに精神を病んでしまった。

慰安婦問題であったり、ジェンダー問題などでも半島の影がチラチラ見えることが、最近増えました。というか、そういう背景をリベラル陣営の人があまり隠さなくなった、あるいは SNS 上の不用意な発言で慌てて消したものが、きっちり記憶されることが多くなり。あるいは、キョレハナなど従北団体や主体思想研究会などとの繋がりが、可視化されやすくなっただけ。

自分は保守派ではありますが、右も左もそういう思想的背景はどんどん可視化され、情報が共有された方が良いと思っています。万機公論に決すべし。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ