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護憲派の巨頭が語る平和論

◉護憲派の巨頭? 巨頭って、重要な地位にある人の意味で、「両陣営の巨頭会談」みたいな言い方をするときは、団体のトップかそれに準じる大物による会談の意味です。ヤルタ会談とか、まさに巨頭会談。でも、護憲派って、別に組織でもないですし。憲法学者として形容するなら、第一人者とか老大家とか、ちょっと難し言い回しだと泰斗とか耆宿とか、そういう言い方をしませんかね? 九条の会の呼びかけ人の一人ということで、組織の中の偉い人という意味ならそうですが。頭でっかちの意味で、巨頭と表現したのなら、そのとおりかもしれませんが。ゴンドウクジラも漢字では巨頭鯨と書きますし。

【護憲派の巨頭・樋口陽一さんが次世代を挑発する「なぜ反乱しない」「9条に恥じない国を」【ロングインタビュー】】東京新聞

<著者は語る>
 日本を代表する憲法学者・樋口陽一さんが90歳を前に回顧録『戦後憲法史と並走して 学問・大学・環海往還』を語り下ろした。今は亡き盟友で、俳優の菅原文太さんや作家の井上ひさしさんとの交遊も交え、焦土から立ち上がった「この国のかたち」を世界水準の憲法学で意義づけた人生を振り返っている。銃後の「少国民」から長じて護憲派の巨頭と言われる樋口さん。「先行世代を押しのけて1歩でも前に進んでほしい。なぜ反乱しないのか」と私たちを挑発する。(中村信也)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/318650

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、憲法判例百選の写真です。

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■一国平和主義?■

詳しくは、上記リンク先の全文を、ぜひお読みいただくとして。90歳───60年安保の頃にはもう大学も卒業していて、1960年にはパリ大学にフランス政府給費留学生として留学していますね。70年安保の頃には、イデオローグの側だったでしょう。憲法九条は素晴らしい、反政府化都度は素晴らしい、若者の犯行や反乱は素晴らしいと、昭和の頃の価値観で、もう凝り固まっているなぁというのが正直なところです。個人の尊重を謳った憲法13条が素晴らしいなら、「昭和の化石の無責任な若者煽りは、御免被る。あなたたちが戦後日本を歪ませた現況ではないか」と言われたら、そっちも尊重してくださるんですかね?

 「日本国憲法がなければ、やらかしたに違いないことへの抑止力が、確かにあった。あからさまな直接的な軍事行動を控えることができたと思います。ただ、それを奇貨として、血を流さずに復興支援という形で戦後の果実だけを取る、というさもしい行為に、その抑止力を働かせることができるか。復興支援には関わるべきだが、9条をもつ国として恥をかいてはいけない」

同上

なんかもう、導入部と結論部が繋がっていないというか、思考の飛躍が見えますね。恥とか、いきなり情緒的なことを言い出して、どこの右翼団体化と、思わず読み返しました。そんな、数値化できないお気持ちを、全面に出されても。典型的な一国平和主義で、具体的な部分では動かないが世界の尊敬だけは得たいという、考えですね。なぜこんな考えになるかと言うと、憲法九条は不磨の大典で世界から称賛させる素晴らしいもの、という前提を崩さないので、支離滅裂な帰結になるんですよね。

■永世重武装中立■

それこそ、スイスの永世中立は、重武装国家で徴兵制もあり、下手すれば女性の徴兵も平等にすべきという国で、それこそ自国内に侵入してくるならナチスだろうが米軍だろうが、両方とも撃破する、という覚悟の上の永世中立であって。憲法九条教の信者が考えるような非武装中立とか無防備都市宣言とか、そういう綺麗事の平和ではないんですよね。いざとなったら橋やトンネルは爆破して使い物にならなくし、焦土作戦でスイスの設備とか使わせないぞという、堅い意志の上での永世中立です。日本の護憲派は、このスタート時点でもう、ズレているわけです。

 「大事なことは、自衛隊の『専守防衛』ということ。この言葉遣いは日本社会に定着したはずです。自衛隊を外向けに使わないというコンセンサスは、戦後のいかなる政府も正面からは破ることができていない。9条がなかったら、今ごろは世界中に日本国軍を派遣しているのではないか。米国はいろいろなことを、いろいろな文脈で持ちかけてくるわけですから」

同上

例えば、古代中国の墨家思想。酒見賢一先生の名作『墨攻』で知られるようになりましたが、兼愛と非攻という、博愛主義と平和主義を掲げたわけですが。非武装中立とか、そんなプーチン大統領がウクライナに突きつけたような、無条件降伏の別名のようなことは口にせず。〝墨守〟という熟語に残っているように、徹底的に戦争を研究し、専守防衛のための技術開発に余念がなかったわけで。もし樋口陽一氏が、日本はスイスのような重武装中立を目指すべきだとか、スイスのように兵器産業をもっと興さないといけないと言うなら、拝聴する意味はありますが。そうではないのが、上記の文から見えます。

■後半のグダグダ■

特に酷いなと思ったのが、こちら。天皇押し込めとか、上皇陛下への共感とか、樋口さんの書いたものや発言は宮中でも読まれていたはずとか、明らかに東京新聞の中村信也記者が、勝手な妄想を前提に、誘導質問ている姿が、浮かび上がってきますね。それを言うなら、国民の審判を受けたわけでもない記者が、言論を歪める事態のほうが、よほど問題では? 影響力の強い第四権力でありながら、行政・立法・司法の用に散見が分立し、相互監視の仕組みもない。「国民に知らせない権利」や「報道の不自由」をすぐ行使するくせに、何を言ってるんだと。自分たちは権力を押し込める側だと思ってないと、こういう誘導にはならないでしょ。

 日本国憲法は1条から8条まで天皇のことを定めています。日本国民の責任としては、天皇に値しない天皇は押し込めなくてはいけない? 
 「そうですね。平安時代も戦国時代も、それを実力者が行いました。まともな人間社会は何かしら『抽象的な正しいもの』を欲しがるわけです」
 今の上皇さまは樋口さんの1歳上で時代体験として共通することが多い。共感を持ってませんか?
 「あります。上皇の戦時体験の結晶が、沖縄に対する思いじゃないでしょうか」
 「国民学校に通っていた私は、『日本が負けたら軍艦に載せられて太平洋に突き落とされる』と先生から聞かされ、死ぬことを覚悟しました。それが戦時教育。上皇も、昭和天皇の皇太子として相当な覚悟があったのではないでしょうか」
 樋口さんは、1975年に日本学士院賞を昭和天皇の臨席のもとで受けた。学士院の役員を2期6年務め、新会員が天皇のお茶の席に呼ばれる際に数十回同席した。樋口さんの書いたものや発言は宮中でも読まれていたはずだが、天皇から憲法や社会情勢についての質問はなかっただろうか?

日本人は良くも悪くも権威主義者で、フランス革命を是とする王殺しを叫ぶくせに、同時に王の権威を自分のものとして利用したいという、矛盾した考えが同居しているんですよね。だから、北一輝の思想は天皇主義と国家社会主義が混淆した、鵺的な思想になってしまったのですが。ところが、和を以て貴しとなすの日本では、敵対する2つの思想を折衷すると、なぜか称賛されるんですよね。相手を殲滅する大陸的な価値観とは違って、島国の村社会で発達した、共存の思想。語学が堪能で海外留学もした樋口陽一氏ですが、どうにも無自覚の言霊の人のようで。噛み合わないのは当然ですかね。


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