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国葬儀しめやかに

◉毎週末の台風接近もあり、女心に例えられる秋のお天気も、どうなるかと心配したのですが、清々しい秋晴れとなり。安倍晋三元内閣総理大臣の国葬儀が、静かに終わりました。自分は粛々と仕事をしながら、個人的な追悼を胸の内で。

【全文】菅義偉前首相 弔辞 安倍元首相「国葬」

7月の選挙期間中に銃撃を受けて亡くなった安倍元首相の国葬が、日本武道館で行われています。第二次安倍内閣で官房長官を務めていた、友人代表・菅義偉前首相の弔辞の全文です。

https://news.ntv.co.jp/category/politics/f1e6c4fcc7064c42be10de96b73dac19

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、日本武道館の写真です。

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■民の声はどちらか?■

取り巻きの親学・江戸しぐさ・EM菌のトンデモぶりや、旧統一教会との関係は何年も是々非々で批判してきましたが。プラスマイナスで言えば、大幅なプラスだったと。それは、外交にしても経済にしても、です。特に外交は、ムラ社会の論理を勝手に世界に当てはめようとしてキレ散らかす、外交音痴がこの国の伝統ですから。それは聖徳太子の昔から、少なくとも白村江の戦いで大敗を喫した天智天皇の昔から、変わりませんでした。

拡声器でのガナリ声に、澎湃としてわき起きる帰れコール。どちらが、大衆の側でしょうか? 一般人の献花は、四ツ谷駅を超えてなお、長大なものであったようです。Twitterのトレンドにも〝サイレントマジョリティ〟がランクインしましたが。マスコミという拡声器を使って散々喧伝してきた国葬儀反対というのは、恣意的に増幅されたものでしかなかったということでしょう。

■サイレントマジョリティ■

悔し紛れに「サイレントマジョリティとは今、仕事をしてる人たち」という金太郎飴ツイートが散見されましたが。なるほど、武道館まで行かず粛々と仕事をしながら安倍晋三元総理を追悼していた自分などは、典型的なサイレントマジョリティってことになるんでしょうかね? この人たちは、サイレントマジョリティとは安倍晋三元総理を追悼しない人達という、勝手な思い込みで語っているようですが。

サイレントマジョリティの一部が献花に行き、ラウドマイノリティも一部が国葬妨害に行ってるんですよね。でなきゃ、衆院選も参院選も共闘した野党が負けた理由、説明できないでしょ? 立川志の輔師匠が数学者の秋山仁先生に、なぜ選挙速報はあんなに早く当確が出るのか、疑問をぶつけた時。あなたは味噌汁の味見をするために鍋を全部飲むんですか、と聞かれたとか。それが統計学というもの。

■エコーチェンバー現象■

わざわざ武道館に行く人だけが、国葬儀に賛成している人のはずもなく。行かなかった人たちの中にも賛成から反対まで、かなりのグラデーションがあるでしょう。ちなみに反対派のデモは、実際に見た人だと100人とか500人とか、多くても1000人ぐらいの見積もりのようですが。主催者側発表では15000人と、盛りに盛っているようです。そんなことやって惨めにならないんでしょうかね? 一般の参列者は、そんな盛ることなく数千人は楽勝で超えているようですが。しかしTwitterで、こんなリプライをいただきました。

この人も、サイレントマジョリティは仕事してる人と、悔し紛れの金太郎飴の方々と同じ誤謬をしていますね。同じ間違いをしていますね。選挙に行っていない人=野党支持者 ではありません。ついでに言えば、自民党支持者でもない。でもその人たちを無理やり投票させても、与野党の得票率はそう変わらないでしょうね。よくて野党微増。下手したら、どうせ自民党が勝つからいいやと思っている自民党支持層を掘り起こし、与党の投票率が上がる可能性さえあります。

■そして、祭りのあと■

ある意味で、60年安保や70年安保に反対した全学連や全共闘の老人世代の、これが最後のおまつりになってしまうのでしょうね。彼らは岸信介による日米安保改定を、阻止できなかったことをずっと引きずってきたわけで。それどころか、学生運動の熱狂が去ってしまって冷静に考えられるようになった国民は、日米安保ってやっぱり必要だよねという認識に、80年代になるともう達してしまいました。学生たちが反対した自衛隊も、皇室も、国旗や国歌も、大衆は容認するように。

そしてロシア連邦軍によるウクライナ侵攻によって、それでもまだお花畑に浸っていた国民が「憲法9条は侵略への盾にはならない。非武装中立って、ロシアがウクライナに求めたことじゃないか」と気づいてしまった。エネルギー供給力を盾に、暴挙に至ったプーチン大統領を見て、原子炉夢発電所の再稼働され容認派が過半数になるほど。そう、左翼が主張してきたことがここにきてことごとく国民から否定、あるいは疑問を呈される状態になってしまいました。左翼とそれを持ち上げてきたマスコミの、敗北は決定的です。

■万機公論に決すべし■

それを認めたくなくて、とにかく国葬儀を邪魔してやろう妨害してやろうと、躍起になったのですが。反対デモにも大して人は集まらず。粛々と終わってしまった今となっては、明日から彼らが注力するものはもうないでしょう。急性アノミーに陥るだけ。安倍ロスは右派より左派が深刻でしょう。この状況を、天国の安倍元総理はどう思っているかは分かりませんが。左翼が遠慮会釈なく剥き出しの憎悪をぶつけられる最後の大物だった、ということで。

もちろん「安倍晋三なんて小物だ!」と言い募るのは勝手ですが。あなた達はそんな小物に全力で立ち向かい、ついにモリカケさくらで起訴をすることすら叶わなかったわけですね? けっきょく反対のデモに加わるような極左は、国葬に反対左翼全体の中でも、ごく一部だったというのが可視化されてしまいました。ついでに、マスコミの影響力低下も。集団ヒステリーのような昭和のオールド左翼ではなく、令和の世にはちゃんと政策で議論できる左派の出現を願います。万機公論に決すべし

【友人代表弔辞】

七月の、八日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。

あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。

やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。

あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

口惜しくてなりません。

哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。

明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。

若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。

―これが、あなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。

報われた思いであります。

平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。

この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。

そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。

それが、使命だと思ったからです。

三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。

私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。

いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。

総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると、勢いを失う。

前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。

総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。

日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。

どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。

あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。

そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。

いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。

私は本当に幸せでした。

私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。

何度でも申し上げます。

安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。

衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。

岡義武著『山県有朋』です。

ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。

そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

深い哀しみと、寂しさを覚えます。

総理、本当に、ありがとうございました。

どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉

https://news.ntv.co.jp/category/politics/f1e6c4fcc7064c42be10de96b73dac19

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