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朝鮮出兵の敗因

◉週刊現代の記事のようですが、正直アラアラアラ……という内容ですね。そもそも俗説をベースにしていて、これを日本史サイエンスと言われても……という印象です。朝鮮出兵は文禄・慶長の役の2回ですが、基本的には文禄の役は明軍の参戦による膠着状態で、日本軍側の武将に厭戦気分が広がったこと、慶長の役は秀吉の急死による戦争状態の維持が困難になった部分が大きいです。亀甲船は具体的にどんな構造で、どんな活躍をしたかも曖昧な船ですし。

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歴史では「定説」とされていても、謎に包まれている出来事はいくつもある。だが、最新の科学を用いることで、真実に近づくことが可能となる。日本史とサイエンスの融合は、ここまで進んでいた。

ヘッダーはウィキペディアより、亀甲船の絵図です。

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■名将・李舜臣?■

現在では、李氏朝鮮の名将・李舜臣の亀甲船による攻撃で日本の船が撃破され、海路での補給線は遮断されて敗北したというのは、資料的には俗説というのが一般的です。実際、海戦で勝利したはずの李舜臣軍が撤退すると、日本軍は目的の地域に船を進めて補給に成功しており、海戦の勝利というような華々しいものではなく、ヒット・アンド・アウェイ戦法で出鼻をくじいた程度で、現実には部分的な勝利に留まり戦略的な勝利には至っていないというのが現実のところ。

いちおう、嫌韓房が寄ってこないように書きますが、李氏朝鮮の海軍は、当時はけっこうなレベルだったのは事実です。これは、教科書でおなじみの倭寇の海賊行為によって、沿岸警備に力を入れざるを得ず。前期倭寇は対馬を本拠地にした日本人と、高麗人の海賊行為。後期倭寇は、明の海禁政策による懲罰を避けるため東南アジア各国に綿た中国人を中心とした私貿易や密貿易、海賊行為。日本に鉄砲を伝えたのも、五峯こと王直という後期倭寇の中国人です。

■朝鮮水軍の練度と陸戦の兵站■

こういう、海賊とずっと対峙してきたため、朝鮮水軍の実力は、それなりのレベルに在ったということ。加えて、地の利があるのですから。それでも、李舜臣の功績は過大評価で、英雄が少ない半島の歴史の裏返しと、数字を過剰に守る国民性がプラスされ、世界史にも名を残す東郷平八郎元帥以上の名将ということになってますが。現実には、停戦協定を破って撤退する日本軍を襲って返り討ちに合うという、実に半島の英雄らしい最後なんですけどね――。

日本軍は快進撃過ぎて、陸路の方は補給が上手くいかなかった部分はありますが。それも、とんでもない行軍スピードで進軍できたほど、李氏朝鮮軍が弱かったわけで。ところが、そこに明軍の援軍が来て、押し戻された。なにかに似てるなと思った方、そうです、朝鮮戦争と似た構図。最低最悪の独裁者・李承晩初代大統領はとっとと首都を捨てて逃亡し、釜山まで追い込まれ。マッカーサー元帥の仁川上陸作戦で盛り返して快進撃も、中国軍の参戦で膠着という、あのパターン。

■政治で変わる毀誉褒貶■

慶長の役では、前回の反省を込めて日本側もイロイロと準備していて、かなりの苦戦を李朝と明軍の連合軍は経験しています。日本軍はまずは全羅道の攻略という目標を立て、足場となる城を構築し、地道に足場を固めつつ、忠清道などに進軍。漆川梁海戦は大勝利するなど、海戦でも対応しています。第二次蔚山城の戦いや泗川の戦い、順天城の戦いと日本側の勝利。明軍の記録を見ても、秀吉の急死という行幸がなければヤバかったという認識です。

個人的には、李舜臣は李氏朝鮮郡にあっては有能な将軍だと想うのですが、彼の人生を見ると、何度も失脚してるんですよね。で、代わりの者に任せたら大失敗という、なんとも半島らしい波乱万丈の人生。元均との派閥争いで、讒言を受けて更迭され拷問を受け死罪宣告を受け、助命嘆願で一兵卒にと。朝鮮戦争の英雄・白善燁将軍もまた、左派の文在寅大統領が政権を握ると、マイナス評価を浴びせられて、400年経っても半島の文化は変わらないなぁと、同情します。

人間ドラマとして、朝鮮出兵は興味深いです。こういう机上の空論的な分析ではなく、もっと〝科学的な〟分析が増えてほしいですね。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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