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作画アニメと表現と

◉アニメーション作品において、作画面において良質なものやユニークなものを、作画アニメと呼ぶそうですが。個人的には、そうやって絵に拘る人間は作品の本質を見ていないなぁ……と思うことが多いですね。確かに、そこは真っ先に目につく部分であり、素人でもわかりやすいんですけどね。ただ、基本的に一人で仕事ができ、作家性が全面に出る漫画と違って、多くのスタッフによる共同作業のアニメーションは、もうちょっと客観的というか、

【『ぼっち・ざ・ろっく!』から『お兄ちゃんはおしまい!』まで 作画アニメの才能と表現の繋がり】KAI-YOU

明日ちゃんのセーラー服』『平家物語』にはじまり、2022年はまさに作画アニメの見本市と言えるほど、バリエーションに富んだ画面づくりを目にすることができた一年だったことは間違いないだろう。

新型コロナウイルス感染症の影響がアニメ業界に及び始めてから早三年。現在は特に中国でウイルスが猛威を振るい、現地のスタジオに動画や仕上げを依頼できず、数タイトルの放送が中断・延期を余儀なくされている。

そんな中でも2023年は、前年の「作画祭り」を引き継ぐかのようなパワフルな作品が生まれ続けている。

https://kai-you.net/article/86063

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、アニメで検索したら出てきた、イラストです。

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■主観表現と客観表現の違い■

小説は主観表現と言われます。私はこう思う・こう感じたといった、自分の視点で物語を紡ぐので。だから、主人公のモノローグが延々と続いても、あんまり気にならない。むしろ、そこで作品の世界に引き込まれたりしますね。小説家や漫画家は自分の分身として、キャラクターを作っているので、やはりそこに実際に生きて存在する人間のような錯覚を起こすレベルに、入れ込んでいます。これに対して、アニメーションや映画は、客観表現(時間表現)なんですよね。

GAINAXの初代社長である岡田斗司夫氏は、『映画大好きポンポさん』という傑作の解説で、興味深いことを語っておられました。アニメーターは漫画家ほど作品やキャラクターを信じていない、と。分業制でやってるので、原画や動画など作品の製作途中のパーツにかかわるので、キャラクターの実在を信じきれないと。そうなると、どうしても作品の虚構性が出てきますよね。

原作漫画も映画も傑作ですので、未見の方はぜひご鑑賞を。

杉谷庄吾【人間プラモ】による漫画を基にした劇場アニメーション。敏腕プロデューサーから映画監督に抜擢されたアシスタントの青年が、波乱万丈な映画製作に没頭していく。『ホットギミック ガールミーツボーイ』などの清水尋也が主人公役で声優に初挑戦するほか、小原好美、大谷凜香、加隈亜衣、大塚明夫が名を連ねる。監督と脚本は、『劇場版「空の境界」第五章 矛盾螺旋』などの平尾隆之。

https://moviewalker.jp/mv71004/

■写実が正しいわけではない■

作品のフィクション・ライン(=リアリティー・ライン。どこまで嘘をついていいかの基準)を上げるために、絵を写実的にすればいい、と勘違いしている人は多いですけれど。実際はそんなことはなく、稚拙な絵やデフォルメした絵でも、実際にそこに生きた人間という感じ――これを自分は実在感や隣在感と言っていますが。こっちのほうが100倍大事なんですよね。

例えば、きれいな風景を見たときに「きれいだね」とありきたりなセリフではなく、でもその人物なりの実感がこもった表現をされると、人は共感して、やはり実在感が高まるわけで。「五月雨は緑色」と言われた時に、新緑の季節と雨のイメージがシンクロすると、そこにリアリティが生まれるわけで。逆に言えばこれは日本人以外にはなかなか共感してもらえなかったりしますが。

Twitterを見ていても、特に絵の勉強をしたわけでもなさそうな人ほど、松山せいじ先生特にデッサンがどうのこうのと、そもそもデッサンの意味も知らずに説教をかましていたりしますね。デッサンとは別に写実的な表現でもなんでもなく。多様なポーズなどを描けるようにざっくりとした描写を多数やる練習方法ですから。特定の角度しか描けないタイプの絵描きが、多様な絵をかけるための練習方法。

■リアルとリアリティは違う■

トンデモ映画『新聞記者』とか、内閣調査室がネット工作してるとか、総理大臣と繋がりがある大学が生物兵器研究とか、リアリティを出そうとして帰って嘘っぽくなってしまってるわけですが。逆に、同年のヒット作『翔んで埼玉』は現実を誇張されているけれど、かえって大都市圏の周辺地域のコンプレックスという本質を捉えていたので、海外でも受けたわけです。これは○○と▲▲で翻案できるなという、海外の人の声もあったように。写実的な油絵より似顔絵のデフォルメが、本質をつかむように。

MANZEMI編『漫画の文法』より

写実的か抽象的かは、作品のクオリティとは直接関係ありません。例えばPR漫画は、作家性が求められる「作品」ではなく「商品」と見なされがちです。しかしながら、優れた芸術作品にも商品性があり、読者を引きつける商業主義前回の商品にも作家性があります。要は比率の問題であって、ゼロイチではないんですよね。作品にはグラデーションがものすごく幅広くありますんで。そして、売れてる作家は商品性を気づかせず、作中に埋め込むのが上手いです。

■ポンポさんはラーメンハゲ■

『映画大好きポンポさん』がマンガもアニメも傑作なのは、主人公がそういう商品性と向き合うことで、結果的に作家性も研ぎ澄まされていく、という部分ですね。ポンポさんは長い映画は嫌いで、観客を第一に考える徹底してリアリスト。そう、ポンポさんは『ラーメン発見伝』の芹沢と同じタイプです。見た目が真逆なので気づかれづらいですが。安易に商品性を否定する作品は、今まで何百何千もありますが、観客を意識し商品性に向き合った作品として、とても希有な作品です。

PR漫画も同じで、真摯に向き合うことで、作家が得るものは大きいです。例えば周防正行監督や滝田洋二郎監督、金子修介監督ら、日活ロマンポルノ出身の名監督が多数いるのも、商業性の高い作品の中で、鍛えられもまれたからですしね。むしろそういう商業性を軽視したを芸術作品志向だと、独り善がりの自慰的作品になりがち。理不尽なクライアント一人は、読者1000人分の経験値を与えます。

まぁ、そういう部分を置いておいて。『ぼっち・ざ・ろっく!』にしろ『Do it yourself』にしても、レベルが高かったですね。新しい才能がどんどん出てきて、作家性を発揮する。なんかもう、ポスト宮崎とかどうでもいいところで、才能が出てくるのが理想ですね。でも気をつけたいのは「あらゆるジャンルはマニアが殺す」という事実。作画アニメという言葉には、映画や文学をダメにして、落語をダメにしかかった危険性を感じます。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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