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神ノ島に伝説の瓊瓊杵尊の祠は実在した

◉川口浩探検隊のようなタイトルですが。瓊瓊杵尊──ニニギノミコト。言うまでもなく、神武天皇の曾祖父で、皇祖神の一人。その祠があると、伝承はあったのですが。なにしろ、断崖絶壁の島なので。ここらへんは、福岡県の神宿る島と呼ばれる宗像の沖ノ島もそうですが。どうも日本人は、岬(~鼻と呼ばれることが多いですが)の先にある島に、ある種の聖地というか、特別な場所という意識があるようですね。淡路島とかも、スケールは違いますが、そういう意識があるようで。

【断崖絶壁の孤島「神ノ島」 探検したら本当にあった…言い伝えの「石の祠跡」 笠沙】南日本新聞

 鹿児島県南さつま市笠沙町片浦沖の神ノ島の山頂にあると伝わる、皇祖神ニニギノミコトをまつる石の祠(ほこら)跡を地元の住民グループが発見した。文献には残っているが、これまで未確認だった。祠を再建して「神宿る島」に光を当てる。
 片浦漁港から約1キロ離れた周囲約650メートルの無人島で、標高は約70メートル。笠沙町誌や加世田再撰史によると、昔は竹島と呼ばれた。祠の建立年月日は不明。旧暦の11月16日が祭日で、江戸末期ごろまでの神事の記録がある。当時の宮司が地元の野間神社の宮司と同名だったことから、現宮司の田原公さん(58)は「野間神社から分霊した可能性もある」と推測する。野間神社も祭神はニニギノミコトだ。

ヘッダーはGoogle Mapより、神ノ島の位置はこんな感じです。

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■神の島のある薩摩半島南部■

鹿児島県南さつま市笠沙町……と言ってもピンとこないでしょうけれども。薩摩半島というと、どうしても砂むし温泉と特攻隊と薩摩富士の開聞岳とイッシーの池田湖で知られる指宿市、あるいは鰹節の生産地として有名な枕崎市が有名ですが。日本三大砂丘の一つである、吹上浜があるところ(隣の日置市にも広がっています)。こちらも、特攻隊の出撃基地だった万世飛行場がありました。

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坊津町は鑑真和上やフランシスコ・ザビエル上陸の地……と聞くと、片田舎の割には、ちょっと歴史に関係する地域ではあります。日明貿易では、中継地でもありますからね。ちなみに、鹿児島市の照国神社、開聞岳、神ノ島の3箇所は、正三角形に近いパワーラインを形成しますけどね。なぜこんな話をしたかと言えば、日本の文化には、ポリネシア系の文化が色濃くあります。このポリネシア文化と火山と孤島が、密接な関係があるんですよね。

■ポリネシア文化と火山と孤島■

ポリネシア人というのは、元々は台湾と華南のあたりにいて、これが4500年ぐらい前から大海洋民族としてオーストラリアやニュージーランド、ハワイ諸島やイースター島まで広がったようです。イースター島のモアイは、褌をして正座をして、背中に入れ墨(文身)らしき模様があるものがあります。これらは、ポリネシア系の文化で、日本にも文化として継承されていますね。日本には各地からいろんな人種が流入していますが、割と重要です。

興味深いのは、ポリネシア人が広がった海洋地域、トンガやハワイやイースター島などもそうですが、火山があるんですよね。言うまでもなく、日本って世界有数の火山王国。薩摩富士と呼ばれる開聞岳は、言うまでもなく火山ですし。大公開民族だったポリネシア人ですが、大海原の向こうに島を発見する知識を蓄積していたようで。同じ場所に雲があることが多いと、その下には島があるとか。火山島とか、噴煙で目標にしやすかったのかもしれませんね。

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■玉依姫と■

イースター島のもうひとつの文化が、鳥人儀礼。イースター島の神聖な王を選ぶため、1年ごとに開催されていた行事でして。岬の先にある島に、現地ではマヌ・タラと呼ばれるグンカン鳥の卵を各地域の族長に指名された若者が、泳いで取りに行く行事です。もちろん、真っ先に取ってきた人間の部族が優勝。族長はイースター島の最高神マケマケの化身であるタンガタ・マヌと呼ばれるとか。これ、宗像の沖ノ島や神ノ島と、似ていませんか?

まぁ、そういう文化は世界中にあるのでしょうけれど。自分の故郷の近くには、神代三山陵のひとつでもある吾平山上陵があります。こちらも、天津日高彦火瓊瓊杵尊の陵墓とされます。鹿児島になぜニニギノミコト関係の陵墓やら神社が多いのか、そこは長くなりますが。神武天皇の母親である玉依姫はワニまたはサメが本体の、海洋系民族の伝承を投影しているとされます。つまり、竜神。ここらへんのつながりが、女系社会のポリネシア系民族の文化と重なりそうな。

話が長くなりそうなので、今回はこんな感じで軽く。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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