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水島新司先生死去

◉もう、去年からみなもと太郎先生に平田弘史先生、さいとう・たかを先生と大物の訃報が続いていますが。水島新司先生まで。自分らが小学生の時代は『ドカベン』が全盛期で。『野球狂の詩』や『一球さん』なども次々とアニメ化され、大ブームでした。年齢が上がると、『あぶさん』のような人情話に、シフトして。浪人時代に福岡へのホークス移転とその後の日本一までリアルタイムで読み、ドラマチックでした。

【「ドカベン」水島新司さん死去 82歳 10日に都内の病院で】日刊スポーツ

野球漫画「ドカベン」「野球狂の詩」などで人気を集めた漫画家の水島新司さんが10日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。82歳だった。水島さんは、20年12月に引退を発表していた。球界内外問わず、プロから子どもたちまで幅広い世代にファンが多かった。
水島さんは58年、新人漫画コンクールに「深夜の客」を投稿し、デビューした。70年には「男どアホウ甲子園」が最初の大ヒット。72年から「野球狂の詩」、「ドカベン」を連載開始。73年からは「あぶさん」とヒットを量産し続けた。

ヘッダーの写真はドカベン・ドリームトーナメント編11巻の表紙より。山田太郎と水原勇気のツーショット。

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■水島漫画の歴史的意味■

最初のヒットが『男ドアホウ甲子園』で、コレが1970年。1939年生まれの水島先生は31歳、10代で大ヒットを飛ばす者もいる漫画家としては、かなり遅咲きなんですよね。沖中師をしながら1958年のデビューですから、苦節12年。でも、そこからは快進撃。1972年には『ドカベン』に『野球狂の詩』を、73年には『あぶさん』の連載を開始。あぶさんは2014年まで40年以上続く代表作に。

野球漫画の第一人者である水島先生の功績は、ソレまでの野球漫画が秘球や魔球を投げる投手と打者の鬩ぎ合いという、野球そのものを楽しむのではなく、やや外連に流れていたのを、普通に投げて打って走ってでも面白いと、再認識させたことですかね。このおかげで、『キャプテン』や『タッチ』で魔球は登場しなくなった訳で。もちろん、殿馬の秘打白鳥の湖や秘打花のワルツ、水原勇気のドリームボールに、その残り香はありますが。

■野村克也監督との縁■

でも、そのドリームボールは左腕のアンダースローがフォークの握りで投げる、スクリューボールのように揺れながら落ちる球で、物理法則を無視したモノではないんですよね。当時、女性がプロ野球なんてとプロ野球関係者にも一笑に付されていたのに、南海ホークスのプレーイングマネージャーであった野村克也監督に相談し、ワンポイントリリーフならとアドバイスを受けて工夫したんですよね。

これは、酒飲みのプロ野球選手としての景浦安武にしてもそうで、酒飲みは持久力は無いが瞬発力はあるということで、代打屋に。頭ごなしに否定せず、選手の可能性を追求され、適材適所+適時を心掛けた、ノムさんらしいエピソードです。こうして、あぶさんは弱小チームの南海で打ち続け、パ・リーグ冬の時代を支えてくれたわけで。背番号90は永久欠番にして良いと思いますよ、福岡ソフトバンクホークスは。

■漫画家の出処進退■

野球漫画の第一人者であられた水島新司先生ですが、それだけで語られるのは、ちと残念です。掏摸を描いた『いただきヤスベエ』なんて異色の作品や、『銭っ子』のコミカライズもされていますし。個人的には、江戸時代の医者を主人公にした『たちまち晴太』が好きでした。御本人も、新しいジャンルに挑戦し、楽しかった旨をインタビューで語っておられた記憶が。全2巻でしたが、もっと、連載を続けて欲しかったです。

その意味では、水島先生の作品は基本、人情劇でした。水島新司先生自体は、2018年8月に発表した『あぶさん』の読み切り作品を最後に、執筆は辞めておられ、2020年12月1日には漫画家生活から引退を発表し、ペンを置いておられました。ほとんどの作品は完結しており、そういう意味ではキレイに去って行かれた印象です。生涯現役は理想ですが、こうやってゲームセットして去るのも、先生らしいなと。

数え切れない傑作を描かれた、水島新司先生の御冥福をお祈りします。合掌

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