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三遊塚と落語と

◉江戸落語界において、三遊派というのは一大勢力でした。江戸落語の事実上の始祖は山生亭花楽ですが、花楽初代三遊亭圓生・初代船遊亭扇橋・初代林屋正蔵らの弟子を育て、今に続く流派を生み出し、柳派と二大流派として落語界を支えましたし。加えて落語中興の祖・三遊亭圓朝を生み出して、落語家の代名詞みたいな部分もあります。飲む・打つ・買うの遊びから名付けられたとも言われる、三遊亭って亭号も落語家らしいですからね。

【三遊亭円楽、2年連続で木母寺の三遊塚参拝・追善供養 「将来は落語のお祭りに」】スポーツ報知

 落語家・三遊亭円楽(71)らが22日、東京・墨田区の木母寺(もくぼじ)にある「三遊塚」参拝と追善供養を行った。
 「三遊塚」は落語中興の祖・三遊亭円朝が初代・三遊亭円生の追悼のため、1889年に建立したもの。円楽が所属する五代目円楽一門会(三遊亭円橘会長)が中心となって、落語界発展のために昨年7月に第1回を開催。この日、第2回を行った。

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■円楽党の生き残り戦略■

「一大勢力でした」と過去形で書いたのは、その保守本流の大派閥が、落語協会分裂騒動で落語協会を飛び出し、総帥であった五代目三遊亭圓生の没後、多くの弟子は落語協会に復帰しましたが、往時の勢いはなく。惣領弟子であった五代目三遊亭円楽一門は落語協会に戻らず、独自の道を歩んでいますからね。個人的には、三遊亭円楽一門と立川流は、反主流派として貴重な存在だと思うんですよね。異端がなければ保守本流も活きてきませんから。

当代の三遊亭円楽師匠、三遊派の今後を考えて、イロイロと布石を打たれだしておられますね。立川談志というカリスマが消えて、すっかり影が薄くなってしまった立川流に比較して、三遊亭円楽一門はもともと、先代円楽師匠の色が強くなかったためか、比較的安定。とはいえ、スター落語家となると笑点の恩恵がある幸楽師匠と当代の円楽師匠ぐらいで、志の輔・志らく・談春・談笑がいる立川流と、下の世代で差がついちゃっていますから。であるならば、組織としての安定を図るのが得策。

■求心力となる聖地が必要■

当代の円楽師匠、弟子の伊集院光さんと落語界を開いたりと、一門の活性化に余念がないですし。ここらへんは、ご自身が癌を患われて、70歳を超えて思うところもあったのでしょう。名門としての三遊亭の歴史を活かし、落語協会や落語芸術協会とも上手く連帯し、一門としての生き残りを色々と考えておられるんだろうな、と。残念ながら、当代の円楽一門の楽生・楽京・楽市・楽大で、顔と名前が一致する人、何人いますかって話です。

ここらへん、悲願の落語専門の寄席を復活させた上方落語協会とか、参考になるような。円楽党は、寄席若竹の経営失敗もあり、寄席の再チャレンジは考えていないでしょうけれど。三遊派の聖地としての、場は必要じゃないでしょうかね。それこそ、谷中の小さな一角で、30人も入れば満杯のような小さな場でも、専門の寄席があると違うと思うんですけどねぇ。立川流は、志らく師匠が予言したように、一門としては流れ解散になるでしょうし。

■東西落語界の未来■

上方落語協会と言えば、こちらはこちらで四天王の孫弟子世代の問題はありますね。六代目笑福亭松鶴・桂米朝・桂小文枝・三代目桂春團治の四天王と、その直弟子世代は上方落語滅亡の危機に、よくこれだけの才能が集まったと思うほど、綺羅星の如き英才俊才鬼才異才が集まったなと思うほどですが。孫弟子世代となると、全国区で顔を売ってる人間がいないのが、辛いですね。関西とその周辺の仕事で、充分に食えるのでしょうけれど。

事実上の直弟子世代の桂南光師匠ら枝雀一門や八方師匠の孫弟子世代はともかく。朝ドラで名前を売った桂吉弥師匠や、東京でも精力的に活動してる吉坊師匠はともかく。三遊亭円楽一門も恩智問題を抱えているような。好事家はともかく、やはり圧倒的な芸や知名度がある新世代が出てこないと。ここらへん、桂三枝師匠は毀誉褒貶あれど、自分が売れたら後輩を積極的にテレビやラジオで起用し、名前を売るチャンスを与えましたし。次世代の動きに期待です。

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