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李承晩ラインの暗黒史

◉李承晩ライン───日本の朝日新聞や毎日新聞、東京新聞などは積極的に報じませんが。韓国初代大統領・李承晩が1952年1月18日に「韓国と周辺国との間の水域区分と資源と主権の保護のため」と主張して勝手に設定した海洋境界線のことです。この日付が重要なのは、サンフランシスコ講和条約の発効が1952年4月28日で、三ヶ月ちょっと前です。日本の主権が回復する直前の、ドサクサまぐれの火事場泥棒と言っていいでしょう。

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ヘッダーはWikipediaのフォトギャラリーより、李承晩の写真です。


■火事場泥棒と朝鮮戦争■

主権を回復しても、日本は軍隊は解体され、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法では、軍隊を持つことを否定した憲法を、GHQから押し付けられたわけで。マッカーサー元帥が、このニューディーラーの理想論に過ぎる平和憲法を公開するのは1950年6月25日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の軍隊が南進を始めた朝鮮戦争が勃発してからなのですが。後の祭り。

留学経験のおかげで英語は堪能だったけれど、無能だった李承晩は北朝鮮軍の奇襲に、さっさと逃亡。命令系統が混乱した韓国軍は、首都ソウルを流れる大河・漢江にかかる橋を、避難民ごと爆破する漢江人道橋爆破事件を引き起こしてしまうほど。一時期は、釜山の周辺まで追い込まれて、全滅寸前だった韓国軍ですが、白善燁将軍の活躍や、マッカーサー元帥の仁川上陸作戦の成功によって、なんとか盛り返すのですが。以降も、無能なくせに自己顕示欲だけは高い李承晩大統領は、余計なことを繰り返します。

■最低最悪の初代大統領■

例えば、保導連盟事件。左翼からの転向者を再教育するために組織した保導連盟の加入者を、共産ゲリラへの協力者として、虐殺した事件です。被害者数は公式に確認されているものでも4934人、推計で10万人・20万人・114万人・120万人という説もある、韓国軍による大虐殺事件です。他にも済州島四・三事件では2.5万人から3万人、一説には8万人もの死者を出したとされます。これで、日本に逃げてきた人間も多く、日本に和田アキ子さんなど済州島をルーツとする在日コリアンが多い、理由のひとつです。

他にも、麗水・順天事件では反乱部隊に加えて非武装の民間人8000名が殺害され。聞慶虐殺事件では非武装の住民88人が虐殺され。朝鮮戦争中の居昌事件では719人が殺害され。正直、この史上最低の大統領が君臨した1948年7月20日から1960年4月26日の期間、自国民を殺した数では、北朝鮮よりも韓国のほうが多いでしょうね。また、日本の併合が終わった途端、北も南も独裁者が出現したというのは、李氏朝鮮500年の歴史と併せて、非常に興味深いですね。けっきょく、日帝36年ぐらいでは、半島の文化は変えられなかったと。

李承晩は、生涯大統領という、事実上の国王になろうとしたのですが、あまりに無能だったため、四月革命で失脚。ハワイに逃げ出し、最後は客死します。毀誉褒貶はあれど、彼に比べれば朴正煕という人物が、いかに傑物かわかります。というか、ほっとくと李氏朝鮮時代の人治主義と、両班の搾取、賄賂まみれの政治に戻りたがる半島文化にあって、奇跡的な人材だったなと。もちろん、強引な政治も弾圧もありましたが、朴正煕が乱世の奸雄であったことは、疑いないです。逆に李承晩は、董卓に擬えられそうですが。董卓はまだしも、軍人として実力者でしたしね。李承晩にはなにもないです。

■立ち上がる海の男たち■

さて、但馬オサムさんのnoteに戻って。この李承晩ラインの不当な行いで、多くの日本人が交流され、あるいは殺害されたわけですが。刑務所や収容所での扱いも、その酷さに言葉を失いますね。詳しくは、ぜひリンク先のnoteを全文、お読みいただきたいです。ただ、あまりの内容に、読んでいて気分が悪くなる人も多いでしょう。日本のメディアは右も左も、こういう話題になると及び腰になるのですが。そこはちゃんと是々非々で報じるべきなんですよね。韓国を子供扱いして、日本人は鷹揚であるべきだというのは、字通は対等の関係と思っていないから、なんですよね。

韓国釜山で不当抑留されていた日本人漁民128人が非人道的な収容所での処遇に怒りを爆発させ、収容所を抜け出して抗議デモを行った7・17釜山決起の日なのである。

拿捕された漁民を事実上の人質として、日韓間の政治交渉の利用する。まぁ、韓国の初代大統領らしいといえば、らしいのですが。この7.17釜山決起は、自分もまったく知らなかったので、noteを読んで驚きました。韓国では、軍艦島こと端島で炭鉱夫が決起するなんて、ファンタジー映画が作られましたが。実際には、高待遇で差別も少なかった(ゼロとは言わないです)花形商売の炭鉱で、そんな事が起きるはずもなく。非人道的な扱いにむしろ、日本人漁民たちは決起したわけで。こちらこそ、映画にしたいレベルですね。

チョー・ヨンピルのヒット曲『釜山港へ帰れ』は、日本へ行ってしまったきり帰ってこない兄弟への思いが歌われているのですが。むしろ『釜山港から帰れ』とでも言いたくなる、日本人の決起。こういう負の歴史も、きちんと同じ土俵で語るべきなんですよね、是々非々で。さて、noteで紹介された日本弁護士連合会(日弁連)の『李ライン問題に関する日本漁民拉致に対し韓国の反省を求める件(宣言)』を、以下にリンクしておきますね。なにかこう、昔の日弁連の毅然とした姿勢に、胸が熱くなりますね。

凡そ、1国の領海は、3海里を限度とすることは国際法上の慣行であり、公海内に於ける魚族其他一切の資源は人類共同の福祉の為めに全世界に解放せらるべきである。

然るに、韓国大統領は、これを封鎖して、平和的漁船を拿捕し、漁民を拉致し且つ刑事犯人として処罰するが如きは国際正義に悖る行為である。

よって、本委員会は、正義と平和の名において、茲に韓国の反省と漁船、漁民の即時解放を求め、以って、相倚り相助け東亜の再建に貢献することを期待する。

https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1953/1953_3.html

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