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ブタの腎臓をヒトへ移植

◉ブタは人間と細胞的な親和性が高いそうで、例えば火傷の際の皮膚移植とか、ブタの皮膚を使う研究とか、昔からありますし。臓器移植も、意外と昔から研究されていたんですが。腎臓移植に成功とは、これは大きいですね。拒絶反応を抑える遺伝子操作で、というのがバイオテクノロジーですねぇ。個人的にはiPS細胞の研究には大きな期待を持っていますが、腎臓や肝臓、膵臓、肺臓と言った臓器移植までは、まだまだハードルが高いですからね。こういう研究で救われる命は多いでしょう。

【ブタの腎臓をヒトへ、拒絶反応抑えて移植 米国で初成功】ロイター

米ニューヨーク大学(NYU)ランゴーン・ヘルスの外科医らが、遺伝子操作されたブタの腎臓をヒトに移植することに成功したと発表した。免疫系による拒絶反応を起こさず、ブタからの移植に成功したのは今回が初めてとなる。
ブタの腎臓を初めて、拒絶反応なくヒトへ移植することに成功。移植用の臓器不足を解消するための大きな進歩となるかも。

ヘッダーのイラストはnoteのフォトギャラリーより、意外とブタのイラスト、たくさんあるんですね。

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■ブタとヒューマニズム■

自分がガキの頃、祖父が小規模な家庭養豚をしていたので、個人的にはブタという動物は身近でしたし、かなり好意的です。鹿児島は元々、そういう小規模な家庭養豚が盛んでした。ちょっと育った子豚とか、本当に可愛いですからね。猫は人間を下僕と思い、犬はご主人さまと思い、ブタは友達だと思っている、という言葉がありますが。慣れると犬より可愛いという人は多いですね。イメージよりも、ずっと清潔好きな生き物ですし。伯父の家で生まれたイノブタの瓜坊とか、キュン死するレベル。

ただ、それとブタ肉が美味しいと言うのは、これまた別の話ですが。とはいえ、ブタの腎臓を移植された人は、ちょっと食べるのをためらうでしょうね。また、動物愛護団体も、抗議をしそうですね。ブタが可愛いのは事実で、それを可愛がるのは個人の自由。でも、人間の命より優先するのは、価値観の押し付けでしょう。ヒューマニズム=人間優先主義というのは、そういう部分も含みます。人間を特別視する、ユダヤ・キリスト教由来の価値観なんですが、それは右でも左でも作用しますしね。

■ムスリムとの関係■

移植元がブタという点で、全世界に10億人以上いるムスリム(イスラム教徒)には、移植は論外でしょうけれど。でも、ブタで成功すれば他の動物でだって、道が広がりますから。科学の進歩というのは、そういうことですから。もちろん、聖典クルアーン(コーラン)の第2章173節には、豚(ついでに死肉と血と神の名以外を唱えて屠られた肉)を食べるなと言ってるだけで、臓器移植はダメだと言っていませんしね。

「アッラーが汝らに禁じ給うた食物といえば、死肉、血、豚の肉、それから(屠る時に)アッラー以外の名が唱えられたもののみ」

日本人は欧米経由のイスラム教の厳格な戒律がある宗教というイメージと、サルマン・ラシュディ氏の『悪魔の詩』を翻訳した筑波大学の五十嵐助教授殺人事件の不気味さから、イスラム教徒を狂信的な宗教のイメージがあります。ツイフェミの皆さんとか、タリバーンのアフガン制圧のときでさえ、女性の人権弾圧についてほとんど言及しないぐらい、恐れていましたが。でもそれは、オウム真理教と普通の仏教徒を同一視するような、乱暴ものですから。

■移植と宗教倫理と■

禁じられているはずの酒が飲める国とか、あんがい国や地域によって解釈はいろいろです。自分はかじった程度ですが、現実に柔軟に対処する宗教というイメージです。多数派のスンニ派とシーア派では、いろいろとクルアーンの解釈も違いますから。ブタ肉にしたって、緊急事態なら食ってもいいよという解釈もありますしね。重い腎臓病なら、そりゃあ慈悲深い神は許してくださるだろうという、解釈も可能でしょうし。

話を戻して。こういう、腎臓というかなり複雑な臓器ですら、移植ができるのですから。生体肝移植とか、割と道が開けそうな気がしますね。もちろん、臓器によって問題は様々で、自分のような素人が雑に考えるようには、行かないでしょうけれども。それこそ、将来的にはiPS細胞で、自分の細胞から腎臓や肝臓や心臓まで作って、移植するのがいろんな宗教の倫理とバッティングしないにしても。過渡期としては、こういう研究も否定してはいけません。

今後の研究の進展に期待です。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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