アラン・ドロンさん死去
◉二枚目の代名詞、というべき人物でしたね。自分が小学生の頃は、ドリフターズのコントでは、アラン・ドロンはなんの説明もなく、二枚目の意味で使われていましたし(あと『エマニエル夫人』も、頻出しました)。やはり、当時のフランスのイメージは相当に高く、また1950年代末に始まったフランスにおける映画運動ヌーヴェルバーグの、流れもあったでしょうけれど。御本人も1990年に『ヌーヴェルヴァーグ』という作品に出演されていますが。1960年の『太陽がいっぱい』は、名作の誉れも高く、今見ても古びない、魅力に満ちています。
パトリシア・ハイスミス原作、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』は、原作者が同性愛者であり、映画の中の鏡の自分にキスするシーンは、同性愛のメタファーであり。やはり、そういうシーンは世紀の二枚目がやってこそ、映える部分があり。Wikipediaの写真を見ても、まぁ絵に描いたような二枚目。「日本のアラン・ドロン」なんて言い方がされるのも、当然ですね。でも、目力もあるんですよね。ちょっと独特の形状の眉毛も含めて、非常に目を引くオーラがあると言うか。だから、殺人者の役もやれたわけで。危険な香りを持つ役もできる、理由でしょうね。
アラン・ドロン氏の活躍は、60年代から70年代がメインで、田舎の小学生だった自分にとっては、映画館は遠く。初めて見た映画は『エアポート'80(The Concorde ... Airport '79)』をテレビで見たことでしたね。しかも、シルビア・クリステルも出演してて。エマニエル夫人とは、繋がりませんでした。だって、エマニエル夫人はエッチな映画の記号であって、映画自体は見たことなかったですからね。エアポート・シリーズは『エアポート'75』が傑作の誉れが高いですが、自分には80のコンコルドとアラン・ドロンのイメージです。
『アラン・ドロンのゾロ』も、見た記憶がありますが。もっとも当時は、それがアラン・ドロンだとは気づかず。こちらも記憶が断片的なので、もう一度見返したいです。歳をとっても、その年齢でのトップレベルの二枚目という感じで、日本のテレビ番組にも、ちょいちょい出ていました。御本人、マフィアとの関係とか、反同性愛とか白人至上主義者とかで、批判されることもありましたし。爆笑問題の太田さんとか、小森和子さんが面会したら体臭がきつかったという話を、良くネタにしていますが。まぁ、役者は役者としての評価が大事ですので。
ただ晩年は、脳梗塞による闘病生活だったのですが、親族と日本人の内縁の奥さんの間で、ドロドロの戦いがあり。奥さんが、せっかく効果の出た治療薬を、親族が止めていると訴え、その流れでの訃報でしたから、正直ちょっと、戸惑っています。その死が安らかなものだったことを、願うばかりです。
アラン・ドロンさんの御冥福をお祈りします。
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