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映画感想:シン・ウルトラマン

◉遅くなりましたが、樋口真嗣監督(と書かないと庵野秀明監督作品扱いされるので)の傑作、『シン・ウルトラマン』です。まぁ、最初に傑作と書いてる時点で、結論は出てるんですけどね。もう、3回観ましたし。『大怪獣のあとしまつ』が壮大な大コケに終わり、下手すると映画会社が「やっぱ、怪獣映画なんてジャンルがダメなんだな、ウンウン」なんて馬鹿なことを言い出す危険性があったわけで。そういう意味では、本命がちゃんと結果を出してくれて、ホッとしています。

『シン・ウルトラマン』映画ドットコム

日本を代表するSF特撮ヒーロー「ウルトラマン」を、「シン・ゴジラ」の庵野秀明と樋口真嗣のタッグで新たに映画化。庵野が企画・脚本、樋口が監督を務め、世界観を現代社会に置き換えて再構築した。「禍威獣(カイジュウ)」と呼ばれる謎の巨大生物が次々と現れ、その存在が日常になった日本。通常兵器が通じない禍威獣に対応するため、政府はスペシャリストを集めて「禍威獣特設対策室専従班」=通称「禍特対(カトクタイ)」を設立。班長の田村君男、作戦立案担当官の神永新二ら禍特対のメンバーが日々任務にあたっていた。そんなある時、大気圏外から銀色の巨人が突如出現。巨人対策のため禍特対には新たに分析官の浅見弘子が配属され、神永とバディを組むことになる。主人公・神永新二を斎藤工、その相棒となる浅見弘子を長澤まさみが演じ、西島秀俊、有岡大貴(Hey! Say! JUMP)、早見あかり、田中哲司らが共演。劇中に登場するウルトラマンのデザインは、「ウルトラQ」「ウルトラマン」などの美術監督として同シリーズの世界観構築に多大な功績を残した成田亨が1983年に描いた絵画「真実と正義と美の化身」がコンセプトとなっている。

ヘッダーは『シン・ウルトラマン』のパンフレットより。


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■怪獣愛がド直球で炸裂!■

内容的には、冒頭からいきなりこれはウルトラQからの流れで生まれたウルトラマンの、その作品だけど、どこかパラレルワールド的な作品ですよ、という部分も示してあり、個人的にはもう冒頭で心をグワシッと鷲掴みにされました。内容的には、ダイジェスト的だとか、特撮がチャチイとか、そういう批判もありますが。いや、内容的にはダイジェスト的になるのは必然でしょう。特撮は、狙って昭和のテイストを再現していますし。ちゃんと、初見の子供にも通じてるようですし。

怪獣好きの心を、監督と脚本がわかっているので、井口ナントカって監督のような、妙な韜晦趣味というか、本当に作品を愛しているのか疑わしいような腐った描写がなく、個人的には大満足です。庵野監督はその点で、大阪芸術大学時代から、悪い意味での照れがない。自分はこれが好きで、今の自分にできるのはこれが精一杯だが、最後まで手を抜かないぞという、少年の真っ直ぐさ。それって、客をリピートさせる手練手管とか円盤を売るための仕掛けとは、また違うんですよね。

■時代劇と史実の問題が…■

個人的に思ったのが、時代劇とか史実に基づいたものだと、新しい資料や学説が出ると、それを取り入れるという面があります。個人的にはこれ、良い面も悪い面もあると思っています。様式美としての部分を失わせ、史実としては正しいが、作劇としては凡庸になってしまうという面があります。これは、『鎌倉殿の13人』にしてもそうで、それが良いと自分は思わないんですよ。時代考証の大家・三田村鳶魚は市川右太衛門の『旗本退屈男』をボロクソに言いましたが、大衆が愛したのはそのエンターテイメント性ですから。

シン・ウルトラマンに関しては、そこで良い面も悪い面もありました。ハッキリ言えば、いくら元々のデザイナーである成田亨氏がカラータイマーを嫌っても、あれは間違いなくウルトラマンのアイコン。実際、ウルトラセブンではカラータイマーのないデザインにしたけれど、不評で。後に、額のビームランプが点滅する仕様に変わったわけで。作劇としてカラータイマーは、どんな状況からでもウルトラマンをピンチに陥らせ、視覚的に観客に伝える、最高のアイテム。

■ウルトラマンと日米安保■

もう一点。本作は、元のウルトラマンにあったある部分を、削っています。それは、作家で評論家の佐藤健志氏が『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』で指摘した、日米安保とウルトラマンの関係。日本を無償で守るウルトラマンは、日米安保のメタファーという指摘。この本は、一部の界隈には物凄いインパクトを与え、批判にもならない批判を始める者、無視する者、いろいろでした。無視するアニメ関係者が圧倒的でした。町山智浩氏は、そのインパクトに言及していました。

ある意味で、ウルトラマンのメイン脚本家の金城哲夫氏は、沖縄独立と日本の独立を重ね合わせて見ていて、ウルトラマンがいなくても平和が守れる=米軍無き自主独立の必要性という現実に、気付いたのか。しかし当時は、非武装中立論のお花畑平和論を野党第一党が自慢げに打ち上げ、マスコミがこぞって賞賛した、70年安保直前の時代。スイスの軍事費がGDP比2%を超える重武装国家であることさえ、知られていませんでしたし。

作中には、自主防衛と安全保障の問題、核の傘を巡る部分は間接的に会話で描かれていて、佐藤健志の提起した問題を、取り込んでいます。

■テーマが公から個へ移行■

ここを踏まえて、シン・ウルトラマンでは禍特対がウルトラマン出現以前にも、ちゃんと怪獣を撃退しているンですよね。そういう政治的な問題は避け、地球人とは違う外星人で、文化も倫理観も違う存在が、なぜ地球人に興味を持ち、献身的ともいえる行動に出たのか、という個人の内面の問題にシフトしています。だからこそ、当初はあった神永と浅見の恋愛要素を、あえて削ったようですが。ある意味で、王蟲に共感したナウシカの心情というか。そっちに寄せてきた。

もちろん、ちゃんと政治性はあって。庵野秀明監督は核兵器について、というか原発も含めて核エネルギーにある種の感情を持っていますしね。これは、広島県のお隣で、九州山口とひとまとめにされることも多い、長崎も近い地域の出身の人間ですからね。シン・ゴジラでも、そこは同じで。原子力発電所の危機に現れるウルトラマンってのが、象徴的ですけどね。でもそれは、隠し味程度かと。基本はバリバリのエンターテイメント作品ですし。

■そして今後、期待する点■

はい、シン・ウルトラセブンに、シン・帰ってきたウルトラマンでしょう。だいたい、庵野秀明監督にとって、一番好きで一番影響を受けたのが、帰ってきたウルトラマンですから。娯楽性の高かったウルトラマンと、人間ドラマに重きを置いたセブンの結果、原点回帰した帰ってきたウルトラマンは、エンタメ性と人間ドラマのバランスが良いんですよね。成田亨氏は、線が一本増えた帰ってきたウルトラマンのデザインも嫌いだったようですが。

シン・ウルトラマンでは、外星人が多いような。レッドキングもゴモラも出てこずして、何がウルトラマンか! 山本耕史さんのメフィラス星人は素晴らしかったですが。シン・帰ってきたウルトラマンでは、怪獣使いと少年をベースに、多々良島でレッドキングと戦って、ゴモラと大阪城を破壊しましょう。それで良いと思うんですよね。シン・ウルトラセブンでは、こってり人間ドラマを描いた上で。シン・ウルトラマンエースは不要ですが。

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