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若山弦蔵さん死去
◉ああ、また昭和の声優という職業の最初期から活躍された名優が、またひとり。年齢的には大往生なのですが、やはり淋しいですね……。
【若山弦蔵さん死去 S・コネリーの声、ラジオでも活躍】朝日新聞
声優、ラジオパーソナリティーの若山弦蔵(わかやま・げんぞう)さんが5月18日、心不全で死去した。88歳だった。葬儀は親族のみで営んだ。お別れの会は予定されていない。
スパイアクション映画「007」シリーズの初代ジェームズ・ボンド役、ショーン・コネリーの吹き替えを76年から担当したほか、「宝島」などのテレビアニメでも活躍。
個人的な思い出を幾つか。
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■我が最高傑作■
亡くなったショーン・コネリー役で有名ですが、自分の世代は007シリーズのボンド役は、ロジャー・ムーアの印象が強いんですよね。その意味では、むしろ暴れん坊将軍のナレーションが印象深いです。重厚さと軽妙さのある、番組をおだやかに締める名ナレーションでした。しかし、個人的にはもっと重要な役柄があります。それが、出崎統監督のテレビアニメ『宝島』の、ジョン・シルバー役です。
『ガンバの冒険』や『あしたのジョー』や『ベルサイユのばら』などなど、傑作揃いの出崎監督作品の中でも、自分にとってはこの1本でと言われれば、本作を挙げます。主人公のジムを、声優の母・清水マリさんが演じ、原作では腹黒い悪役だった一本足のジョン・シルバーを、魅力溢れる男として描いた傑作。特に、最終回がスゴくって。あれは、若山さんの声なくして受肉できなかった傑作ですね。それぐらい、重要な役でした。
■プロが尊敬するプロ■
主人公のジム少年にとって、ジョン・シルバーは男としての理想像。だからこそ、成長したジムは外見もシルバーと見まごう、立派な船乗りになったわけで。息子が乗り越えるべき父親像。ジムの父親は病気で、船乗りとしての具体的な手本になり得なかったので。この作品は、作曲家の羽田健太郎さんのデビュー作でも有り、オープニング曲もエンディング曲も、挿入歌も傑作揃いで。出崎-杉野コンビの傑作の中でも、音楽が心に残ります。
興味深いのは、若山さんは声優として録音するときは、別取りであったとか。普通は他の声優との演技をあわせながらやるのですが、若山さんは自分の役と向き合うのが声優と言うことで、そこに集中したかったようで。『宝島』でもそれをやっていたかは解りませんが、出来上がったラッシュを見るとピタッと演技が一致していて、同業者である声優陣もうなるほど。プロの技術って、そういうモノなんでしょうね。
■とり・みき先生の追悼■
せっかくなので、とり・みき先生の貴重な連続ツイートも、ご紹介を。
若山弦蔵さんは(日本の領有下にあった)樺太大泊町生まれ札幌育ち。NHK札幌放送劇団から声のお仕事に入られた。テレビ以前のラジオドラマ時代、NHKとTBS(当時はKRT)は専属の劇団を持っていた。テレビで外画番組が始まると、まずこの放送劇団員が今のような形態の吹替の仕事を担うようになる。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
50年代後半には外画番組の(数的な)最盛期を迎える。この時期に多くの若手新劇俳優が吹替に参入するが、その意味では若山さんはテレビ黎明期からの生粋の「声優」といえる。KRT「ローン・レンジャー」(生放送)とNTV「モーガン警部」(録音)で主役を担当し、どちらも大人気番組となる。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
その後も「バークにまかせろ」「スパイ大作戦」「鬼警部アイアンサイド」等の人気番組が続き「声の出演:若山弦蔵」という存在は世にひろく知られることになる。当時はとかくまだ日陰の存在だった声の仕事に光を当てた功績は大きい。そして長尺物(映画)ではOO7シリーズのショーン・コネリーを担当。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
正確には日高晤郎氏と交替しての二代目だったが、若山コネリーのフィット感は大きく、以後他のコネリー作品も担当するようになる。このトップランナーの自負ゆえか若山さんは声の仕事への外部からの揶揄には毅然とした態度で反論される一方、業界内部に対してもたいへん厳しいご発言の多い方だった。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
事務所にも属さずずっとフリーのお立場で、新劇出身の多くの方が現場スタジオでの共演声優との呼吸や絡みを重視される中「声優が芝居の相手とすべきは画面の中のオリジナルの俳優」と、複数トラックの録音が可能になって以後は早くから別録りを希望され実践されていた。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
そんなわけで音声業界においても若山さんは孤高の、というか一種「怖い」存在とされていたようだ。実際「若山さんにインタビューに行ったけどろくに話してもらえなかった」という声も漏れ聞こえてきた。しかし若山弦蔵のいない『映画吹替王』はありえない。入念に下準備をしたのち取材を申し込んだ。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
若山さんのご指定は新宿のホテル地下の軽食&バーの店でお一人でお見えになった。おそらく短時間で片づく類のインタビューとお考えだったのだと思う。話を始めて20分ほどで(店がうるさかったのもあって)私は編集者にホテルの一室をとってもらうようお願いし、若山さんのご同意も得られた。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
場所を移し、若山さんの話も乗ってきて、取材は当初の予定をオーバーして2時間近くに及んだ。それが『映画吹替王』最終段のインタビューである。本業ではあまり大した作品は残せていないが、この対談を収録出来たのは自分でもよい仕事をしたと思っている。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
その後「吹替の帝王」サイトでも池田憲章氏とともにお話をうかがう機会があったがFOX買収後このインタビューはサイトごと削除されてしまった。ダイジェスト版が以下に残っているのでよろしければお読みください(オリジナルはもっと辛辣でした)。
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
若山さんお疲れ様でした。https://t.co/bpppnuwHn9
ちなみに早稲田大学演劇博物館には若山弦蔵さんが寄贈した約1万冊の吹替台本が保管されていて閲覧できる。どの台本にも若山さん手書きのメモがびっちりと書き込まれている。機会があったらぜひご覧になってください。 pic.twitter.com/XdRmoMmrwN
— TORI MIKI (@videobird) May 31, 2021
若山弦蔵さんの御冥福をお祈りします。合掌
売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ