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師弟と一門の愛憎劇

放置していたnoteをちゃんと書き上げるシリーズ。一年半前に書いて、途中で放置していたnoteです。長ェ〜よ。自分自身は大学や専門学校、MANZEMI講座などでイロイロと人に教えることに関わってきて、また武術や武道でもそこそこ教える立場なので。徒弟制度と学校教育の在り方には、日々考察を巡らします。そんなとき、こんなTweetが眼に入りました。

■キドカラー大道の萩本欽一批判■

元たけし軍団セピアのキドカラー大道さんの、このつぶやきが気になって遡ってイロイロ読んだら面白かったので、ライバル関係や師弟関係、一門などについて思ったことをツラツラと。徒弟制度と学校教育について、前からイロイロと書いてるので、こういう芸人の師弟関係の話は、勉強になります。萩本欽一氏の偽善的な言動が鼻につくことはありますが、キドカラー大道氏の主張を全面的に信じてるわけでもないので。

深見師匠とは、浅草芸人の深見千三郎師匠のこと。最後の浅草芸人と呼ばれ、長門勇さんや東八郎さん、萩本欽一さん、ツービートなどの師匠とされます。浅草フランス座(現浅草フランス座演芸場東洋館)で、ストリップの合間のコントで爆笑を取り、タップダンスやギターも上手く、テレビ出演に背を向けた、知る人ぞ知る芸人です。特にビートたけしさんは心酔し、バカヤロウコノヤロウの口癖は深見師匠のマネとか。

深見師匠は手に障害を持っていたためか、テレビには背を向けた芸人でした。テレビという小さな箱を嫌っていたという証言もあります。舞台というライブの緊張感の中で叩き上げた人間は、俳優も芸人も一定の尊敬を受けるモノ。舞台の板を踏んだ、というのは尊称。でも、東八郎さんも萩本欽一氏もビートたけしさんも、その師匠の教えに背き、テレビ時代に花開いた芸人でもあります。

■師に背いた弟子たち■

萩本さんがストリップ劇場出身を半ば隠し云々は、奥さんがストリップ嬢であることを書き立てないよう、萩本さんがマスコミに要望した部分があるようで。そりゃそうでしょう、今は野村義男夫人とか、AV出身の奥さんもいますが、当時は賤業として下に見られていましたし。お子さんもいるし、そこは配慮を求めても、不思議はないでしょうし。マスコミは配慮せざるを得ない売れっ子でしたし。

深見師匠に関しては、寝タバコの不始末で焼死されたとき、萩本欽一氏も葬式に出ており、その時のことをたけしさんが葬式に来た中で食えてるのは自分と萩本さんぐらいと、雑誌の連載で言及されてるのを見た記憶があります。また、酒に酔った深見師匠は悲しかったとも。なので、キドカラー大道氏の言う確執が、自分にはピンときませんでしたし、驚きでした。そもそも、萩本欽一氏は東洋劇場の研修生で、師弟関係の濃厚さがどの程度だったか。

そもそもたけしさんは、萩本欽一氏が大将と呼ばれているので自分を殿と呼ばせているという旨の発言も、読んだ記憶が。先輩として憧れがあるわけで。もちろん、『風雲!たけし城』の呼び名の流用でもありますが。ここら辺の、師弟関係の愛憎や兄弟弟子間の愛憎は、当人以外には見えづらいし、本当のところはわかりませんから。それは、落語界の確執のさまざまな実例からも、推測はできます。

■愛憎は鵜呑みにできない■

そう言えば、伊集院光さんの『日曜日の秘密基地』に、笑福亭鶴光師匠がゲストで出た際、とある三人姉妹の芸人の妹二人が長女の悪口をガンガンしゃべっていたので、ある芸人さんが「そうでんなぁ」と相槌を打ったら、長女に報告されてエライ目に遭ったと、かしましくも陽気なエピソードを語っておられました。ペケペン♪ 長女への悪口がどんなに酷くても、鵜呑みにできない実例。

で、これに重ねて鶴光師匠、自分たち六代目笑福亭松鶴一門にも、確かに派閥もいがみ合いもあるが、外部の人間には「おまえらに謂われとうないわ!」という気持ちを、吐露されていました。どんなに仲が悪そうに見えても、兄弟弟子の悪口は許さん、と。ジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係みたいですね。これはたぶん、七代目松鶴の名跡を巡る、松鶴一門の確執を言っておられるのでしょう。

落語に詳しくない人にはピンときませんが、六代目笑福亭松鶴は古今亭志ん朝も心酔──ご本人が追っかけだったと告白──した名人……いや、破天荒すぎる生き様で、もう芸人として超絶的な存在。弟子も仁鶴・鶴光・鶴瓶と多士済々。この七代目松鶴を誰が継ぐかで一悶着ありまして。松鶴師匠本人が残されたメモ書きには、各弟子が将来襲名するべき名跡が書いてあり、松鶴の名は総領弟子である仁鶴師に、と明記されていたわけで。

■六代目笑福亭松鶴一門の確執■

単に一番弟子というだけでなく、かの吉本興業の事実上の創業者で圧倒的権力を誇った林正之助が、仁鶴師匠にはさん付けだったほど、売れに売れ笑福亭の名を高めた人物。みうらじゅん先生や山田五郎さんほどの見巧者が、いかに仁鶴師匠が売れてたかをポッドキャストで熱弁するほどに。普通なら、誰が見ても妥当な襲名なんですが……松鶴の名跡は松竹芸能と縁が深い名跡ですから。

吉本興業の大看板の仁鶴師匠には、継ぎたくても継げない事情があり、七番弟子の松葉師匠の襲名を強引に決め、これに他の弟子が大反発。人望のあった松葉師の襲名には文句はない。だが、おやっさん(六代目松鶴)の遺志は違う、と。ここら辺は、師匠への想いと兄弟弟子への嫉妬や忸怩たる思いなど、複雑に絡んでいるように、部外者には思えます。

五代目笑福亭松鶴一門は、圧倒的な芸人であった松鶴師に惚れ抜いて入門し、松鶴師のような芸人になりたいという想いがあったわけで。できるなら、自分が松鶴の名跡を継ぎたいという想いがあり、でも師匠の遺言同然の襲名は守りたいと想ってるわけで。なのに、総領弟子がその遺言を受けないのは、認められんというのも、わかります。万難を排して、師匠の気持ちに応えんかい、という弟弟子たちの想い。

■落語協会分裂騒動と三遊亭圓生一門■

落語協会では、真打ち大量昇進問題で先代の会長だった三遊亭圓生師匠が柳家小さん会長と対立、分裂騒動が起きます。これは、立川談志師匠の直前での裏切りや、寄席側の反対もあって頓挫。新教会は空中分解しますが、三遊亭圓生一門は協会への復帰を拒否。さん生(川柳川柳)師匠と好生(春風亭一柳)は破門。後に圓生の急死を受けて多くの弟子は復帰。しかし、三遊亭圓楽一門は復帰を拒否し、独自の道を歩むことに。

師匠から破門され、さん生の名跡を返上して柳家小さん一門に移った川柳川柳師匠と、林家正蔵一門に移った春風亭一柳師匠は、圓生の葬式で笑ってたと言われますが……。実際は川柳師匠も一柳師匠も号泣されていたのに。師弟の愛憎は複雑で、一柳師匠は後に著書『噺の咄の話のはなし』で「圓生が死んで嬉しかった」「これで おれは生きていける。死なずにすむんだ」と記述されたのですが───翌年に自殺。

師弟間の複雑な思いに、部外者は言葉を失います。三遊亭圓丈師匠も、著書の中で師である三遊亭圓生への、分裂騒動時の仕打ちへの恨み辛みを綴っておられます。同時に、自宅には師の写真を飾り、敬愛の念も強く持たれているのが、言動の端々に伺われます。それは、破門された川柳川柳師匠も同じ。師弟とは、ある意味で親子以上の関係なのだと、そう思います。

以下は有料ですが、たいした内容ではないので、別に読まなくても問題ないです。分量もたいしてないので。投げ銭をただ払うのはシックリこないという人だけ、理由付けのためにどうぞ。

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