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江戸城天守の再建論

◉天守閣と言ったほうが、ピンとくる世代なんですが、歴史用語としては店主の方が主流になっていますので、いちおう天守で通します。批判が湧き上がっていますが、江戸城に限らず、天守の再建は大歓迎です。無駄だのなんだの言う人がいますが、地域にはランドマークが必要、という部分がわかっていないんですね。熊本の大地震で、ショックを受けても気丈にこらえていた人が、崩壊した熊本城を見て、泣き出したという話もありましたが。その地域の象徴として、天守ほど相応しいもんはなかなかないでしょう。歴史的な連続性という意味で。

【江戸城天守閣〝再建論〟に「万博以上に不要」の声噴出 自民・菅義偉前首相が突如提案の背景】東スポWeb

 自民党の菅義偉前首相が12日のテレビ番組で、江戸城再建に言及したことが話題となっている。コロナ禍が明けて外国人観光客が増えている中で、東京のランドマークとして江戸城が求められているというのだ。SNSでは「江戸城なんかいらない」と批判が渦巻いている。

 菅氏はフジテレビ系「日曜報道 THE PRIME」に出演。インバウンドの特集が行われ、東京にも世界遺産的なランドマークが必要だということで江戸城天守閣の再建論が浮上していることが取り上げられた。この件に菅氏は「ご熱心な方々がたくさんいて再建論がある。ただ、推進するためには大きな一つの方向性と世論をつくらないと進まない。なかなか簡単じゃないというのが私の理解」と慎重に語った。

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/282572

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、姫路城の天守です。時代劇では、江戸城の天守として使われることが多いので。

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■ランドマーク論■

京都の二条城も、観光スポットとして人気ですが、あそこも天守台の石垣だけが残っています。『洛中洛外図屏風』には望楼型の五重天守が描かれているそうですが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかったため。もし天守を再建したら、観光客的には日本的な建築ということで、印象に残るでしょうし、京都タワーよりランドマークになるでしょう。京都と言うと、清水寺(伝宝亀九年=778年創建)と教王護国寺(延暦15年=796年創建)の五重塔、鹿苑寺金閣( 応永4年=1397年創建)などですが。江戸時代のランドマークとして、ありかと。

Wikipediaより

再建天守に否定的な歴史マニアもいますが、それこそ「全てのジャンルはマニアが殺す」です。大阪の象徴である大阪城天守にしても、再建天守ですが、あれが大阪のランドマークではないとでも? 自分の高校は修学旅行がなかったので、中年になってようやく大阪城を見て、やはり感動しました。マニアは大阪城の石垣が……と言いますが。確かに、あの石垣は素晴らしく、日本のピラミッドだなと思いますが。あれでさえ、豊臣秀吉の時代の石垣ではなく、多くが徳川氏によって上から土を被されて、遺構を覆う形で再建されたものですからね。

大阪城は、『ゴジラの逆襲』でも、ウルトラマンの対ゴモラ戦でも、非常に象徴的な役割を担っています。豪快にぶっ壊されて、大阪のちびっ子は心配になって、大阪城まで確かめに行ったとか。前田日明さんとかも、その思い出を語っていましたね。

■歴史は育まれる■

怪獣映画と言えば、『キングコング対ゴジラ』でも、静岡県の熱海城が派手にぶっ壊されましたが。あれに至っては、1959年(昭和34年)に建築された、鉄筋コンクリート造の単なる観光施設ですから。でも、大ヒットした映画で、世界に知られることに。さらに『大巨獣ガッパ』にも登場し、そういう歴史の積み重ねが、熱海のランドマークたり得てるわけで。そうやって、歴史は育まれるのです。というか、やはり巨大な建築物って、ある種の依代になるんですよね。古代の人々が、巨木や巨岩に神が宿ると考えたように。

Wikipediaより

いわんや、江戸城はまさに、太田道灌が開いた武蔵野の片田舎が、日本の首都になった象徴ですから。海から堀まで繋がっていた江戸城において、巨大な天守は航海の目印にもなっていたそうですから。また、江戸城自体が世界的にも、かなり大きな城郭なんですよね。その象徴である天守は、きちんと再建すればいいと思います。皇居には何回かでかけていますが、その石垣の壮麗さと同時に、天守というランドマークがないのが、自分は残念ですし。デフレ経済からインフレ経済になる兆候の中、そういう公共工事は、道路を無駄に掘り返すより良いと思いますよ?

それこそ、観光客が中に登れる必要もなく、ただ拝む的として、江戸城と皇居の象徴として、鉄筋コンクリートでも再建すれば良いんです(そもそも宮内庁は、皇居を上から見下ろすというロケーションを、極端に嫌うので)。それなら、材料費もぐっと安くなりますし。歴史マニアなんかの声は無視。だって、再建される江戸城は、歴史マニアのためではなく、東京都民と日本国民の、ランドマークとして作られるんですから。年に一回、初日の出を見に今上陛下と皇室が、天守の最上階から東京湾を望む、それでいいんですよ。

■大衆の心に必要■

鹿児島県だと、島津氏が天守不要論者だったため、居城の鶴丸城(鹿児島城)は、江戸時代屈指の外様大名であった割には、質素なもんです。1601年(慶長6年)に島津忠恒により築城された、歴史のあるお城なんですけどね。まぁ、鶴丸城は背後の城山が、事実上の山城になってる麺もあるんですけども。西南戦争で二の丸が消失し、石垣にはその時の弾痕が残っていて、歴史を缶入させますが。近年、復元された御楼門がお目見えして、ようやくランドマークとしての機能が加わった感じです。地元民すら、別邸の磯庭園のほうがイメージが強いぐらいでしたから。

https://www.kagoshima-kankou.com/guide/12332

そりゃあ、石垣だけで見どころのお城もありますよ? でも、石垣ってそもそも、天守が載っててこそ。というか、石垣の上に天守を置くので、抑えになるんですよね。中学の修学旅行で熊本城に行きましたが、その壮大さにはやはり、驚きました。天守の存在感はもちろん、宇土櫓ですら並みの天守よりも大きいんですから。やはり、加藤清正が作った城という、歴史の重さは別格です。香川の高松城も、天守は明治時代に解体されてないのですが、石垣はあり。三層の北の丸月見櫓が重要文化財になっていて、登ってみると湾が一望できて、素晴らしかったです。

観光の目玉という意味でも、再建天守には自分は積極的です。そうやって再建された天守でも、100年経てば立派な文化財です。「信仰のある所、かみはおわします」です。拝む的があれば、そこに地域住民の愛着とか、象徴としての意味が生まれるものです。東京の象徴が東京タワーであるより、江戸城天守の方がいいと、自分は思うんですけどね。浅草寺の雷門と五重塔、東京タワー、再建天守、どれも東京らしくていいじゃないですか。歴史マニアの言葉を気にする必要はありません。

保科正之が天守を再建しなかったことを以て、天守より民とした政治姿勢が素晴らしい云々という意見もありますが。いや、あれは単に緊縮財政だったからです。

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