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〝反文明の思想〟という鵺的反体制

◉山下祐介東京都立大学教授の文章が、朝日新聞のWeb論座にアップされていたのですが……。縄文時代称賛とか、西尾幹二氏のような右派の記事かと思ったら、違いました。どうも、左派の側からの〝中央対周縁〟という、古臭ぁ~い図式にこの教授は囚われているようです。

【私たちの根っこにある「反文明」の思想はどこから来たのか】Web論座

 北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録がようやく決まる見通しだ。縄文文化がもつ私たちにとっての意義を、ここで改めて考えてみたい。
(中略)
 弥生時代の中心は北九州、ヤマト国家の中心は奈良盆地、それ以後も京・大坂、江戸・東京と、つねに列島の西側に文化の重心は引っ張られてきた。だが、それに先立つ縄文時代は、東北に、それも北東北・南北海道という、列島北端の地にあった。そこが文化の中心だったのである。(『津軽学9号 北のまほろば 津軽再発見』参照)。

いやいや、縄文時代は旧来のような狩猟採集の文化ではなく、既に農業も始まっていれば、広範囲の交易も確認されており、そもそも集約的な集団生活自体がまさに、文明そのものなのに。この教授は何を言ってるのでしょうか?

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■北海道と沖縄への過剰な思い入れ■

民主党政権の失政以降、いろんな部分で左派の言説がボロボロになっているためか、近年は沖縄と北海道という日本列島の南端と北端の二つの地域での活動に力を入れ、沖縄独立論と反基地運動を、北海道ではアイヌ民族に接近して、拠点にする動きがありますね。この記事もまた、その流れでしょうか? 北海道は農耕が伝播せず、縄文時代の状況がずっと続いたのですが。これを続縄文文化や擦文(さつもん)​文化と呼びますが、アイヌ文化は反文明ですか? 

縄文時代は一般的に1万6000±100年前から約3000年前まで続いた、長い長い時代区分です。三内丸山遺跡は縄文時代前期中頃から中期末葉、約5900年前から4200年前の、大規模集落跡です。1万3000年ほどもある縄文時代としては、だいぶ後の時代区分のものです。この時代に中央とか周縁という意識があったかといえば、そんなものもなく。日本各地に散っていった縄文人が、地域ごとに文明を形成していったわけですから。

■縄文文化も既に文明です■

そもそも土器ってのは、割れたものを地中に入れていても、土には帰らない。まさに反自然であり、まさに人工的なモノ。文明の利器であり、反文明どころではないです。また、日本は資源のない国と思われていますが、実際は世界の活火山の約9%が集中する、特殊な環境です。このため、黒曜石が各地から出土し、これが貴重な交易品となって、日本各地で発見されています。三内丸山遺跡からは長野県霧ケ峰の黒曜石や、新潟県糸魚川の翡翠(硬玉=ジェタイト)も発見されています。

黒曜石に関しては他にも、北海道十勝や白滝の物や、秋田県男鹿、山形県月山、新潟県佐渡のものが発見されています。成分分析で、産地が特定できるんですね。日本海側の岩手の琥珀も交易品に。なんのことはない、あの時代においてはむしろ三内丸山こそが、日本の中心と言えるレベルです。現代の史観で過去を読み解こうとする愚を、この都立大学教授はやらかしていませんか?

■三内丸山遺跡と出雲大社■

縄文時代の栗の大きさを研究した人などもいて、大きい栗を選って神事に捧げられていたことが、今では解っています。それどころか、三内丸山遺跡は地層に残された栗花粉の研究で、時代が下るにつれて出てくる栗の遺伝子が均一になっているのが、確認されています。これがどういうことかといえば、大きな実を付ける栗を選んで、集落の近くに植えて、収穫していたわけです。これ、原始的な農耕です。品種改良などまでは行かなくても、特殊な遺伝子を持つ個体の、選別と集中的な栽培。

三内丸山遺跡の象徴でもある、直径約1メートルもの柱6本からなる、大型建物に使われた木材が栗木であることからも、この文明と栗との密接な関係がわかろうものです。しかも、この建物の柱の間隔ですが、出雲大社の古建築の間隔に近いとか。「雲太和二京三」という言葉もあるように、出雲大社(出雲太郎)ってかつては巨大な六本柱の神殿が建っていたんです。現在の神殿の高さは八丈(およそ24m)ですが、かつては十六丈 (48m)、さらに上古には三十二丈(およそ96m)という説もあるんですよね。巨木を3本まとめた柱の跡が出土し、信憑性が増しています。

■環日本海交易圏と縄文人■

松本清張の代表作『砂の器』で、日本人にも広く知られることになったのですが、島根県って東北のズーズー弁に近い言葉を使うんですよね。島根県の隠岐は黒曜石の産地で、ここの黒曜石が朝鮮半島でも発見されていますし、ウラジオストックまで伝わっています。そう考えると、環日本海文明とでも呼ぶべき交易圏が、そもそもあったわけで。三内丸山遺跡はその中心のひとつであって、むしろ半島と北九州を過剰に重視する史観の延長線上に、この教授の言説はあるような……。

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なんのことはない、左派によくある反動です。地方財閥の一族であった網野善彦博士が、若い頃は共産主義思想にハマり、その反動として中世研究で欧米の史観では単純に説明できない天皇と非農耕民系の文化に気づいたように。まぁ、網野善彦教授はずっと共産主義思想の残滓を引きずったんですが。その網野史観に影響を受けた共産趣味者(主義と言うほどではないシンパ)の宮崎駿監督も、『もののけ姫』では共産主義思想とは対立するような面を描いていますしね。康有為が革命の根拠を論語に求めたように、実は右と左はコインの裏表です。

■コインの裏表の右と左■

そういえば、人民寺院事件を起こした教祖ジェームス・ウォーレン・"ジム"・ジョーンズも、最初は共産主義思想を広げるために、キリスト教の教会に近づいたのですが。しまいには自分自身をカリスマ教祖に祭り上げ、大量殺人事件を起こし、ガイアナのジョーンズタウンに信者ともども移住し、最後は終末思想に取り憑かれ、集団自殺で914人が死亡(内276人が子供)という、奇妙な折衷を見せたのですが。

共産主義思想自体が、実はユダヤ・キリスト教の千年王国思想を焼き直しただけの疑似科学、むしろ純化された宗教。それを唱えたカール・マルクスは、キリスト教徒に改宗したユダヤ人の家系で、ロスチャイルド家に連なる裕福な家の人間です。左派が右派みたいなことを言い出すのは、実はそんなに不思議じゃないんですよね。有神論と無神論と、真逆で対立しているように見えて、実際は鬼子であったり、直系の子孫であったり。左派の混乱した主張はこの視点から俯瞰すると、理解が進みます。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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