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Colabo問題:攻撃性が暴走

◉一般社団法人Colaboの、バスカフェ休止通達に対する、Colaboシンパの抗議集会を、デイリー新潮が報じていますが。想像以上に酷いことになっていますね。もともと仁藤夢乃代表をはじめ、シンパにも攻撃的な言動が目立つ団体ではありました。それは、辺野古基地移転反対派の山城博治氏らの一派や、旧しばき隊界隈にも、顕著な傾向ですが。そして ラディカル・フェミニズムというのは中ピ連の昔から、攻撃的でした。一般社団法人Colaboはそれら総てと、深いつながりがあります。

【Colabo「バスカフェ休止」の抗議集会で反対派と衝突 「撮影するな!」「お巡りさんがおかしい」と絶叫】デイリー新潮

 虐待や性被害を受けている少女たちの支援活動をしている一般社団法人「Colabo」がピンチだ。これまで事業を委託してきた都が、新宿区役所前でColaboが行ってきたバスカフェ事業を、反対派の妨害活動で混乱が生じていることを理由に休止すると通達したのだ。Colabo側は都庁前で抗議集会を開いて反発。その集会にも反対派が現れ、小競り合いが勃発するなど事態は収拾がつかない状況に陥っている。

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/04031023/?all=1

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、

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■私達がルールブック?■

詳しくは、リンク先のレポートを読んでいただくとして。自分たちが法律だと言わんばかりの、自分勝手な言動がこれで僕はこれでもかと出てきていますね。警察官はあくまでも、裁判所から令状が出ないと逮捕はできませんし、緊急の場合には一般市民でも許されている現行犯逮捕は、明白の犯罪行為でないとできません。実際、倒れている女性を解放していた一般人を、誤解して攻撃して逆に罪に問われた人間もいましたね。

 何人かが〈写真、動画とも一切の撮影を固く禁じます〉と書かれたプラカードを手に持ち、怪しいと踏んだ男性の前に立ちふさがり、「いまスマホで撮っていましたよね」「名刺を出してください」などと声かけている。「なんでスマホ見ていただけで名刺出せとか言われなければならねーんだよ!」とブチ切れ出すサラリーマン風の男性。すかさず警察官が割って入る。都庁側の玄関前には数人の守衛が見守り、不測の事態に備えていた。
 プラカードを持ったColabo支持者は、取材を続ける記者に対しても怪訝な顔で睨んできた。Colabo側は自分たちで撮影禁止と言いながら、相手の顔を抑えようとビデオカメラで撮影している。さすがに記者も黙っていられず抗議した。

いわんや警察官は、そのような不法行為に対しては、現行犯逮捕が可能な場合とそうでない場合は、熟知しています。「私たちが違法だと思うから違法だ! だから逮捕しろ!」で動けるはずがありません。個人的には、バスカフェにチョッカイをかけてる迷惑系売名YouTuberの行為を肯定する気は、いっさいありませんし。むしろ 被害者コスプレしたい一般社団法人Colabo側に対し、敵に塩を送る行為だとさえ思っています。暇空茜氏も、繰り返し 批判していますが。

■ネオ支える会?■

今回、抗議集会は勝手連による自発的な行動のような体を装っていますが。共産党系の都議を中心に集会に動員とか、ほとんど 政治活動ではないかと思いますし。仁藤夢乃Colabo代表がどんな思想信条を持とうが自由ですが、東京都の委託事業はそのような政治性を持ち込んでいい話なのでしょうかね? 完全な逆効果になっているように、自分は思います。そして、今回の抗議活動の中心的人物である菱山南帆子女史に関しては、こんなツイートが……。

なんだか、読んでいて痛々しい気持ちになってしまいました……。親がどんな思想信条を元が自由ですが。子供の内から。、憎悪と攻撃性を教えこんでって、カルト信者二世と構造は同じですよね? 違いますか? どうせ「あっちはカルトで、こっちは正義だから。全然違う!」と反論されるでしょうけれど。それってあなたの主観ですよね? グレタ嬢を見ていても、そこは同じですが。そういえばグレタ嬢も座り込みで排除され、辺野古での仁藤夢乃代表とそっくりな、笑顔で連行写真を撮られていましたね。

■その攻撃性のルーツ■

自分たちは被害者で、正義だから何をやってもいいという、典型的なカルトの思考パターン。これは宗教系の彼とも同じ思考パターンで、自分たちは正しいからこそ弾圧されている、という形で内部の団結を測るんですよね。この思考のルーツはユダヤ教の、神がユダヤ民族に試練を与えて、自分たちの信仰心を試しているという発想と同じなんですが。でも、そうやって溜め込まれた社会に対する怨嗟=ルサンチマンは、必ず攻撃性に向かいます。

ヨシュア記の城塞都市エリコへの聖絶のように、神が「我なんぢに命ぜしにあらずや心を強くしかつ勇め汝の凡て往く處にて汝の神 主偕に在せば懼るる勿れ戰慄なかれ」と言われれば、良心の呵責もなく住民を皆殺しにし、家畜まで 根絶やしにしてしまう。人類が根本的に持つ攻撃性が、そこにあります。そりゃあ、性善説と性悪説が、議論されますよね。人間というのは正義の後ろ盾があれば、とんでもなく残忍になれるのです。

そしてこのような、宗教的攻撃性を最も色濃く受け継いだのが、キリスト教に改宗したユダヤ人という宗教コンプレックスを持つ、カール・マルクスの共産主義思想。スターリンのソビエト連邦 や毛沢東の中華人民共和国、金日成の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、ポル・ポトのカンボジアなど、他国民はもちろん自国民に対しても残虐な行為に出られる理由です。部落解放同盟の朝田理論も、同じ構造を持っていますが。一般社団法人Colaboとシンパには、非常に危ういものを感じてしまいます。

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