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西山太吉氏死去雑感

◉元毎日新聞記者の西山太吉さんが、昨日死去されました。左派ジャーナリストを中心に、生前の行為を擁護したり、賞賛する人さえ出ていますが。日本の戦後ジャーナリズムの悪い部分を、代表した人物だったのは間違いないでしょう。自分の信じる正義のために手段を選ばないという考え方は、けっきょくは愛国無罪と同じですから。「正義は暴走しても正義」という考え方にも、通底しますが。勝てば官軍、という考え方とも同じです。

【「国家のうそ」に迫る「哲学」 沖縄密約報道の西山太吉さん】朝日新聞

 沖縄返還の際の日米密約を追及した元毎日新聞記者、西山太吉さんが24日、91歳で心不全で亡くなった。昨年、沖縄返還50年のインタビューで、民主主義のために「国家のうそ」にぎりぎりまで迫る意義を、「新聞記者たるもの」と語気を強めて語っていた。
 西山さんは、密約に関わる極秘文書の入手を外務省の女性事務官に頼んだことが秘密漏洩(ろうえい)のそそのかしにあたるとして国家公務員法違反容疑で1972年に逮捕、起訴され、毎日新聞を退社。最高裁まで争ったが、78年に有罪が確定した。密約を政府は否定し続けたが、2000年以降に米側の公文書や元外務省幹部の証言で確認された。

https://www.asahi.com/articles/ASR2V7QSJR2VUTFK001.html

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、新聞の写真です。

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■西山事件とは?■

外務省機密漏洩事件──別名西山事件と言っても、若い人にはよくわからない……というか、事件自体は自分も幼児の頃の出来事ですので。米軍に占領されていた沖縄県が、日本に返還されることになった時期。地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、表向きは米軍側が支払う形でしたが、日本政府側が肩代わりするという密約の証拠を、毎日新聞の西山太吉記者が入手し、これを野党議員に流したという事件です。

確かに、日本の属国ぶりが露わになる問題ですから、重大な情報ではあります。ただ日本は敗戦国で、当時のソビエト連邦に占領された北方領土は、未だに戻ってきていない状況で。変換されたこと自体はアメリカがかなり寛容、悪く言えばお人好しであった訳で。アジアを植民地にした西洋列強は、植民地が独立する時はインフラ整備代として、その金を請求していますからね。アメリカとしては、返さなくていいものを返すんだから、それぐらい日本が負担しろ……という考えだったのでしょう。

そして西山記者の情報入手方法が、外務省の女性事務官と不倫関係になり、機密情報を手に入れたということが、後に明らかになります。西山記者は、地方財閥と呼べるほどの裕福な家庭の出身で、慶應義塾大学大学院終了。お金持ちで慶応ボーイで、若い頃は二枚目でしたから、外務省の女性事務官も発端はどうあれ、好意を寄せていたのは事実のようです。ところが利用価値がなくなったと判断したら、さっさと距離を置いてしまう。

■目的が手段を浄化する?■

この手法の強引さが暴露されると、世論は一転して毎日新聞批判へと傾きます。外務省の女性事務官は夫と離婚し、西山記者を週刊誌上で批判します。これで世論は沸騰します。どれぐらい批判が激しかったかといえば、毎日新聞の部数が激減し、オイルショックによる広告収入減も相まって、事実上の倒産に追い込まれてしまったほどです。ところがジャーナリズムの世界ではいまだに、目的のために手段を正当化する言説が、跋扈しています。

この密約自体は、褒められたものではありませんが。そんなダーティな手段を用いてまで入手すべき、国家の大問題だったのか? 70年安保改定から2年、リアルタイムの時代の空気感は分かりませんが、過剰な英雄視に思えるのですが。例えば、警察や検察が「犯罪者の凶悪事件の摘発のためには、多少の冤罪はやむを得ない」などと発言したら、新聞記者様はそれを容認するのでしょうか? アメリカという巨悪を倒すためにテロも仕方がないと、タリバンを擁護するのでしょうか?

警察や検察やテロリストは「目的が手段を浄化しない」が、新聞記者様は特権階級で特別だから無罪だというのなら、少なくとも国民はその考え方を支持しなかった、と言えそうです。どうにも、ジャーナリスト様には「巨悪を暴いたのに、愚民がわかりやすい不倫とか肉体関係とか、俗な論点にすり替えられてしまった」と言いたい人間が多いですね。

■愛国無罪的な思い上がり■

ここら辺はジャーナリストに限らず、鯨肉窃盗窃盗事件を起こしたグリーンピースジャパンも、似たようなことを口走っていましたね。自分たちの正義のためにやったのだから、窃盗ではなく無罪だと(大意)。でも実際は、その鯨肉は常識の範囲内のものでしたし、問題ないものを問題だと決めつけて、結果的に犯罪行為を行ってしまったわけですから。まさに愛国無罪的な、飛躍した志向ではないでしょうか?

正しい行為ではあるが、違法な手段を用いたのだから、批判は甘んじて受ける・法的の裁きも受ける──と言うのならば、そこまでの批判はなかったと思うのです。旭川医科大で取材をしていた北海道新聞社の女性記者が建造物侵入容疑で現行犯逮捕された件でも、新聞記者はそれぐらいの違法な取材は許されるんだと言わんばかりの、特権階級丸出しの擁護論が批判を浴びました。世間的な常識と乖離し過ぎています。

このnoteやTwitterでも何度か書いていますが、放伐の是非は2500年以上前から議論されてきたわけです。暴虐の王を追放したり殺して取り除くことは、正しいのかという議論です。それは一見すると正しいことに思いますが、ではその正義を誰が保証するのだという話です。我こそは正義だという人間が、暴力で王位を簒奪しようとするのが常態化してしまっては、大衆はむしろ危険にさらされてしまいます。心休まる事がなくなるでしょう。

■過大評価と過小評価■

だからこそ人類は、最悪を生まないための無難な方法として、民主主義であったり選挙制度を生み出してきたわけです。ところが北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のような国家では、国名に民主主義を謳い人民の共和国と掲げながら、やっていることは世襲による独裁です。そして選挙をすれば支持率100%で、金正恩将軍様が当選。そういう国ではテロもクーデターも、有効でしょう。しかし日本はそこまで腐敗した国ですか?

取材目的で既婚者の女性に接近し、肉体関係を強引に持ってたらしこみ、違法な手法で情報を取得するほど、重大な機密でしたか? そのくせ取材源の秘匿という業界的な倫理も、ろくすっぽ守れていないのですから。極端な話、もっと重大な密約であったならば、毎日新聞が事実上の倒産に追い込まれるほどの、国民の批判は起きれなかったでしょう。自分たちの行為への過大評価と、大衆への過小評価の合わせ技が、怒りを買っているという自覚が無さ過ぎます。

政治家が結果責任であるように、新聞記者様であっても、結果責任です。戦場記者や戦場カメラマンが無事であることを自分は願いますが、同時に死のリスクを引き受けて取材しているという面もあるわけで。だからこそ、ある程度の違法な取材も許容されるというのは同意できます。しかし安全な日本にいて、自分のやっていることは100%の前ではないかもしれないが、間違っていたら責任は取るという覚悟がない新聞記者様が、多すぎませんかね? 

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