見出し画像

土田よしこ先生逝去

◉代表作の『つる姫じゃ~っ!』は、直撃世代ではないですが、小学校のときも連載が続いていたので、テンポの良いギャグと、ときどき挟まれる人情噺を、楽しんで読んでいました。個人的には、お寺を舞台にした『ぼんぼりボンボン』も好きでした。こちらもギャグマンガンですが、ちょっとした人情噺が上手く挟まっていて、面白かったですね。

◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉

【「つる姫じゃ~っ!」土田よしこが死去、近影と感謝の直筆コメントとともに発表】コミックナタリー

「つる姫じゃ~っ!」で知られる土田よしこが、9月15日9時51分に死去した。75歳だった。

土田は1948年生まれ、東京都出身。高校卒業後、赤塚不二夫のアシスタントとなる。1968年に「ハレンチくん」が小説ジュニア(集英社)に掲載されデビューし、その後「よしこで~す!」や「きみどり みどろ あおみどろ」を発表。1973年から1979年にかけて、代表作となった「つる姫じゃ~っ!」を週刊マーガレット(集英社)で連載する。同作は1990年にはTVアニメ化も果たした。

https://natalie.mu/comic/news/541381

昔、あるベテラン女性漫画家さんに「少女誌にコメディ漫画は数多あるけれど、ギャグ漫画は土田よしこ先生だけかも」と、話のついでに出たことがあります。『つる姫じゃ~っ!』の連載開始が1973年、実はこの年、少年漫画の金字塔である『あしたのジョー』の連載が終わっています。そしとその前年、1972年に『ベルサイユのばら』や『ポーの一族』の連載が、『風と木の詩』が1976年に始まっています。その意味では、24年組を始めとする少女漫画の快進撃が、あしたのジョーと入れ替わるように始まったのは、とても象徴的な出来事です。

ストーリー漫画だけでなく、ギャグ漫画でも金字塔と呼べる作品が始まったのですから。与えたインパクトは、まさにメガトン級(昭和的表現)かと。その結果、1976年には室山まゆみ先生が、同じ頃に古賀アンナ先生も出てきて、少女漫画の幅を広げたように思います。山上たつひこ先生の『がきデカ』の連載開始が1974年ですから、土田先生の新しさが、いかにすごかったか。幼稚園生の自分は間に合いませんでしたが、そのインパクトは同業者はもちろん、小中学生の読者に与えたインパクトは、大きいですね。だって、今読んでも面白いんですから。

今は、完全復刻版がAmazonの電子書籍でも手に入り、本当にありがたいですね。ギャグの切れはさすがですし、今見ると落語のテンポなので、読んでてシックリ来ます。小学生の頃には分からなかったネタも、今だと理解できますから、新鮮です。50年経っても笑えるって、すごいですね。自分も今だと、家老とのちょっといい話とか、そっちの良さが心に響きますね。素晴らしい作品は、年齢ごとの発見がある、ということですね。夏目漱石の小説のような、息の長い作品です。

後にヤングジャンプで『待ったなし!!よしこはOL』を連載するなど、少女誌や少年誌の枠を越えて、面白い作品を描ける人でした。シンプルな線で、でも表情豊かでポーズも千変万化。今は、何か書き込んだ絵や写実的な絵をありがたがったり、高級と見做す風潮がありますが。自分は賛成できません。手塚治虫先生がおっしゃるように、デフォルメ化されて記号化された絵は、むしろ経年劣化に強いんですよね。劇画調の緻密な絵のほうが、かえって古さを感じたりすることもあります。『つる姫じゃ~っ!』は時代劇ですから、なおさら古くなりづらいですし

できれば、昔の作品も読み返したいですね。『ねばねばネバ子』とかも。時代を切り開かれたギャグ漫画家、土田よし子先生のご冥福をお祈りします。合掌

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ