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平田オリザ氏の権威主義体質

◉2016年の記事ですが、Twitter上で話題になっていたので、拝読。あまりにふざけた内容に、呆れるやら不愉快になるやら。平田オリザ氏は昔っから、ロクでもない意見を開陳されていたんですねぇ。そして、昔っから公金にたかる体質で、権威主義者だったと。演劇という世界で人知れずポジションを築いてきたのが、去年はそれが表に出ただけなんですねぇ。伊是名夏子社民党常任幹事と、その点は似ていますね。

【「日本が滅びても残る芸術を作りたい」平田オリザ×金森穣対談】SINRA.NET

『東京オリンピック』の開催を控え、膨大な文化予算が投入されはじめた昨今。しかし一方で、日本の文化政策はいびつだと言われ続けている。先進国のなかでは極端に少ない文化予算(2015年でフランスの約10分の1、韓国の約8分の1、中国の約半分)、長期的なビジョンの欠落、早急に結果が求められる成果主義など、並立するはずのない条件が無理やり混在し、そのしわ寄せは現場にかかっている。

日本の文化政策が歪と言われてるって、誰が言ってるんですか? あなたたちが言ってるんですよね? 主語を明確にして欲しいです。反体制ポーズのくせに、国やら自治体やらアカデミズムに寄生する気満々の、鼻持ちならない人物ですね。

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■平田オリザ氏の出世主義?■

正直、平田オリザ氏にはなんの興味もなかったので、2000年代の前半ぐらいでしたか、柳家花緑師匠に接近したとき、落語好きの友人がかなり危険視してたのを聞いて、立川志らく師匠と同じで演劇系の女性と深い仲になったのかな、ぐらいの認識でした。つまり、女性だと思っていたわけです。実際に見たら、中年男性で驚いたんですが。去年の他業種見下し発言連発で、なるほどコレかと思った次第。

平田:ヨーロッパでは当たり前なのですが、お芝居やダンスを観たり、音楽を聴きに行くことが、ある種の嗜みとして習慣化されている状態です。たとえば、フランスは月曜日に職場に行ったとき、週末に何をしていたかが問われる社会なんですよ。それを語れないと出世できないくらい、劇場文化が社会に密接に結び付いているわけです。

いや、文化を嗜むのは自分も良いことだと思いますし、人はパンのみに生きるに非ずと、そう思います。でも〝出世できない〟ですか? あなたは出世のために演劇をしてるんですか? あるいは出世のために観てほしいんですか? これを、秋元康氏とか和民の会長が言うのなら、苦笑と共にスルーしますが。日頃の反体制ポーズはなんですか? こんなの、古文漢文を功利的観点から馬鹿にするひろゆき氏と、コインの裏表じゃないですか。

■平田オリザ氏の権力志向?■

劇場文化を根付かせようというのは、平田オリザ氏と不愉快な仲間たちががんばるのは構いませんが、去年からの他産業見下しで、それが他の業種を排除した上での貴族趣味的な志向というのが、バレてしまった部分がありますね。どうにも平田オリザ氏は、イギリスの王立演劇演学校的なモノを日本にも作り、そこに演劇界の権威として君臨したい、つまり国家権力と密接な権力志向を感じます。

平田:劇場のプログラムを考える芸術監督とプロデューサーも重要です。それに伴って劇場で働く人も増える。本当はそこまで含めて「劇場文化」なんですが、それが日本に根付くのに20年はかかる。ただ「芸術監督」の部分は思いのほか進行が遅いです。やっぱり日本は一人に権限を集中させることを嫌う文化なんだと思う。なんでも会議で決めたがるんですよね。

ここ、重要です。〝やっぱり日本は一人に権限を集中させることを嫌う文化なんだと思う。なんでも会議で決めたがるんですよね〟って、彼は民主主義のプロセスを無視した、上意下達的な権力構造への野心を、無意識に吐露していませんか? 前後の文脈的に明確に否定していませんし、前述の権力志向から見ても、また昨年から弟子筋の深田晃司監督などからもダダ漏れとなった公金へのタカリ体質と、併せて考えると──。

■平田オリザ氏の思想誘導?■

平田オリザ氏は、兵庫県豊岡市の市長選挙という、まさに民主主義的なプロセスによって「演劇の街なんかいらない」と、Noを突きつけられた訳ですが。自民党と公明党の推薦で、鉄板の無風20年の現職が、新人に敗れた。今から5年前の記事であるだけに、豊岡市への無邪気な期待なども率直に語られていて、逆に今だからこそ読まれるべき記事になってしまっていますね。

平田:「戦争はどうやって起きるのか?」「植民地は人間にどんな変化を与えるのか?」を想像し、何か新しい世界観を示したり、人々の視点を揺さぶるのが私たち芸術家の仕事で、そのことについて考えたり、議論してもらうのが劇場という場だと思うんです。

これって、けっきょくは本人が自分で考えて・自分でそう思ったように仕向ける、洗脳の古典的テクニックですよね。洗脳というのは、中国の撫順収容所に収監されたアメリカ軍などの捕虜が、いとも容易く思想教育されるため生まれた〝ブレインウォッシュ〟の訳語です。拷問や薬物などによってではなく、自分がその思考に辿り着いたかのように、巧みに誘導するのが大事です。先ず結論ありきの議論は、無意味です。それどころか有害。

■平田オリザ氏の啓蒙主義?■

コレは、平田オリザ氏が阪大で教鞭を取るようになったときも、国公立大学では初の芸術文化観光専門職大学で学長になったときも、彼の子飼いの人間がポストに食い込んだという批判とも、通底しますが。これが、タチの悪い自己肯定なのか、芸術文化の地方新党に必要なプロセスなのかは、20年の時間が必要でしょうけれど。どうにも、今回の豊岡市長選挙の結果を受けて、逃げ出しそうな予感もします。

平田:札幌交響楽団がプロ化したときに、ガチで団員のオーディションをしたら、東京から受けに来た人ばかり合格になって、市議会で問題になったそうなんです。「なんで自分たちの税金を使ったのに、地元の演奏家が入らないんだ」と。ところが20年経ったら、札幌からの東京藝術大学への進学率が5倍ぐらいになった。要するに、クラシックの演奏家は個人で弟子を取って教えるから、札幌に移住してきた団員が教えた、優秀で若い子が育った。それでも成果が出るまでに20年かかったんです。

ただこの文章から滲むのは、地方文化への啓蒙主義と言いますか、ハッキリ言えば地方文化への見下しではないか、という疑義。それは他の発言でも滲むのですが。東京藝大への権威主義というか。確かに、北海道には札幌大谷大学が2006年に開校するまでは、芸術教育の大学はなかったのですが。豊岡市は、兵庫県の小京都・出石の地であり、京都・大阪への交通はありますから。

■平田オリザ氏の差別意識?■

ここです、ここ。京都や大阪の富裕層出身で嫁いできた女将さんたちが観るに堪えない、貧しい文化しかなかったと。城崎の女将さん、出汁に使われていますが、良いんですかね? 豊岡市には、地元の歌舞伎公演など伝統もあるわけで。去年も、平田オリザ氏の他業種への見下し連発が怒りを買ったのですが。彼は本当に、ナチュラルに、地方も見下してるんですねぇ……。驚きました。

平田:ただ、地方では「観る環境」さえ保障されていないのが現実です。じつは城崎で一番喜んだのは、旅館の女将さんたちだったんですよ。この方たちは京都や大阪の富裕層から嫁いできた人たちが多いわけ。結婚を機に城崎に来て、家業も充実しているし、何の不自由もなくやりがいを感じている。でも、文化のことだけは諦めていたって言うのね。文化は休みの日に京都や大阪に行って触れるものだと思っていたのが、地元で世界最先端のダンスや演劇に触れられるようになって、すごく喜んでいる。しかも子どもにもそれを観せられる。そうした喜びを保障するのは大事なことなんです。

城崎温泉から京都へは、最速で2時間36分、新大阪駅まで3時間7分。志賀直哉の私小説的な『城の崎にて』で知られる温泉街。そんなに嫁不足で、京都大阪から嫁いできてるのでしょうか? 城崎温泉旅館協同組合によれば、加盟してるのは78軒とのこと。外湯も内湯もある場所ですから、登録してない旅館も有るかもしれませんが。最大多数を見積もっても、女将も若女将も県外出身者でも156人が上限。実際は数十人もいないのでは?

■平田オリザ氏の傲慢と不遜■

スゴいですね、〝日本が滅びても残る作品を作りたいとは思っています〟ですか。なら、御上の銭なんぞ当てにしねぇと、独立自尊、独立独歩、不受布施でやってみたら宜しかろうと、自分などは思うのですが。実際、歌舞伎とか劇団四季とかは、食える商業演劇として、大衆が支持しています。大衆性と芸術性は必ずしも一致にないかもしれませんが、常に一致しないモノでもありますまいに。

平田:うーん、それはどうだろう……。まぁ、劇作家としては、日本が滅びても残る作品を作りたいとは思っています。だから、お引き受けした理由の1つは、劇場やNoismが主体になって作っているので、レパートリーとして残る可能性があるということ。またうまくいけばヨーロッパでも勝負できる。なぜならヨーロッパの人たちは『ラ・バヤデール』の原作を知っていますから、たとえば演者の部分だけヨーロッパのダンサーや俳優に変えるという上演も可能です。

なんでしょうね、この出羽守っぷり。まぁ、イギリス王立演劇学校を目標にするなら、そりゃあ欧米の権威にも無自覚に平伏しますよね。大衆を馬鹿にしながら、商業主義を馬鹿にしながら、地方を馬鹿にしながら、でも自分は公金を当てにし、アカデミズムの権威を欲し、自分は権威になろうとする。日本の演劇界はむしろ、平田オリザ氏と不愉快な仲間たちが滅びた後でも、残るような演劇を目指すことが大事。

権威にすがらず、権力に媚びず、大衆を馬鹿にせず、必死で黒字を出すことを真剣に考える劇団にこそ、未来があるでしょう。思えば能も歌舞伎も葛飾北斎らの浮世絵も根付も漫画もアニメも、そうやって大衆の娯楽の中から、世界に羽ばたいたのですから。最初は世間の権威からは馬鹿にされ、低俗と蔑まれ、幼稚とも低レベルとも馬鹿にされながら、大衆の評価を勝ち取って、今に至るのですから。

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平田オリザ氏並びにその周辺の人物について言及したnoteは以下に。時間があれば、お読みくださいm(_ _)m

補助的な内容ですが、こちらも併せて読むと、多少は理解が進かもしれません。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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