映画にエッチシーンは不要?
◉とても興味深い研究を見かけたので、ご紹介。映画やテレビドラマなどで定番中の定番である、エッチなシーンに対して若者はあまり評価しないと言うか、むしろ不要だとさえ思っていることが分かりました。大学や専門学校、そしてMANZEMI講座などで作話論を若者に教えている身としては、とても重要な意見だと思います。日本でも同様の調査をすれば、似たような結果が出そうな気がします。
ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、巨乳のイラストです。
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■集客のための仕掛け■
「44%のZ世代が、『オンライン・デートをするくらいならトイレ掃除でもしてた方がマシだ』と回答した」……って、衝撃的ですね。どうせまた、したり顔の評論家が「近頃の若者は、生物としての生命力が昔に比べて弱くなっており、生物として当然興味関心を示すべき性的なシーンに対して、興味や意識が希薄になってしまっている」とか、言い出すのでしょうけれど。
自分はそんな評価ではなく、若者のむしろ成熟だと思っています。作品作りというものは、観客や読者に興味を持ってもらわないとどうしようもない部分があります。ここら辺はアントニオ猪木さんの、遠心力論と重なってくるのですが。例えば、Jリーグのサッカーの試合自体は、たいして視聴率が取れないのに、日本代表の試合は高視聴率という現実があります。
サッカーという、スポーツ自体に対する興味関心は薄くても、そこにナショナリズムという要素が加わると、一気に多くの人間が興味関心を持つわけです。でも、サッカーに詳しい層は、スーパースターの寄せ集めの日本代表チームよりも、日頃から一緒に練習しているクラブチームの方が、技術的にはレベルの高い試合内容を見せることを知っています。
■猪木流遠心力興行論■
アントニオ猪木さんはこれを、エンターテイメントの遠心力という形で、言語化されていました。プロレス好きのマニア層を相手にするだけならば、後楽園ホールの2000人に届けば良い。だが、武道館や国技館クラスの1万人に届くには、プロレス好きではあるけれど、さほど熱心ではないファン層──年に1回ぐらいしか観ない層にも届くような、仕掛けが必要になります。
これがドーム 会場をクラスのビッグマッチになると、プロレスに関心の薄い層にも届くような、仕掛けが必要になるわけです。アントニオ猪木さんの場合は、ボクシングの世界王者であったモハメド・アリと戦うといった、大衆に訴求するような外部の権威を、引きずり込むという形ですね。広く薄いそうに 届かせるためには大きな 遠心力を持って、仕掛けて行かないといけないという興行論。
だからこそ、猪木さんの名言として「スキャンダルを次の興行に繋げられないやつは二流」があるわけです。映画やテレビドラマにおいては、その作品にあまり関心を持たないであろう層に対して、ある種の訴求力を発揮するのがエッチなシーンということになります。ところが 今回のアンケート調査では、そのような作り手側のサービス精神というか安直な仕掛けが、若い観客にはありがた迷惑になりつつあるということを示しています。
■秋元康商法の終焉?■
これは、若者の生命力が落ちた云々とか、そういう話ではなく。最初はナショナリズムでサッカーを見始めた層が、純粋にサッカーそのものの面白さに目覚め、ある人気選手がいるクラブチームの試合を見るようになり。さらに目が肥えてきて、日本人選手が いる海外のプロリーグの試合も見るようになり。さらに、日本人選手がいないチームの試合を見ても、楽しめるようになるのと似ています。普通はこれを成熟と呼びます。
逆に言えば最近の若者は、映画やテレビドラマを見てもう純粋にストーリーの面白さを楽しむようになっており、ストーリー上の必然性のないサービスとしてのエッチなシーンを、ノイズとして見抜く力が備わっているということです。これは秋本康商法的な、とんねるず的な芸無し芸人が下ネタに走るような、「どうせおまえたち、エッチなの好きだろ? な? な?」みたいな手法が通用しなくなりつつあるということです。
ぞれはもちろん、「全てのジャンルはマニアが殺す」になる危険性と、紙一重の部分もあるのですが。でも、イチロー選手が日本とアメリカの野球の違いを問われた時に「ファンの質が違う」と即答したように。その競技への深い理解を持つファンが多数いるのは、ファンの成熟と捉えることができるでしょう。映画やテレビドラマのファンは安易な手法を許せないぐらいに、成熟したのではないかと、自分は積極的に評価します。
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