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精神論からの脱却

◉柔道は、アテネ五輪での大惨敗から、一気に盛り返してきましたが。それは、井上康生監督の就任と改革が、大きかったわけで。旧態依然の柔道界で、根性論精神論がまかり通り、他競技を馬鹿にして見下し、技術偏重という、ある意味で日本の悪い部分を凝縮していたわけで。元金メダリストを代表監督に選ぶという悪癖も、柔道界にはありますし、自分が常々批判する金メダル至上主義も。

【“ロンドンでの惨敗”から9年、柔道男子はなぜ復権できたのか…高藤直寿が優勝直後に井上康生監督に“謝罪”した理由とは】NumberWeb

 7月27日、柔道男子81kg級で、永瀬貴規が金メダルを獲得した。柔道初日の60kg級、高藤直寿に始まり、66kg級の阿部一二三、73kg級の大野将平、そして永瀬と4階級で金メダルが続いている。1988年のソウル五輪で7階級制になってから、初めての快記録だ。
(中略)
 1つは代表合宿での練習方法だ。それまではとにかく何十本と打ち込みをやる、走り込むといった具合であったのを、何かしらの課題やテーマを掲げ、それに応じた練習メニューを実施。また、科学的データも導入してトレーニングにいかすなど、合理性のある強化を行なった。

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■指導者の質の問題■

日本を競技人口で抜いたフランスとか、指導者はサッカーの指導者ライセンスを参考に、スポーツや運動生理学、栄養学などの知識も求められるようで。日本のスポーツ界には、そういう指導者の資格制度がないため、何十年前の間違ったスポーツ知識が、平気で流通するのですが。練習方法も「自分がやってみて良かったから」という、経験則偏重の内容になってしまいます。

井上康生監督以前の監督は、とにかくスタミナ強化偏重の、疲れる練習をやってるだけで。元々、筋量が強かったり、タンパク質同化能力が高い人間は、持久力アップの練習がピンズドな訳ですが。持久力に優れているが筋力不足の選手に、スタミナ強化偏重のトレーニングは無意味。でも、キチンと運動生理学を学んでいない指導者では、そうなってしまいますね。日本人は元々、持久力系が求められる農耕文化が根強いですし。

■技術偏重とオールイン■

そして、技術偏重。コレって、家電メーカーなどでも、液晶の高精細さが売りの製品が売れると、ナントカのひとつ覚えのように、そっちにばかり邁進してしまう。例えば、100秒かかっていた作業が10秒になるのは、大きな意味があります。10秒が1秒になるのも。しかし、0.1秒が0.01秒になることに、そこまで意味があるのか? 筋力やスピードを軽視して、技術偏重に走るのは、それと同じ。

そのくせ、他競技の技術は馬鹿にする。それどころか、ブラジリアン柔術の技術とか、敵視していましたからね。古賀稔彦選手は素晴らしい実績を残した柔道家ですが、他競技を見下す発言やら、筋トレ軽視発言など、悪影響を与えているなぁと。彼が素晴らしい業師で、天才的な柔道家だったのは疑いないですが、その方法論は天才にしか使いこなせない、汎用性のないものだと自分には思えました。

■権威主義と悪しき実績主義■

大相撲でも、理事長になるのは現役時代の横綱や大関の実績が物を言うわけで。これが、柔道でも野球でも同じで幅を利かす。結果、名球会は最下位監督会と揶揄される。アメリカでは、かのベーブ・ルースさえも監督はやらせてもらえなかったわけで。逆に、メジャーリーガーとしての実績が無い名監督とか、普通にいますからね。選手としての適性と、指導者としての適性は、重なる部分はあれど、本質的に違うモノですから。

経団連の社長とかも、サラリーマン社長でどいつもこいつも似たような学歴──東大や一ツ橋卒──になってしまうのも、ある種の大学幻想があるわけで。けっきょく、陸軍士官学校と海軍兵学校からの陸軍大学や海軍大学の成績が一生付きまとう、アホな制度をまだこの国は引きずってるわけです。それで、インパール作戦の牟田口廉也中将のような、菅直人元総理のような人間を生み出してしまったのに、です。

金メダリストでありながら、井上康生監督がここまで柔軟な人物であった奇跡。柔道だけでなく、昭和の残滓を令和の世に精算するに当たって、とても貴重な記事ですね。もっと多くの人に読んでいただきたいです。サラリーマンでも自営業者でも公務員でも。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ