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広島原爆忌

原爆投下から79年――。
でも日本が日本である限り、100年でも1000年でも、広島の悲劇は語り続けられるでしょう。

しかし、原爆ドームも、解体すべきだという意見が、戦後はあったとか。でも、残したからこそ、原爆を記憶するシンボル足り得るのであって。
長崎は、浦上天主堂がその役割を担えたのですが。信仰の場でもあったので、かなり早く修復されて。

東日本大震災での、津波で流された市役所も、例えば10年ぐらいは外面は覆ってもいいので、残すべきでしたね。
象徴として、戒めとして、未来へのバトンとして。

Wikipediaより

在りし日の、広島県産業奨励館。
『この世界の片隅に』にも描かれましたが、こんなにモダンで美しい建物だったんですよね。
この姿と併せて、記憶しておきたいです。

そういえば広島カープが久しぶりに優勝したとき、広島県人に「そう言えば、阪神やホークスのときのように、川に飛び込むバカがいなかったね」と言ったら、「川に飛び込んで亡くなった人の話を、祖父母からいっぱい聞いてるんで…」と言われて、己の不明を恥じました。
『はだしのゲン』にも描かれてたのに。

今年も、広島の平和式典は県外から来た活動家が、黙祷の時間にも騒ぎまくり。シエスタをダイ・インとか名付けてパフォーマンス三昧。いや〜死者の気持ちを共有できました、とゴソゴソ起き上がって今は、生きる喜びを満喫ですか? バカバカしい。

石原吉郎の詩『禮節』を、置いておきます。

石原吉郎『禮節』

いまは死者がとむらうときだ

わるびれず死者におれたちが

とむらわれるときだ

とむらったつもりの

他界の水ぎわで

拝みうちにとむらわれる

それがおれたちの時代だ

だがなげくな

その逆縁の完璧さにおいて

目をあけたまま

つっ立ったまま

生きのびたおれたちの

それが礼節ではないか

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ