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小学生の柔道全国大会廃止へ

◉これは全柔連の英断ですね。柔道に限らず、他のスポーツでも同じように、全国大会を廃止した方がいいのかもしれません。日本のスポーツ界は資格や指導体系の整備が、スポーツ先進国の欧米ほど進んでおらず。さらに自分の経験値を絶対化するダメな指導者と、英才教育と促成栽培を履き違えた馬鹿な親が、子供の才能を潰している現実があります。ステージパパやステージママが、スポーツ界にもゴロゴロ。

【小学生の柔道全国大会廃止 「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」】朝日新聞

 全日本柔道連盟(全柔連)が、毎年夏に開催していた全国小学生学年別大会を2022年度から廃止することが分かった。
 1月の理事会で報告され、今月14日付で都道府県連盟宛てに廃止を通知した。通知には「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」と理由が書かれている。

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、柔道の創始者・嘉納治五郎先生の銅像です。

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■職業と結びつくスポーツ■

実際、鹿児島だと柔道や剣道のスポーツ推薦で高校に入れ、そのまま教師や警察官などになる人間も多かったりして。そういう武道系スポーツの実績が、そのまま就職やら人生に直結する部分もあります。高校の時の恩師に言わせると、日本最大のプロスポーツは柔道であり、次は県道だということになります。競技スポーツとして食って行けませんが、公務員という形で食っていけるわけです。

柔道の場合はさらに、柔道整復師という国家試験の職業がありますからね。嘉納治五郎先生が偉かったのは、柔道を真面目にやればいろんな形で食っていける道を作ったということ。やはりそこは教育者としても一流の人物であり、国の機関にも深く食い込んでいたからこそ。オリンピック種目にするために、世界的な普及も心がけましたし、そのための組織づくりもきちんとやられたわけで。

きつい言い方になってしまいますが、古流として伝統芸能同然になってしまった武術流派に比較して、柔術を柔道としてここまでしたのは、嘉納治五郎先生という大器量人が出たから。流派がどんどん分裂を重ねて、オリンピック種目としてテコンドーに先んじられてしまった空手などは、嘉納治五郎先生的な人物が出なかった、ということです。レスリングの八田一郎先生も凄いですが、やはり嘉納先生の功績は大きいです。

■スポーツが苦行の日本■

しかし組織が大きくなれば、必ず歪みや歪みも出るもの。youは何しに日本へという番組がありますが、フランスから柔道を学びにきた青年の回をたまたま友人宅で見ましたが。子供達に柔道を楽しみながら学んでもらう指導方法や、フランスの資格制度などを見ると、これはもう柔道母国だなどと思い上がっている日本は、駄目だなと思いました。実際競技人口も、フランスの方が圧倒的に上ですからね。

日本だと、元横綱や大関などの実績がないと大相撲協会の理事長になれないように。指導員も大会での実績が重視されるのですが。はっきり言って、選手としての強さと指導力は別物ですから。選手でも指導者でも一流の人間はいますが、野球などにしても日本はあまりにも実績偏重主義。メジャーリーグの監督など、選手時代の実績がほとんどない人なんて、さらにいるわけで。選手時代の実績で監督を見下すなどというのも、日本の悪しき伝統ですね。

鹿児島は、なんだかんだ言ってやはり武道の国ですから。毎週どこかで週末に剣道や柔道の大会が開かれていて、今思うと小学生の自分達も年の2/3は週末は大会に出ていました。そうなるともう親の方が、のめり込んでしまって……という姿は散々見てきました。野球では桑田真澄氏の父親も、僕に働かず野球の指導ばかりしていたそうで。結果的に息子は超一流の選手になりましたが、お金を稼いだら手切れ金を渡して両親を離婚させ、母親を引き取ったとか。

■英才教育と促成栽培の違い■

選手の指導という点に関して言えば、原辰徳監督の父親である原貢氏は、その点は優れているなと思いました。息子が小学校の時点では器械体操をやらせて、運動神経前半の育成に努め。中学校では陸上部に入れて、走る飛ぶ投げるなどの基本的な動作と基礎体力を鍛え、ここからようやく手元において野球の技術を教えたとか。こういうのが本当の、英才教育。孫の菅野投手も一流ですから、指導法に間違いはないのでしょう。

これがダメな指導者だと技術練習偏重か、池田高校の蔦監督のように筋トレと金属バット打法で、目先の勝利を目指すことに。日本の野球は小学生とかだと世界大会で優勝するのですが、年齢が上がるにつれて勝てなくなり、メジャーリーグでは大きな差がついてしまいます。アメリカ人とか、普通に野球やバスケやフットボールなどを、複数こなします。だからドラフトでも複数のスポーツで指名される選手はざら。今日は日本だと、悪しき紫綬褒章主義的に一意専心が立派とされてしまいます。

自分は野球というスポーツは見る競技としては大好きですが、高野連という朝日新聞や毎日新聞の利権を守るための団体も含めて、この国のスポーツをゆがめてきている部分はものすごく大きいと思っています。大きめの英英辞典などを読めばわかりますが、スポーツとは本来は娯楽という意味に加えて、ギャンブルとか悪い遊び的な意味もあったわけで。そこにある種の精神使用的なものを加えたのは、嘉納治五郎先生のタイにおいては仕方なかったのかもしれませんが。

そろそろそういう部分は改めて行くべきでしょう。そうでないと、バランス良い子供の心身の成長は望めません。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ