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水原希子さんの危うい意見

◉生き物が殺される場面を見れば、それがワニであろうがヒツジだろうがブタだろうがウシだろうが、心が動くものです。皮目的だろうが食料目的だろうが。人類はワニだけでなく、そうやっていろんな動物の皮を利用しました。そこに共感するのはかまいません。が、それは一歩間違えば同和問題、被差別部落を生み出した根源にも関わってくるので、慎重であらねばならないと、自分は考えます。

【水原希子 ワニが皮剥がれる映像に衝撃「ワニ革 人の欲のため」「心張り裂けそう」】デイリースポーツ

 モデルの水原希子が20日、インスタグラムのストーリーズに投稿。海外のものとみられる、ワニの皮をはいでいる映像があることを伝え、「こんな事はもう終わりにしよう」と書かれた画像を投稿した。
 映像はワニがいけすから出されて押さえつけられて、皮をはぐ工程がうつっており、水原の投稿には映像について「グロテスクな描写があります」との注意書きも。

水原希子さんへの批判ではなく、言霊と穢れについての簡単な解説を。

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■穢れという概念■

日本の神道というか、もっと古い呪術的な心情として、〝穢れ〟の意識というモノがあります。例えば、ウンコを掬った茶碗を、どれほど完璧に消毒してあっても、それを使うことに抵抗を感じる日本人は、多いでしょう。それは物理的なモノや疫学的なモノではない、穢れの意識。実は、部落差別もこれがルーツだったりします。作家の井沢元彦氏が指摘して、著書も話題となりました。

井沢氏自体は正当な歴史学者からは批判も多い作家ですし、その批判は真っ当なモノが多いのですが、この穢れの指摘は重要です。ある種の連想ゲームなのですが、これは実は各地域で見られる部分でもあります。穢れには死穢、血穢が代表としてあります。要は、死を連想させる不吉なモノを忌む感情。出血というのも、ケガや病気で死に直結するモノですから、かなり忌まれます。

■黒不浄・赤不浄・白不浄■

博多祇園山笠では、近親者に葬式が出ると黒不浄と呼んで、山笠に近づくのを忌避します。そして、赤不浄として女性の月経を忌避します。これは、神社の鳥居も生理中の女性はくぐってはいけないという、赤不浄に通じます。もうひとつ白不浄といって、出産も不浄視されます。子宝と言うのに、なぜ不浄と思う人もいるでしょう。理由は簡単で、昔は出産で亡くなる女性が多く、また出産自体が破水や出血を伴いますから。

この流れで、動物を屠殺する仕事もまた、不浄視されるわけです。しかし、現在のような化学繊維や合成繊維がなかった時代、動物の皮革は、現在以上に生活必需品です。ゆえに、被差別部落ではそれを生業とする部分があったわけです。チベットなどでも、発達障害の人間に、家畜の去勢などの仕事を任せるという文化があります。この、穢れの感覚は強弱はあっても、どうも世界的にある感覚のようです。

福島原発事故以来、「鼻血が〜鼻血が〜」と連呼する人間がいるのも、実はこの血穢の連想を悪用したプロパガンダです。本当に放射性物質や放射線由来なら鼻血より脱毛が先ですから。薄い皮膚の鼻孔は、ちょっとしたことで出血しやすいですし、催眠術で木の棒を焼け火箸と思い込ませて当てると、赤くなる程度に人間は、思い込みが激しい生き物です。反原発派って、放射性物質やトリチウムを、明らかに穢れと同一視していますから。

■エスノセントリズムと穢れ ■

ただ、日本人は特にそれが強く、しかも無自覚という部分があります。動物に対して、それが絶滅危惧種とかならともかく、残酷だとか野蛮だとか言うのは、容易にエスノセントリズム───自文化優位主義に流れます。捕鯨に関する欧米からの批判も、この感情的な忌避感から来ていますので、水原希子さんがどういう意図でそういうInstagramをあげたかは解りませんが、自分が危ういと評する理由です。

江戸時代、魚屋ですら民間では障害者が生まれやすいと言われていたわけです。生き物の命を奪うがゆえ。だからと言って、菜食主義ならいいという話でもありません。植物と動物の中間的な生物もいるように、両者の境界線は曖昧です。動物も植物も同じ命と見做す宗教もあります。いわんや肉を喰う人をそれで批判するとか、思想信条の押しつけです。良いことをしたつもりで差別を助長する危険性に、自覚的でありたいです。

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喜多野土竜
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