筒美京平さん亡くなる

筒美京平さんが亡くなりました。物心ついた頃には売れっ子で、あまりにヒット作を量産するので、複数の作曲家の共同ペンネームという説や、ゴーストが数人いると言われたほど。我が母校の、渋谷ナンパ大学の先輩でもあります。

筒美京平さん死去「スニーカーぶる~す」など作曲

作曲家の筒美京平さんが今月7日、誤嚥(ごえん)性肺炎により死去していたことが分かった。80歳。筒美さんの個人の音楽出版事務所の代行を行っている日音が発表した。
筒美さんは、かねて自宅で病気療養していたという。故人の遺志により、葬儀はすでに近親者により執り行われた。「お別れの会」などは、新型コロナウイルスの感染状況などをかんがみ、現段階で行う予定はないという。
筒美さんはレコード会社勤務を経て、作曲家に。1971年の尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、1975年の太田裕美「木綿のハンカチーフ」、79年のジュディ・オング「魅せられて」、80年の近藤真彦「スニーカーぶる~す」など数々のヒット曲を手掛けた。

代表曲はもう、山のようにありますが。なにしろ、オリコントップ10に入った曲だけで200曲、トップ3が100曲、1位を獲得したのが39曲。レコード大賞受賞曲だけでも5曲。まさに、ヒットメーカー。少なくとも『スニーカーぶる〜す』じゃないよなぁ。『木綿のハンカチーフ』か『また逢う日まで』か。

個人的には、国民的アニメ番組『サザエさん』のオープニング・エンディング曲も捨てがたいです。白石冬美さんの、初代『怪物くん』の主題歌も手がけ、『スプーンおばさん』や『重戦機エルガイム』など、アニメもけっこう手がけておられます。MIOさんの『エルガイム-Time for L-GAIM』も『スターライト・シャワー』も、名曲。鮎川麻弥さんの『風のノー・リプライ』も売野雅勇さんとのコンビの名曲ですが、B面の『傷ついたジェラシー』が自分は大好きで。

アイドルの曲は、もう書ききれませんが、70年代から80年代のアイドル全盛時代、筒美京平の名を見ないことがないぐらい、ヒット曲ばかり。近年はパーキンソン病を患っておられたようですが、それでも去年まで作品を呈上され続けていて。ポップスから演歌まで、実に幅広い。80歳は、人生100年時代にはやや早いですが。

筒美京平さんのご冥福をお祈りします。合掌

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