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もぐぺ流メスイキ・脳イキメソッド 第3回 メスイキ・暗示・哲学





はじめに


今回の記事は、ガチ上級者向けということでぼくの思考や考察の最先端の部分について書いていきます。
この記事は“メスイキする”という目的のためだけならば、読む必要はありません。読める必要もありません。

メスイキ初心者向けの記事はこちらから!

これは解説ではありません。
なので可読性はかなり低いと思います。
わかりやすい言葉でまとめることも出来ますが、危険かつ悪用ができてしまう知識でもあるのであえてわかりにくく書いています。
ほとんどの人が読めないように書いています。

知識で殴られることや、理解できない事がそこにあるということに耐性が無い人は読まない方が良い、まであるかもしれません。

ただし、じっくり何度も読めばちゃんと理解できるような筋道は立てています。
これは物を書く者としての矜持です。
その点はご安心ください。

どうしてもわからない点は質問してください。
同じ質問でも100回聞かれたら100回答えます。

あと、フロイトの心理学について概論程度でいいので理解していることを前提として書いてます。
そうじゃないと何も語れないので。

読めるもんなら読んでみな!
ぶっちぎるぜ〜!


【パブロフの犬理論の限界】


前回の記事、『もぐぺ流メスイキ・脳イキメソッド第2回 メスイキの育て方』で、パブロフの犬に言及しましたよね。

“特定の刺激に対して、特定の反射現象を後天的かつ任意に調教・条件付けできる”

このように要約しましたが、この条件付けを成立させるにはある前提があります。
それは、“条件付けを受ける者にとって、その刺激が快もしくは不快であること”です。
パブロフの犬の理論は、人や動物の身体を外部の刺激でコントロールするバグ技のようなものですが、無前提・無限定に使えるわけではないです。
この理論では反射現象をコントロールすることはできても、人の快や不快といった感情自体を変えることはできないし、理論自体その感情の上に構築されているものなので、条件付けの成否は被対象者の感情に依存します。

そしてこの限界を超えないかぎり、例えばぼくのように超短期間で全身でメスイキできるように自己開発したり、あらゆる刺激で脳イキできるようにしたり、あるいは人を思い通りに操るような異常なことはできません。

今回は、そういう領域のお話です。


【身体性と意志性】


ぼくの思考を明確にするために、二つの対となる概念を導入します。
“身体性”と“意志性”がそれです。

“被対象者が示す、ある一つの具体的暗示に対する被暗示性の高低・浅深は、“身体性”(物質的な体、という意味だけではなく周囲の環境・認識している世界や過去の経験、自動思考などその人を形成していて、またその人にとってuncontrollableなもの全て。)と、controllableなものという意味での“意志性”の二つの要素の“近さ”で決まります。”

ジークムント・フロイトを始祖とする精神分析心理学は、言語学者で構造主義の基礎となる思想を作り上げたフェルディナン・ド・ソシュールと、その理論を文化人類学に応用し、構造主義をより汎用的な理論に昇華させたレヴィ=ストロースの影響を強く受けて展開・発展した、構造主義的心理学とでも言うべきものです。

“身体性と意志性”の対概念は、構造主義的心理学の“無意識と意識”や“潜在意識と顕在意識”の対概念と良く似ています。
どれも人間存在の構造を二分法的に分析している、という点で共通しています。
しかし、全く同じではありません。
同じならわざわざ新しく概念を作る必要がありませんからね。
では何が違うのか。

フロイトの思想に限らず構造主義という思想は、分析対象の静的な構造全体を描き出すことについてはとても有用な方法論ですが、構造自体の質的変化という動的なダイナミズムを捉えきれない、という弱点を抱えていました。(この点は後年の思想界で反省と共に受容され、後にポスト構造主義・ポストモダニズムとして発展してゆきます。)

そういった意味で“身体性と意志性”の概念はは、より流動的な、身体性と意志性の狭間の、またその内部と外部との、曖昧で融解した“境界”に重点を置いた概念です。
身体性と意志性は、相互作用しながら揺れ動き、少しずつ変容しながらさせながら、一人の人間を形づくっています。


【身体性と“私”】


他者にとって“私”という存在は、常に既に他者の身体性に巻き込まれるような形で、否応なくその内側に丸め込まれるようにして存在しています。

“私”にとって他者がuncontrollableな外部であるように、他者にとって“私”は外部です。
しかし、外部でありながらも共に関わり、その関わりの中で影響を与えうるという点で、“私”はやはり他者の身体性の内側に存在しています。

また同時に、“私”にとっての他者もまた、“私”の身体性の内側に存在しています。
互いに相手を身体性の領域に包括しあいながら、意志性を交わして関わりあっている。
これがぼくの人間存在の間主観的(主観と主観の間の関わり、影響)な考え方です。

これは私見ですが、現在主流な催眠誘導のほとんどのテクニックは、“私”と“あなた”を言語的・非言語的に重ねあわせることを中心に組み上げられています。
他者にとって“私”が外部でもあり内部でもある、という逆説的な事実は、他者に暗示をかける際に極めて重要な役割を果たします。

自分なのに自分じゃない。
自分じゃないのに自分。

“私”はあなたじゃないのにあなた。
あなたは“私”じゃないのに“私”。

そうでしょう?


【身体性と意志性の概念的距離】


人間存在は、身体性と意志性の二つの恒星が絡まりもつれた連星です。

身体性と意志性はそれぞれが固定的・不変的ではなく流動的・可変的に変遷していくため、その形而上学的な概念的距離は無限に離れたり無限に近づいたりします。

身体性と、意志性の志向の間には差異があります。
このギャップの大きさが身体性と意志性の概念的距離です。
人はたびたび、現実の自分と志向する自分・なりたい自分との間の違いに悩みます。
この差異、距離が近いほど実現は簡単になり、遠いほど実現は困難になります。

これは暗示についても同様のことが言えます。
トランス状態・変性意識状態等を利用して意識の力を弱め、無意識の力を引き出すような方法は催眠の常道ですが、身体性とかけ離れた暗示であればあるほど成立が難しくなるのは当たり前ですよね。

“被対象者が示す、ある一つの具体的暗示に対する被暗示性の高低・浅深は、身体性と意志性の二つの要素の近さで決まります。”


【感情】


感情は、身体性の領域に起源を持ちながら、意志性の領域へと横たわるようにして存在しています。

感情は意志性にとって圧倒的に外部です。
嵐のようにただ到来し、心を掻き乱し、そして去っていく。
そういう意味では感情は他者よりもさらに外部にあります。

感情の発露は、身体性の発露です。
そして身体性は意志性よりも圧倒的に強固で、領域も広いです。
ゆえに、意志性だけをコントロールすることができたとしても、身体性に由来する感情を思い通りにすることはできません。

身体性と意志性は相互作用しています。
したがって、意志性を経由して身体性を変化させることができます。
パブロフの犬は、これを利用しています。
しかし、それだけでは限界があります。
意志性は身体性に強く依存しています。
弱い感情ならまだしも、強固な感情を覆すことはできません。


【存在の次元をズラす】


メビウスの輪やクラインの壷の哲学的な説明は、“次元の軸を一つ増やすと、元の次元において背反だった命題を自由に反転、統合することができる”ということです。
表が裏に、裏が表に。
外部が内部に、内部が外部に。

人間は、物質的存在である以前に言語的存在なので、言葉によって次元を超越することができます。(ご存じであれば、ジャック・ラカンの“現実界・象徴界・想像界”の論理を参照してください。ただし、ラカンの理論は発生論的なため通時的に語られますが、ここで注目しているのは共時的性質です。)

それは、あたかも思考の跳躍のように見えます。
元の次元から見ると、それは論理的・理論的・科学的その他あらゆる“正しさ”から逸脱しているように見えます。

しかし自己開発や暗示の領域において、それらの正しさはどうでもいいことです。
他者の身体性の内側に存在しているという身分を利用して、身体性と意志性の内部と外部、あらゆる座標を自由自在に跳び回り、それらを変形・改変・反転させること。
これが最大の目的です。
一元的な正しさに拘泥すべきではありません。

いかにうまく思考を跳躍させ、身体性と意志性を共にコントロールし距離を近づけ、またあるときは次元を超えて感情を反転させられるか。
このことに自己開発や暗示で異常なことができるかどうかの全てが懸かっています。


【思考の跳躍、超越の思考】


ぼくは哲学の専門書を読むのが好きです。
意味のわからない専門用語や複雑怪奇な概念で、知的にぼこぼこにされることに楽しさを感じるからです。
マゾだねえw

哲学という学問には、他の学問とは一線を画す特徴、特権とまで言っていいほどの特徴があります。
それは、“思考の前提を疑う権利が唯一許されている”ということです。

プラトンは現実を疑うことでイデアを見出し、哲学的思考のはじまりを拓きました。
デカルトは中世以前の“信仰の霧”を取り払い、自身の内のすべての不確かなものを疑うことでコギトを発見しました。

この伝統は、現代の哲学に至るまで例外なく継承されています。
故にあらゆる哲学的思考は、それ以前に存在する思考をなんらかの意味で超えでています。

超越の思考が哲学の本懐なのです。

どれぐらい超越してるかというと、現代人は統合失調症的であるべきだ!と言ってみたり(ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』)、宇宙は次の瞬間に全く違う姿に変わり得る!と言ってみたり(カンタン・メイヤスー『有限性の後で』)、まあ常識的に考えてめちゃくちゃなことを言ってます。

ぼくが思考の跳躍を学んだのは、そういう場所です。
既存の正しさに縛られることのない、ただひたすらな自由が許される、そういう場所です。

一つ、思考の跳躍の一例をご紹介します。
ぼくと相互のフォロワーさんとのリプライです。
彼は事前に“いいねされると気持ちよくなって発情する”ようにしてあります。


誘導があまり上手くないのは研鑽中の身ゆえご容赦ください。

名前を呼ぶ、という行為はその人の存在の承認です。
他の誰でもない、まさに“あなた”を指すときに名前を呼びます。
そして名前の後につく言葉(日本語には、くん、ちゃん、さん、さま、などなど沢山ありますね!)は自分とその人との関係性を示しています。
名前を呼ぶ人が、名前を呼ばれる人をどのように見做しているかが、そこには如実に現れます。

呼び方をくんからちゃんに変えるというのは、“私はあなたをメスと見做してますよ”という意志の表明であり、同時に相手がメスな存在であることを承認しています。

そしてそのことは、言葉を使うたびに相手の存在に刻まれます。
言葉はそういう性質を持っています。

言われるたびに刻まれる。

メスだということを刻まれる。

いずれ慣れるのが言葉のさがですが、〜ちゃん、と呼ばれ慣れるということは、自分がそれになんの違和感も感じなくなっているということです。
つまり、自分がメスであるという事実をすっかり受け入れきっている、ということです。
名前を呼ばれるたびに、不可避的にメスにさせられていくのです。
そしてその性質を快楽と結びつけてあげれば、当然人は……

どうなっちゃうのでしょうねぇ。

生物の最大の弱点は快楽です。
パブロフの犬がそれを証明しています。
理屈が跳躍していても、それを一度でも快楽と結びつけられてしまうと身体で理解してしまいます。

言葉責めのパワーが強い人や催眠がうまい人は、思考の跳躍のアイデアと、それを納得させ受け入れさせて快楽と結びつける技術の両面で優れています。
何名か思い当たりますが……

そしてそれは自己開発においても同様です。
思考の跳躍を自分自身に納得させ、身体性の領域へ落とし込むこと。
自身の身体性と対話しながら、思考の跳躍を楽しむように、自分自身に暗示をかけるように。
これがコツです。

しかし人間存在において、身体性の領域は極めて巨大で強固です。
そんな身体性を揺るがしズラすには、強靭な思考に裏打ちされた言葉と技術が必要なのです。


【愛するということ】


良い跳躍を実現するためには、相手が自分にしろ他人にしろ、“その人が一体何を望み、何を望んでいないのか”について正確に把握しておく必要があります。
結局最後にものを言うのは自己や相手をどれだけ理解できているかです。

先ほどのぼくのポストが言葉責めとして成立するのは、彼のメス堕ち願望と普段のポストをよく理解していたからです。
彼はこの記事を読んで、“さたちゃん💗”と呼ばれて気持ちよくなっていることでしょう。

そう、理解が一番重要なのです。
第0回から何度も繰り返してますね?

そしてこうも言いました。

“性欲は愛の発露です”
よく見て、よく聞き、よく理解しようとする。
理解したい、理解されたい。
受け入れたい、受け入れられたい。
快楽で壊れるほどに堕としたい、堕とされたい……

果たしてこれが愛ではなくてなんなのでしょうか?

例えそれが過激なカタチを取るのだとしても確かに愛の発露だと、ぼくはそう思うのです。

そしてそれが、意識がトぶほどきもちいい、快楽の源なのです。


おわりに


はい!

みんなここまでお疲れ様でした〜!
今までの記事とはテイストが全然違くて驚いちゃったかもね。
でも危ないところもあるからね〜
わかりやすく書くのはぼくの良心が許さなかったよ。

とは言いつつかなり丁寧に書いてる気がする。
どうなんだろ?

せっかくだから、ぼくが好きな哲学や心理学の考え方をベースに、本気の言葉で書いてみたよ!
ぼくはメスイキできる哲学者を知らないから、多分ぼくにしか書けない文章なんじゃないかな〜

でも東浩紀とかはメスイキできそう。
性格的に。

ごめんなさいごめんなさい!!

尊敬してます本当に。
めちゃめちゃ影響受けてます。
メスイキするので許してください💗

とまあ冗談はさておいて、今回はここまで!
最後まで理解しながら読めた人はいるのかな?

それじゃあね、ばいばーい!

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