今日の正しい情報は、 明日は間違いだと訂正されるかもしれない。
私の常識と、母の常識がぶつかった。
ちょっと諸事情があり、私は産後2ヶ月たった今も、私の母と父の暮らす実家で夫婦+息子でお世話になっている。
そのため、息子のお世話も両親の手の空いたときには、手伝ってもらったり、アドバイスをもらったりしている。
ほとんどの場合はとっっても助かっているのだけれど、
時折、とまどう時がある。
たとえば、夕方のお風呂前に、息子が泣き止まなかった時。
母は「きっと喉が乾いているのよ。白湯をのませたら? 」と言ってきた。私はほぼ完全母乳で育てているのだが、出産した病院では、母乳で十分水分も足りてるから白湯は飲ませなくて良いと言われていた。 私がそのことを伝えるも、母は腑に落ちない表情。 というのも、母が私を育てたときは、白湯は飲ませるべきと病院から教わっていたからだ。 母の時代では当たり前だったことが、私の時代ではそうではなくっていた。
また、ちょうど今日、息子を初めての予防接種に連れて行った。
4種同時に接種するというスケジュールを施行したことを両親に伝え、息子をお風呂に入れようとしたところ、「予防接種のあとにお風呂なんてだめでしょう」と止められた。しかし私は、病院では入浴は全く問題ないと言われてきたから入れようとしている。 後で調べてみたところ、どうも昔は内風呂がない家庭が多く、銭湯などの共同浴場を利用する人たちがいたので、それでは衛生上心配もあるから控えるべきとされていたらしい。 こちらもまた、今の常識と、かつての常識が全く変わってしまったというわけだ。
常識には、 (現時点では)という見えないカギ括弧がある。
科学技術が進化し、これまでの通説が覆されるような実験が証明されたり、できなかったことができるようになる。環境は変わり、当たり前となる前提条件も変わる。
常識とは、常に (現時点では) というカギ括弧付きの、限定的な表現だということを忘れてはいけないな。と改めて思った。
母の時代の常識が、今の私の時代ではそうでなくなったように、また私がいま信じている常識も、いつしかは非常識になっていくことの方が、きっと多いに違いない。そんなとき、「私達の時代はね・・・」と自分の信じたものにしがみつくのではなく、いかに寛容に新しい常識と向き合えるかが大事になってくるはずだ。いつまでも、やわらかい態度を持ち続けられるようにありたい。
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