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人は何年生きれば満足するのか

こんにちは。

今日も彼くんが大好きなおくさん。です。

今日は、彼くんと一緒にNetflixを見ました。
タイトルを失念しましたが、およそ10分のショートアニメです。

機械中心の生活になる話
機械と融合した人間の話
不死身の者と子どもの話
この3つを視聴しました。

今回のnoteでは、1番最後の『不死身の者と子どもの話』をみて考えさせられることがあったので、自分なりに考え整理したいと思います。

アニメの内容は、

・人間が不老不死になる
・不老不死のため、子どもが生まれると人口が増え過ぎてしまう
・法律でこどもを産むことが禁止される
・警察にこどもを産んだことがバレると銃殺される

このような設定の中、主人公(警察官の男性)は見回りをして子どもを見つけては銃で撃ち殺す仕事をしていた。

主人公には彼女がいる。
その女性とは、『永遠の命がなければ結婚して子どもをつくっていた』という会話をする。
主人公はいつもぱっとしない表情でいた。

ある時、ぬいぐるみ屋に立ち寄った主人公は、ぬいぐるみを買って帰る女性を見つけ、(子どもがいる疑いがあるので)こっそり後をつける。

予想通り女性には子どもがいた。

主人公は女性に聞いた。
『なぜ子どもを産んだ?』

女性はもう250年ほど生きていると言った。
全ての事に慣れ、生きることに何の面白みも感じ無くなっていたのだろう。
しかし、子どもを産んでからは、子どもの起こす予想外な出来事が新鮮で、毎日がとても輝いていると話した。

それを聞いた主人公は、自分の『生きること』の意味は、ただ命を繋いで日々を過ごすことになっていたと気付く。

本当の生きる意味は、目の前にいる母親のように『子どもを隠れて産んで殺されるとしても、産んで育てたい!』という自分の意思と強い覚悟を持って生きることだと、考え方が変わり、母親と子どもを見逃してその家を後にする。

しかし、家を出た後に前方から女性警官が現れた。

今からでも、母親と子どものいる家に戻り、殺せば問題なくこれまでの生活が続く主人公だったが、ここで母親と子どもを守りる為に、女性警官に銃を向ける。

女性警官も事態を察し、時を同じくして銃を構える。


同時に発砲し、主人公は死んだ。

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このショートアニメをみて
『主体的に考えてから行動することの重要性』を感じ
『もし自分が不老不死になったら、何年で生きていることに飽きるんだろう』という疑問に辿り着きました。

"何年"という具体的な年数は分かりませんが、さっき言ったように、『主体的に考えてから行動すること』がなくなった時や、もう何にも興味が湧かず、感動や悲しさを感じない・心が動くことがなくなった時に『生きている意味がない』と感じるのかなと思いました。


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