数年会話していない友人への話しかけ方

・1200字弱


・コミュニケーションに「友愛」を求める人と「情報量」を求める人で会話内容が180度違うなと、最近顕著に思うようになってきた。

 多くの人はそのどちらもを求めているのだろうけど、それでも「どちらかと言えば友愛」「どちらかといえば情報量」と偏っている人はいる。私なんかは情報量が欲しい人間なので、情報量の多い友人が好きだ。(情報量の多い友人~?)


・最近、ネットサーフィンをしていて、「このサイトはあの友人に見せたら確実に有益だろうな」と確信したため、数年会話してない友人にチャットで「たぶんこのサイトは君が好きだと思う。https~」といって共有すると、「急に何? 目的がわからないんだけど」という旨をオブラートに包んだ返事が返ってきたことがある。

 その状況なら、そう返事する人の方が多数である気がする。

 これは本当に理解されづらそうだ。

 私は「そこから会話が発展して、また仲良くできたらいいな」とは思っていなくて、単に「私の些細な一手間」によって誰かが有益な何かを得られるなら、私の功利主義に即すると思っているからそうしたのだ。

 定型発達的に考えれば、急に記事リンクだけ送るのでなく「久しぶり。元気にしてたかな。こっちは最近○○をしているよ」のような敵意のなさを示しあう会話のラリーを数ターン繰り返してから「ところでこうやって話しかけたのは、ネットで君が好きそうな記事を見つけたからなのだけど」と緩やかに本題に入っていくのが正解かもしれない。

 が、ただ記事リンク一つを共有するだけの行為に、そこまで導入にエネルギーを使うのもダルい。しかも導入に数ターンかけた割に本題がすぐ終わってしまうのも違和感があるので、その本題に対する感想や議論も数ターン交わさなければいけないような空気になってしまい、それも面倒だ。

 つまり定型発達的には、数年会話していない友人にリンクを共有したくなっても、送らないのが正解ということだ。


・プログラマの友人に同じことをしてもそうはならない場合が多い気がする。私は最近、趣味でHTMLを書いていて詰まったとき、数年会話していないHTMLのわかる友人に、挨拶もなしに質問を投げると、「急に何?」と困惑することなく端的に回答だけが返ってきたことがあって、これだから君は、数年会話していなくても僕の友人なんだよな……! と思ったことがある。

 これが自閉的コミュニケーションの気持ちの良い所である。

・当ブログって、プログラマの意思疎通能力を褒めすぎだな。


・私は、会話は(それが雑談であっても)情報密度が濃くあって欲しいと思っている。無論、そうでない人が不正解とは思っていない。

 私のような端的人間は、マナー違反であり、コミュ障であるとして世間では迫害される傾向にあり、絶滅危惧種に指定されている。これはこれでコミュニケーションが上手くいっているのに!



・おわり

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