【日記2023/11/8】駄文3
・1400字強
・駄文にナンバリングすな
・こたけ正義感さんが、好きすぎる
・たすけて
・【ドッキリ】中身を確認せず同意書にサインするとこうなります
ホンマに、LOVE……本質的な面白さがある
コメ欄で解説している人もおり、面白い
自分の中で、法オモロ(法オモロ~?)の流行が来ている
本来楽しむ目的ではないもの(例えば、法など)を加工したりまとめたりしてオモロに昇華する、二次産業的、三次産業的なオモロ(←造語すぎる)の方が本質的に面白い気がする。
・例えばこういうのね。
・あゝ美しき警察押収物の世界
・SHEINのレビュー欄を見る日
・【鬼滅の刃】恋柱に注目するなら乳だけでなく下半身も見ろ
・知識ほぼ0の一般男性が情報垢の暗号を解読してみた
・野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第12回 扉を閉ざして自由になろう
・今挙げた記事の共通点は、筆者自身がオモロコンテンツではないということだ。あくまで筆者は読者と一緒に、本来オモロではないものを一緒に観察して、解説によってオモロに昇華している。
・一次産業オモロって、どこか空虚に思えてしまう。その理由については自分でもまだよくわかっていないけど……
例えば、「俺、カラーコーンこんなに買っちゃって部屋を圧迫してるぜwww」といって写真を撮ってウケてる人がいたとして、それが何か目的があってやっていて、一見非合理的に思えるが実際には合理的なことをしているなら、こちらの水平思考力が鍛えられる感じがしてオモロなのだけど、そうでなく、ただ奇人を演じることでウケを取ろうとしているなら、そこにはどこか空虚さを覚える。
私は暗号パズルやクイズとか、よさこい、残像に口紅を(という小説)にも同じ方向性の空虚さを覚えているのだけど、その理由はまだ自分でもよくわかっていない……
・漫才の面白さをロジックの面白さとレトリックの面白さに因数分解したときに、ロジックの面白さとは、「意思決定に使える情報を提供している」と言い換えることができると思う。
ちなみに、ロジックかレトリックかの判別方法としては、「その漫才の脚本を読んだトークスキルのない素人が、その脚本を真顔で淡々と機械的に再現したとしても、全くそぎ落とされない面白さ」の部分がロジックの面白さで、そぎ落とされる面白さがレトリックの面白さだと思っていい。(でもこの判別方法はやや雑なので例外もあって、仮に「ハイテンションなセリフを真顔で淡々と喋る人の違和感」を面白味とした漫才があるなら、その面白さはレトリックである……)
そして、レトリックの面白さの一つに「こいつとは仲良くできそう、と思わせる」というものがあるという仮説を考えている。なんというか、ネタそのものを楽しんでいるというより、ネタを通じて、そのネタを披露している人と仲良くできそうかジャッジしたときに湧いて来る「この人とは仲良くできそう」という感情は、「面白い」という感情と隣接している所にあると思っている。
漫才はどちらかというとロジックの面白さよりも「この人とは仲良くできそう」という面白さを披露する場だと思っていて、漫才師は、各々が考える「こういうノリの人と仲良くしたい」という像を披露しているのではないか、という解釈をしている。
・私は常に脳内の片隅で生存優位性のことを考えているので、人間に無駄な感情なんてひとつもなくて、「面白い」という感情だって、その感情があることによって生存/生殖を有利にしたからだと思っている。
・おわり
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